作家・島田雅彦はなぜ「自伝的父子小説」を書いたのか? 息子と過ごした年月を語るロングインタビュー【『時々、慈父になる。』発売記念】
公開日:2023/7/4
作家生活40年を迎える島田雅彦さんの新刊『時々、慈父になる。』(集英社)は、「父親」として子どもと関わってきた30年を綴った自伝的父子小説だ。「異端」で知られる作家は、果たしてどんな父親だったのだろう。本書にこめた思いをうかがった。
(取材・文=荒井理恵、撮影=桐山来久)
子育てに深く関わることで書いた「父親史の記録」
――2019年に出された自伝的小説『君が異端だった頃』(集英社)の最後に「恥を上塗りする人生はこの後もしばらく続くが、時効がきたら、書きつぐかもしれない」とありました。新刊は「自伝的父子小説」ですが、時効がきたのでしょうか?
島田:いや、まだ時効前ですね。それで今回は息子に助けを求めた感じです。関係者の方はまだご存命ですし、へたすれば離婚の原因になったりもしますからね(笑)。まぁ前作は「若い小説家の肖像」ということで、いかにして物書きになりしかというのを書いたものでした。当時は文豪たちもご存命で文壇の交流にもギリギリ間に合ったので、そのあたりも意識して若気の至り、愚行の歴史を書き残しておきました。公文書も私文書も時効三十年なので、不都合な真実を隠ぺいするしか能がない人々への皮肉として情報公開の模範を示したわけです。今回はそれから後半の30年を書いたんですが、自分なりの文学史は終わったので、表紙にある「いつまでも自分が主役だと思うなよ」というキャッチコピーの通り主役から退場して、子育てに深く関わることを通じて「父親史の記録」として書いてみようと思いました。
――前作は主語が「君」で、今回は「私」です。物語への距離感も違う?
島田:前作の「君」というのは、遠い過去の自分への呼びかけであると同時にジュニアの登場というのもある程度意図して、未来の自分というか、自分のDNAを半分うけついだものへの呼びかけの2つを考えたんですね。今回は呼びかけていた息子が登場したので、そちらを主役のように扱って「私」は語り手の立場に引きました。
――ちなみに自伝的「小説」という場合、どのくらい嘘が入っているんでしょう。
島田:事実関係について嘘はなく、誠実に事実に即しています。ただ用語とか表現法は変えたりもするので、どうしたってそこにフィクションがはいるわけですね。「私小説」というのもありますが、それにしたって必ずしも私に関する事実だけを書くものではなくて、私から見た私、他人から見た私、子どもから見た私とか、複眼的な見方で書いていいわけです。あたかもキュビズムの絵のように、正面からとかサイドからとか客観的にとか第三者からとか、そういう多視点的に「私」を構成すればいい。
――今回の本は誰に向かって書いたというのはありますか?息子さんですか?
