あなたにとって「現実」とは? 人生が豊かになるヒントを提示する、識者8名の回答

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更新日:2023/7/11

現実とは? 脳と意識とテクノロジーの未来
現実とは? 脳と意識とテクノロジーの未来』(藤井直敬/早川書房)

「現実とは何ですか?」と問われたら、あなたはどのように答えるでしょうか。わたしたちにとって「現実」は親しみ深い言葉ですが、それを認識している「意識」のメカニズムはいまだ解明されていないこともあり、即答することは難しいのではないでしょうか。

 ご紹介する『現実とは? 脳と意識とテクノロジーの未来』(藤井直敬/早川書房)は、医学博士で脳科学者であり、メタバース事業を展開するハコスコ社の経営者でもある藤井直敬氏が、8人の有識者を迎えて最新テクノロジーの動向を交えつつ「現実とは?」という問いを深掘りしています。本書の論客たちの「現実」の定義を紹介します。

・現実とは「自己」である(東京大学教授、インタラクティブ技術専門・稲見昌彦氏)
・DIY可能な可塑的なもの(メディアアーティスト・市原えつこ氏)
・今自分が現実と思っていること(慶應義塾大学教授、言語心理学者・今井むつみ氏)
・「現実をつくる」というプロセスを経ることによって到達する何か(クラスター社CEO・加藤直人氏)
・祈りがあるところ(東京工業大学教授、美学者・伊藤亜紗氏)

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 一番文字数が多い定義をしたのは能楽師の安田登氏で、「普段のルーティンな自己がちょっとずれた時に押し寄せてくる、すごい力」。それは一体どのような現実の捉え方なのでしょうか。1991年の皆既日食の瞬間をハワイで経験したときの、非日常的なエピソードをもとに同氏は紹介しています。

ちょうど僕たちがいた場所は曇っていたので日食自体は見えなかったんですが、日食が始まる直前の時間になると鳥たちが突然、鳴き出したんです。そのうち鳥の声がぴたっと止まって、静謐が訪れた。それが日食が始まった時間だったんです。その前年にハワイ島が噴火していたので、山の稜線だけが真っ赤になっていて、波の音だけが低く響いていた。やがて鳥が再び鳴き出したら、ちょうど日食が終わった時間だった。

 たとえば古代中国において日食や月食は「聴く」もので、決して見てはいけなかったということが甲骨文(亀の甲や獣骨に刻まれた文字)に書かれているそうですが、「体験が体に刻み込まれること」が安田氏にとっての「現実」なのでしょう。

 解剖学者の養老孟司氏は「あなたを動かすもの」と短めに言い切っています。日々触れるもの、体験することの集積が「現実」を形作り、それがまた自分を行動に駆り立てて、さらに見聞きしたり体験したりすることによって「現実」が変わっていく。そのサイクルそのものが人生なのだと養老氏から感じた著者は、このように対話を振り返っています。

わたしたちの現実というものは、人生のすべての期間を使って作り上げてきた一点もののアート作品のようなものなのかもしれない。中心の部分は幼少期の発達初期に獲得した多くの人に共通の強固なものかもしれないが、それ以降に獲得する世界の実存は何を考え、どう振る舞うかによって異なる経験を通じて常に改変を受け続ける。つまりそのヒトがどのように世界と向き合ってきたかということを反映した鏡のようなものと言える。

 現実というのは常に変動していると捉えている養老氏と、拡張現実が専門領域のひとつである東京大学大学院教授・暦本純一氏の「自分で定義できるもの」という「現実」の捉え方は、一見相反するようで、実は表裏一体であると筆者は感じました。

 たとえば暦本氏と著者の対話の中では、俳句を読んだときたった17文字によって誘発される想像と記憶は、VRが視覚的に提示するイメージよりも鮮明だと論じられています。定義できない俳句の読後感の「体験」で、定義できるものが変わっていく。それによって世界の見え方が変わり、定義できないものの感じ方も変わっていく。このサイクルが人生なのだということです。

 このように本書は、現実を見つめ直すにしても、一新するにしても、手引きやヒントがちりばめられている一冊となっています。

文=神保慶政