あれから10年経ったのにDIOの呪縛から逃れられられない元配下・マライア/クレイジーDの悪霊的失恋 ージョジョの奇妙な冒険よりー②
公開日:2023/7/8
そしてホル・ホースは――彼の耳にも、もう子供の声は聞こえなくなっていた。
「――」
憮然としている彼が立っているのは、古代遺跡のような神秘的な空間の中だ。どこまでも続く通路に、無限に連なる扉が延々と並んでいる――この迷宮を見るのは、ホル・ホースにとって初めてではなかった。
それはかつて、DIOの館に存在していた幻影の迷宮だった。
十年前の、ホル・ホースの雇い主――いや、支配者だった男が、己の館に侵入してくる者を排除するための防衛機能のひとつ――懐かしい光景だった。
「おい、ケニーG――能力を解除しろとは言わないが、せめて目印を出せ」
ホル・ホースがそう言うと、迷宮の中の扉のひとつが、ぎいいっ……とひとりでに開いた。ホル・ホースはそっちの方に向かう。しかしひたすらに奥が真っ暗な扉の前に立ったところで、ため息をついて、
「だから、本物の扉の方も開けろってーの。入れねェだろーが」
と言った。すると、
〝スタンドを解除しな――念のためよ〞
と女性の声がどこからともなく響いてきた。神秘的な声ではなく、音の割れた質の悪いスピーカーを通したような声だった。
「へいへい」
ホル・ホースは右手を挙げる。そこに握られていた拳銃が、すうっ、と消える。一般人の少年には見えなかった拳銃が、ホル・ホース自身の視界からも消える――武装解除する。
ぎぎぎぎ、と金属が軋む音がして、扉の奥に広がる暗がりが下から明るくなっていった。
シャッターが開いたようだった。その向こう側の光景は、迷宮とは似ても似つかない、ふつうの内装になっている。
ホル・ホースがそのシャッターをくぐると、自動で閉まっていく。
「電動か――当然、自前なんだろ」
ホル・ホースがそう言うと、薄暗い室内の方から、
「当然でしょ――電線を引いたって、この辺はどうせ停電ばっかりなんだから」
という女性の声が聞こえてきた。
「おれを〝ビリリィッ〞と痺れさせるのはやめろよ、マライア」
ホル・ホースがそう言うと、ふん、という鼻を鳴らす声がして、次々と照明が点いて明るくなる。
元はカフェとして使われていたらしい部屋の、カウンターだったところに一人の女が頰杖を突いている。
マライアと呼ばれた彼女は、どこか寝ぼけたような眼でホル・ホースを見つめてきて、また「ふん」と鼻を鳴らした。
「それって命令のつもり?」
「まさか。お願いだよ――おれが絶対に女を傷つけないのは、おまえも知ってるだろう? 世界一女に優しい男だからな、おれは」
ホル・ホースの言葉に、マライアは顔をしかめて、
「あんた、まぁーだ、そんなこと言ってんの――もういい歳でしょうが」
と呆れたように言う。ホル・ホースは周囲を見回して、
「おまえの旦那はどこだよ? ケニーGは。噂じゃあ、すっかり痩せて今じゃ仙人みたいになってるらしいじゃあねーか」
「あの人は出てこないわよ。あんたらが嫌いだから」
「ま、いいさ――用があるのはおまえら自身じゃなくて、この〝隠れ家〞屋の、利用客の方だからな。いるんだろ? ここにあの兄弟が」
「ふつうならノーコメントなんだけどね。ま、スタンド使いのあんたに隠し事をしても無駄だろうから教えてやるわよ。4U号室よ。金も払わずにもう一ヶ月も居座っているから、そろそろ出ていって欲しいトコだったし。あんた、二人とも連れ出してくれない?」
「おれが用のあるのは弟だけだよ――4U号室だな?」
ホル・ホースは店内を横切り、廊下に出た。また無限に並ぶ扉が続いているが、ホル・ホースは今度はかまわずに進み、4U、と書かれた札の下がっている扉のノブを摑んで、勢い良く開いた。