島田:呼びかけという意味で想定した読者は「世の勘違いオヤジ」ですね。日本はジェンダー意識が遅れていて、いまだに男尊女卑でふんぞりかえってる保守オヤジがなかなか絶滅しないので、「慈父」というのを未来の父親像のような感じで提出することはできないだろうかとは思っていました。
――「慈父」は、いい言葉ですね。
島田:西洋の文学ではオイディプスコンプレックスのように「父殺し」というのが、ひとつの大きなテーマだと思われてきました。でもよくよく考えると父性とか父権というのは、イデオロギーなんですよね。だから更新されるべきものなんです。定年退職してからネトウヨになるような情弱オヤジは論外としても、いまは保守オヤジというのではなく、子どもに価値観を押し付けたりせずに、非常に寛容で、ちゃんとこどもが自分の頭で考えてひとりで生きていけるようなサポートをする父親がリーズナブルだし待望される。以前は外国に出かける機会も多かったので、小説の前半では「別の文化では父親はどうふるまうのか」と各地の父親ぶりを観察して、世界標準の父親像を模索したりしましたね。
――2冊続けて読むと「父性」のあり方の変遷も感じました。前作の文豪たちにも下の世代に対する愛にちょっと父性も感じたりして…。
島田:まず戦争の体験がある時代と平和を享受している時代では父性のあり方に根本的な違いがありますよね。軍国主義時代の父親は厳父を目指すというか、非常に厳しく、時に抑圧的でもあり、「家庭を守る」という義務をそのままスライドさせて「国家を守らねばならない」という家族主義の延長的な父性がよしとされていた。それが敗戦によって完全に否定されるわけですから。私が知っている日本の父親像というのは、小津安二郎の映画に描かれているような父親たちなんですよ。小津は決して厳父は描かず、父は娘の結婚にオタオタして、わがままを言っても母親と娘から総スカンにあって折れる。そんな中でいい変容をとげて、結果「慈父」になる。私はそんなイメージを戦後の父親像に抱きました。
――厳しい父からやさしい父へと移っていったわけですね。
島田:そんなにきれいにスライドしたわけでもないですけどね。で、私もそうした父親像を追求したけれども、物書き稼業は続けてきたので愚行は続いていたわけです(笑)。
子どもとの暮らしは、家庭の中に古代人が一人いること
――本書には父親としての島田さんの子育ての様子もさまざまに描かれています。一番大事にしてきたことはどんなことでしょう。
島田:教育という点で語るとすれば、それは一方的にほどこすものではなく、対話的におこなわれるべきだということです。よく学校の教室では教壇の先生の方を全員が向くという形式になっていますが、あれって軍隊式なんですよ。本来はグループ分けするとか、全員の顔が見えるような配置にするのがいいわけで、ギリシアなんか広場の勝手なところに座る自由な空間だったんですから。だから子育てを含めた親子関係というものも「対話的なもの」であるべきなんです。父親が一方的に与えるとか教え込むというのではなくて、こちらも子供から学ぶという双方向性が子育ての本質だとつくづく感じました。
――お子さんを観察対象としても書かれていますが。正直、自分の息子って「生き物」としてどうですか?
島田:観察対象としては飽きないものだったし、その時間がとれたのは大きかったですね。親としての期待もあるのであまりにも勉強できないとイラついたりもしましたが、いろんなことを一緒にやったりする中で子どもの思考法や感情の動きなんかを観察するのはなかなか面白かったです。自分が幼い頃のことはとっくに忘れてますから、「なるほど、子どもというのはこういう探求の仕方をするんだな」とか思うわけです。初めて自転車に乗れたときのこととか、子どものレッスンを通じて思い出すんですよね。そこがすごく面白かった。
――子どもが独自に作り上げてきた世界にハッとさせられることもありますよね。
島田:子どもの感情というのはストレートですが、大人はその感情にへんな加工をしてしまうので、そのストレートさに人間の原点をみるような思いもしました。ある意味、子どもと古代人って似ているんです。家庭の中に古代人ひとりいる、みたいな(笑)。それがすごく楽しかったですね。
――逆にお子さんが「自分の鏡」となるというか、見せないでほしかったところはなかったですか?
島田:本にも書きましたけど、赤ちゃんだった息子を乳ばなれさせたときに、『プレイボーイ』のヌードグラビアを見つけておっぱいをなめてたんです(笑)。「あー、こいつも哺乳類だな」と思いましたね。
●子育ての恥を重ねるのも長い目で見ればお得
――男性によっては「父親になる」ことをなかなか受け入れられない人もいますが、島田さんはどう折り合いをつけましたか?
島田:ありのままを受け入れるしかないという感じですかね。なんとか格好つけようとストラッグルしてるときもあって、へんな格好、ドクロの入ったベレー某かなんかかぶってサングラスして幼稚園の運動会に行ったりしてね。それでかけっこの前に「いいか、ゴールは2M先にあると思って駆け抜けろ。もうゴールだと思って力をぬくと、それで遅れるから」なんて息子にアドバイスしてたら、僕の異形によって周りのお子さんが緊張しながらも「うん」って聞いてたりなんてこともありました(笑)。まあ、なるべく恥をしのんででも参加すると、というか恥を重ねていくほうが、長い目でみたときにはお得です。
――ちなみに女の子の父だったらどうなっていたと思いますか?
