ミスiDグランプリ・水野しず初の論考集は「目次だけ(でも)読めばいい」。日常のモヤモヤを彼女なりの親切/真説/新説で晴らす『親切人間論』
公開日:2023/7/11
書店で水野しず氏の『親切人間論』(講談社)と目が合って、これは絶対に読んだほうがいいやつだ、と何の迷いもためらいもなく購入した。水野氏が卓越した文才の持ち主なのは知っていたし、ブックデザイナーの祖父江信氏による独創的な装丁が、ずば抜けて素晴らしかったからだ。そして、読み進めるうちに、予感が徐々に確信へと変わっていった。本書は類稀なる傑作であると。
著者の水野氏が2015年にミスiDというコンテストでグランプリを獲得したことは、リアルタイムで知っていた。湯村輝彦氏や根本敬氏、蛭子能収氏といった、ヘタウマの系譜にも連なるイラストを描くことも、だ。トーク・イヴェントで見た彼女の話が、突出して面白かったのも鮮明に覚えている。
必読なのは、本書の核ともいえる「本は全部読まなくてもOK」という章。本は目次だけ(でも)読めばいいのである、と水野氏は主張する。彼女の筆圧が最も高くなるのもこのパートである。本の主旨は目次にすべて書いてあり、目次を読むと論旨と結論が分かるからだ、と水野氏。この主張と呼応するかのように、本書の裏面にはすべての目次が丁寧に記されている。水野氏の読書論を反映したデザインとして、完璧なつくりだ。もちろん、作り手側の確信犯だろう。
そもそも、水野氏は家で映画を見る際「がんばってちゃんと観る」必要はないと、ある時気づいたという。「映画を楽しむコツ=そんなにちゃんと観なくてもいいのだ」と。そもそも、ストーリー、出来事の把握、構造の理解、分析、自分の解釈などを、全部をクリアするなんて困難極まりない。そう水野氏は言う。そう、最初からそんなに気張ることはないのだ。難解な本を原語で読め、といった教養主義と真っ向から相対する思考である。
読書の愉悦は人によって様々だ。だが、専門家や研究者やプロの作家が、時に一生を賭けて書き上げた物語や思想が、短ければ200ページ程度で読めてしまうのは、ちょっとスゴイことだ。なんとコスパのよいプロダクツだろう、と感嘆する。本一冊の中で、自分にとってひときわ重要な一行でもあれば、それは貴重な体験だし、極端に言えば本はただ持っているだけでいい。そう説く水野氏による本書の装丁は凝りに凝っており、それこそ「持っているだけでいい」と思わせる。
長財布のような縦長のつくりはもちろん、本文の内容によってフォントの級数や色が自在に変化するのも興味深い。筆者がそうだったように、書店で見つけたら、さぞかし感興をそそられるはずだ。ちなみに、筆者の中でのブックデザイナーといえば、祖父江信氏と名久井直子氏が両巨頭。このふたりのデザインした本は、ほぼ間違いなく面白い。無論、本作もその類例に当てはまる。
読者の予断を超えてくるのは、読書論のみではない。痩せなくていい、「怒っているでしょ」は全部ハッタリ、「良かれ」と思って大失敗、ニセモノに憧れたって構わない、等々。いずれも、日常のモヤモヤを、水野氏なりの親切/真説/新説で晴らしてくれる。目からうろこが落ちっぱなしだ。
箴言が満載なのも嬉しい。誰もがうすうす勘づいていたが、触れられてこなかった事象が的確に言語化されている。水野氏が切実な問題を考え抜く姿勢は、思想家とも哲学者とも微妙に違う。規格外の表現者ゆえに肩書きは難しいが、本人が自称している中では「POP思想家」という呼称が最もしっくりくる。
それにしても、こんなに腑に落ちた読書論や読書術を含む本は、そうそうなかったのではないか。〇〇入門、誰でも分かる〇〇、なんてタイトルの本はあまた存在するが、本書はそれらとは一線を画する。本を愛し、本に愛された水野氏や祖父江氏の叡智の結晶——。筆者にとって、これから長く読み続ける「生涯の一冊」となりそうだ。
文=土佐有明