「おいボインゴ! いるんだろうッ!?」
大声で呼んだ。しかし返答はない。ホル・ホースはずかずかと遠慮なく室内に踏み入る。
高級ホテルのような立派な部屋である。窓の外には海が見える。幻影で造られた部屋であることは歴然としている。
このケニーG&マライアの〝隠れ家〞屋は治安の決して良くないこの地域に於いて、とても貴重な絶対安全のセーフティハウスなのだった。どこの組織にも属さず中立を守れるのは、呪われているとされるストリートに位置し、幻影のスタンド能力で近づく者を迷わせることで、追っ手を完全に遮断できるからである。当然、とても高額の宿泊料を払うことになる。
現在、ここにどれくらいの数の客がいて、どれだけ地位のある者が隠れているのか、ホル・ホースに興味はない。彼が用があるのは、かつてチームを組んで共に戦った昔の仲間だけだった。
「――おーいおいおい、おーいおいおいおい……」
奇妙な呻き声が奥のベッドルームから聞こえてくる。
野太い男の泣き声だった。そっちに行くと、ベッドに突っ伏して泣いている者がいる。訪問者がいることがわかっているはずなのに、お構いなしで泣き続けている。ホル・ホースは「ちっ」と舌打ちして、
「おい、オインゴ――弟はどこだ」
と訊いたが、オインゴと呼ばれた男はさらに泣き喚いて、
「ホル・ホースよぉ――おれはもう駄目だぁ――もう何も信じらんねーよぉ――」
と情けない声をあげた。
「オメーが駄目なのは前からだよ。なんだよ、また女に振られたのかよ」
「運命の相手と思ったのによぉ――店を出したいって言うから金出したら、出店場所は日本だとかヌカしやがってよ――逃げられたぁ――」
「また顔面マッサージ術の弟子に手を出したのか。懲りねーなオメーは」
「おれはもう女なんか信じねーぞぉ――」
「いいから、弟はどこだよ――おれが来ることはもうわかってたんだろ?」
「おーいおいおいおいおい――」
ホル・ホースが訊ねても、オインゴはまた泣き始めてしまって言葉にならない。ホル・ホースはため息をついて、室内に眼を向けた。指を立てて、それを様々な箇所に向けていく。
「ふうむ――ベランダ、バスルーム……」
指をちょん、ちょん……と動かしていって、ドアを指差す。
「……と見せかけて、クローゼットだろッ!」
言うと同時に飛び出して、一気に扉を開いた。
すると中から黒い縮れた髪の小柄な男が転がり出てきた。子供のような顔と体格をしているが、一応、成人である。
「わ、わわわ、わ……ッ」
彼は手にしていた本を取り落としてしまい、慌ててそれを拾おうとする。それを横からホル・ホースがすかさずカッさらう。
「だから見えてんだよボインゴ――クローゼットの下からオメーの服の裾がよ。どーしてオメーは何かに隠れるときに、どっかハミ出さずにはいらんねーんだよ? ったく……」
呟きながら、ホル・ホースはその本をぱらぱらとめくっていく。
それは奇妙な絵が描かれたマンガ本である。しかしちょっと頁をめくってみたところで、ホル・ホースは顔をしかめて、
「なんだよ、まだ次のページが浮かんできてねーな。もうちょっと待たなきゃならんのか。ホレ、返すよ」
と言ってマンガ本を彼に――持ち主のボインゴと呼ばれた少年のような男に返した。
「ぼ、ぼぼ、ぼくは――で、出掛けたくない……」
ボインゴはおどおどした表情で言った。しかしホル・ホースはフン、と鼻を鳴らして、
「それを決めるのはおれでもオメーでもねーな? その〝予知の本〞だろう?」
と言い捨てると、部屋からふたたび出ていった。
「う、うううう……」
ボインゴは胸元に本を抱きしめたまま、その場に立ちすくんでしまう。