島田:子どもが生まれる前は娘を溺愛する人生もありかとずっと考えてたんですけど、息子だったんで。実はある友人の娘がAVに出たことがあったんですが、7歳のときから知っている子だったものだからかなり衝撃をうけて、「そうか、もし娘だったらこういうことも起きるかもしれない。そのとき私はどんなショックを受けるんだろう」なんて想像したことがあります。友人は「別にいいじゃないか。あれもひとつの表現手段なんだから」って言っていて、結構、無理はしてると思いますけど、それでも娘の意思を尊重するということでは理想的な父と娘の関係だと思いました。
――島田さんは息子さんを留学させることで自立を促しましたね。
島田:息子は日本での教育は中学まででアメリカに行きました。あれこれ自分で対処しなければいけないという環境においたわけですが、心配ではあったけれど結果オーライで考えることにはしています。ただ、ずいぶん金かかったなあとは思いますけど(笑)。
――留学は難しいとしても、今はへたすると部屋にこもりがちになったりする場合もあります。親は意を決して野山に放ったほうがいい?
島田:そうですねぇ。ここのところの若者の移り変わりというのを見るにつけ、「ポストヒューマン」みたいな言葉を使えば聞こえはよいが、何かちょっと人間として退化してきた時期があったんではないかと思います。だから「もう一回、人間になれよ」とはオールドジェネレーションとして感じるときはありね。ただそれも世代が変わってくると、また少しずつ前の時代の否定ということを若者たちの間でやって変わってくるでしょう。こちらからみれば10年の違いはあんまりないようにみえるけれども、当事者たちにしたら10歳違いでもぜんぜん話が通じないくらい変化してるわけで、そういう健全な世代交代、世代間のひそかな闘争が繰り返されていきますから。
恥部も見せるのが「みっともないけどカッコいい」
――ちなみに本書は息子さんは読まれたんですか?
島田:いや、この本が出る前に海外に行ったので読んでないですね。ただずっと海外にいると日本語がおかしくなる自覚と恐怖があったようで、そのリハビリに私の本を概ね読んだようなんですが、「でも、オヤジの日本語も変だろ?」って(笑)。
――息子さんはお父さんをどんな父親だといっているんでしょう?
島田:あんまりそういうことを話したことはないんですけども、ただまあ、急にオペラを生業にしたいと言いだしたときは、これは因果応報かと思ったりもしたことはあります。
――でもちょっとうれしかったのでは?
島田:なかなかお金にならない厳しい世界なので、首を傾げたところもありますが…。ただ、勉強ができて良い大学にいって、成績もよくて希望の一流企業に就職できてーーっていうのは親としては満足と思うかもしれないけれども、人生はそれで終わりじゃないですからね。人間関係が悪化してうつ病になったり、不祥事をおこしたり、オーバーワークで自殺においこまれたり、そういうネガティブなことってその先にいくらでも考えられるし、そういう心配はいつまでも続くわけです。そう考えると、本当に自分のやりたい仕事を見つけられるということ、たとえそれが金にならなくてもそれを継続していける、なおかつずっと精神衛生が保たれているっていうのが一番いいのかなとは思います。
――最後に、よく「子は親父の背中を見て育つ」とか言われますけど、島田さんの場合は子どもに何をみせていけばいいと思いますか?
島田:背中を見せたところで、なんの彫り物もないしねぇ(笑)。まぁどんなに格好つけても限界があるし、逆に自分の恥部とか恥とかを隠すほうがみっともない。そういうのもみんな見せてしまう「みっともないけどカッコいい」みたいな姿じゃないですかね。