なぜカエルは「○○ガエル」なのにトカゲは「○○ドカゲ」にならない? 日本語の面白ルールを解説したYouTubeチャンネルが書籍化!

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/28

言語オタクが友だちに700日間語り続けて引きずり込んだ言語沼
言語オタクが友だちに700日間語り続けて引きずり込んだ言語沼』(堀本見、水野太貴/あさ出版)

 日本語を勉強している外国人の知り合いが、小降りの雨を見て「雨がヒラヒラ降ってる」と言った。「雨は『ヒラヒラ』とは言わないだろう」と教えてあげたかったが、「なぜ?」と言われたら答えられない。うまく説明する自信がなく結局そのままに。日本人であるにもかかわらず、日本語の理屈を知らず使っている言葉って、意外とたくさんあるのかも……と感じた出来事だった。

 こんな私のような「なぜ違う?」「どう違う?」を研究する学問・言語学を身近に感じさせてくれるのが『言語オタクが友だちに700日間語り続けて引きずり込んだ言語沼』(堀本見、水野太貴/あさ出版)。

 著者のふたりはYouTubeチャンネル「ゆる言語学ラジオ」のパーソナリティで、その名の通り、ゆるい空気で言語学の知識を発信するチャンネルは現在登録者数19万人超。その面白さに沼落ちする人が続出中という。本稿では本書で紹介されている言語にまつわる面白話をふたつ紹介しよう。

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ロボットは「1体」?「1人」?

 今や、いろいろな場所で見かけるようになったロボット。その数を数えるとき、アナタならどうするだろう。店先に立つペッパーくんなら1体、あるいは1人。ファミレスで見かける猫型(?)配膳ロボットなら、1匹と数える人がいるかもしれない。

 いずれも間違いはない。実は、私たちはロボットが「生きている」「意思を持っている」と感じるかどうかで、数え方を変えているのだ。

 あるものに対して、生きている感じがする、と思うのを、言語学では「アニマシー」と言う。ペッパーくんに対してアニマシーを強く感じる人は1人と数え、「あそこにペッパーがいる」と人に使うような表現をする。

 その逆であれば1体と数え、「あそこにペッパーがある」と、あくまでも無機物として扱う。日ごろ、無意識に判断している感覚を浮き彫りにするのが物の数え方。少し気にしてみると、自分がどのように考えているかが分かり、面白く感じるはずだ。

 ちなみに英語などの外国語では、アニマシーはあまり意識されないという。例えば英語では、りんごでも猫でも“is”という動詞で存在を表現している。日本人にとって生き物であるかどうかは、重要なことのようだ。

毒を持つカエルは「ドクカエル」?「ドクガエル」?

 毒を持つカエルは「ドクガエル」。毒を持つトカゲなら「ドクトカゲ」。

 何か気になることはないだろうか? カエルの方は「カ」に濁点がつき、トカゲはそのままだ。その理由は説明できない。でも私たちは無意識に使い分けている。実は、これにもルールがあり、説明が可能なのだ。

「ドク」と「カエル」などふたつの言葉が合わさったとき、後ろの単語の1音目に濁点がつく。これを“連濁”というそうだ。連濁は、前後の単語が修飾関係にあるときに発動するルール。

 例えば、魚の尾の部分は「尾びれ」。尾のひれであるから「ひ」に濁点がつく。一方、「話に尾ひれがつく」という慣用句の尾ひれは「尾やひれのような余計なものがつく」という意味。修飾関係ではないため、「ひ」に濁点がつかないのだ。だから「日傘(ひがさ)」「紙袋(かみぶくろ)」など、修飾関係にあるときは連濁した方が自然な音になる。

 しかし「ドクトカゲ」は連濁しない。なぜなら、後ろに来る語に濁音がある場合は連濁しない、という法則があるからだ。通学のためのカバンは「通学カバン」、焼いたタマネギは「焼きタマネギ」など、濁点をつけない方が自然に感じるはずだ。

 ちなみにこの法則は「ライマンの法則」といって、アメリカ人が発見したもの。日本語のことなのに発見者はまさかのアメリカ人ということも、言語学の面白さを感じてしまう。

 本書には、他にも「“あいうえお”の順番の理由」「外国人には難しいオノマトペ」など、気になるテーマが満載。学問と言うと難しそうなイメージの言語学だが、著者のふたりがゆるくおしゃべりしながら進む対談形式なので、勉強という感じはしない。でも、どんどん知識が増えていく。何気なく使っている言葉が面白コンテンツに変わる、沼落ち間違い無しの一冊だ。

文=冴島友貴