ままならない男女の日常をリアルに描く桐野夏生の新作短篇集! 結婚の理想と現実の間で苦しむ主婦が選ぶ道は

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/29

もっと悪い妻
もっと悪い妻』(桐野夏生/文藝春秋)

 人の心は複雑だ。ひとりで生きていきたいと願う強さと、何かにすがらなければ生きていけない弱さを抱えている。特に愛や恋が絡むと心は大きく乱れ、隙間ができる。『もっと悪い妻』(桐野夏生/文藝春秋)は、改めてそう実感させられる短篇集だ。

 本作に登場するのは、結婚後や離婚後の生活の中で小さな絶望を抱えながら、ままならない日常を生きる男女たち。彼らが感じる胸のザワつきは年を重ねた大人だからこそ理解できるものばかりだろう。

好きでもない男性と打算的な結婚をした40代主婦の“小さな絶望”

 夫公認で不倫相手と甘い時間を過ごす妻の日常を描いた表題作の「もっと悪い妻」や、18歳下の女性にしつこくすがる50代男性の哀歓を詰め込んだ「武蔵野線」など、全6作の短篇を収録。夫が知らない“妻の悪い顔”や不器用な生き方を選んでしまう男たちの姿から目が離せなくなる。

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 収録作の中で特に筆者の心に残ったのは、後悔を抱え続けながら結婚生活をこなす主婦の心を描いた「残念」だ。主人公は容姿端麗な中野佐知子。彼女は同じ会社で働く雅司から猛アプローチを受けて交際。

 雅司は冴えない見た目だが上司からの評価が高いやり手の営業マンで、将来有望そうに見えた。また、結婚後は世田谷区内にある彼の実家の敷地内に家を持てるかもしれないと雅司から言われたことが大きな決め手に。都内の一軒家に住むことが夢だった彼女は会社を辞め、打算的な結婚をした。

 だが、この結婚は失敗だったと佐知子は感じている。夢のマイホーム計画は建坪が狭かったことから泡となって消え、手に入れたのは雅司の両親と暮らす二世帯住宅。とがめられることはなくても、一挙手一投足を監視されているように感じられ、佐知子は自宅で気が休まらない。夫婦の仲は冷えきっており、会話は業務連絡的なもののみ。さらに結婚当初からセックスレスであったため、子どもなどできるわけがなかった。だが、そんな夫婦関係であることを知らない姑は孫を期待し、ある日、佐知子に不妊治療のパンフレットを手渡してきたのだ。その行動に佐知子は苛立ちを感じ、改めて自分の人生に思いを巡らせる。

 結婚はやめればよかった。そう考える時、決まって頭に浮かぶのは、ほのかな好意を寄せていたかつての同僚・櫛谷祐太とのある会話。

 佐知子にとって雅司との結婚はより失敗だと思えるものになっていた。子どももなく、これといった仕事もなく、夫とは仲が悪い。中途半端な自分は、この先どうしたらいいのだろう。そう考えていた矢先、佐知子は夫から櫛谷の現状とともに、自分たちの結婚時に彼が雅司に言った“ある一言”を聞き、さらに心が乱れてしまう……。

 こんなはずじゃなかったと思える今が目の前に広がっていると、人はすがれるものや拠りどころを探してしまうもの。そんな誰にでもある心の弱さをリアルに描いている。誰にも言えない、本音の詰め込み場。そんな言葉がしっくりきて、自分の“今”を客観視し、うまくいかない人生の変え方を考えるきっかけをくれるかもしれない。悩み迷いながら結婚生活を送っている人はもちろん、人生の岐路に立つ独身の人も手に取ってほしい。

文=古川諭香