岩井俊二監督の映画『キリエのうた』原作小説。歌うことでしか声を出せないシンガー・キリエと、彼女を取り巻く人々の物語
公開日:2023/7/5
10月13日、岩井俊二監督の待望の新作映画『キリエのうた』が公開されることになった。「歌だけが居場所だった」――印象的なコピーが目を引く本作は、歌うことでしか“声”を出せない住所不定の路上ミュージシャンを中心に、別れと出逢いを繰り返す4人の人生が交差する13年を描く物語だという。主演はBiSHとして活躍しながらソロとしても活動の場を広げるアーティストのアイナ・ジ・エンド、共演はSixTONESの松村北斗、黒木華、広瀬すずと豪華キャストが集まり、早くも注目を集めている。現在、専用サイトで予告のトレイラー映像に続き印象的なキャラクタービジュアル&映像も順次公開中。美しくて透明感があって、ちょっとせつなくて…少しずつ明らかになるその世界に、「早く見たい!」と思いを募らせている方もいるだろう。
このたび秋の映画公開に先駆け、岩井俊二監督自身が手がけた原作小説『キリエのうた(文春文庫)』(岩井俊二/文藝春秋)が発売されることになった。映画公開まで3ヶ月もあるのに監督自身が書いた「原作」が出るということは、何かのメッセージ(?!)だろうか。ひとまずどんな映像世界になるのか、自分だったらどう映画にするか、そんな観点で読んでみるのも面白いかもしれない。
5月のある夕方、甲州街道沿いの新宿駅南口で、歌うこと以外に声が出ないシンガーソングライターのキリエはギター片手に歌い始める。――飛べない翼で はばたき続けて 夢を追うふりして 息もできずに――「幻影」と名付けられたその曲は人々の耳を捉え、彼女のギターケースには人々の投げ銭が入れられた。23時、再び南口の歩道で歌い始める彼女の前に、イッコと名乗る女性が「なんか歌って」と現れる。なんと彼女はキリエの高校時代の親しい先輩・真緒里であり、そのままキリエのマネージャーをすると言い始めるのだった。自分のことは多く語らないイッコに謎めいたものは感じつつも、強気の彼女の好意に甘えることにしたキリエ。二人で仕掛けた路上ライブには熱心なファンもつき、オーディションの話も舞い込むが――。
実はこの物語のキーには「東日本大震災」がある。真緒里の高校時代、彼女の家庭教師だった潮見夏彦の「血の繋がらない妹」として真緒里の前に現れたキリエ(本当の名は路花)は、震災によって家族と声を失ったのだった。路花と夏彦に何があったのかは物語の中で次第に明らかになっていくが、大切な人を奪われた悲しみと罪の意識は今も彼らを苦しめ続けているのだ。
簡易シャワーで身支度をして、電車で眠る――そんな世捨て人のような暮らしをしながら、その歌声は力強く、多くの人の心を捉え、時には涙まで流させてしまうキリエ。物語には、彼女が全身で作ったいくつもの歌の歌詞も記されている。今はそれを読みながら、そのメロディーや歌声を想像するしかないけれど、本当にこんなアーティストがいるなら会ってみたい――思わず新宿南口を訪ねて行きそうになるのは、私だけではないだろう。
文=荒井理恵