「主人」って、あなたは夫の所有物なの? 川上未映子が10年以上書き続けた、うまく”生きる”ための力強い言葉に勇気づけられる

文芸・カルチャー

公開日:2023/7/13

深く、しっかり息をして
深く、しっかり息をして』(川上未映子/マガジンハウス)

 同窓会に参加した話、妊娠した時の体力的な辛さ、サイン会で10代の子が泣いた話、孤独について、金縛りについての話、パートナーの呼び方について……。日常で感じる種々雑多な心持ちを描いたエッセイでありながら、実は一貫して「生きる」ことについて気づきを与えてくれるのが、本書『深く、しっかり息をして』(川上未映子/マガジンハウス)である。

 本書の大きなテーマは「生きる」ことである。エッセイのひとつひとつを読み進めるうちに、最終的に人間がどう生きているか、あるいはどうすればうまく生きていけるか、という考察をほぼすべての話から得られることがわかった。

 例えば、「初めて出会うお友だち」の回が興味深い。中学校の同窓会に参加した話で、同学年だった400人中、川上氏を含めて60人が参加したらしい。何十年も前にかつて3年間、時間と場所を共有した「知人」ではあるが、ほとんどの人が激変しており、顔のどこを見て何を話せばいいのかわからない、といった印象があった。しかし、世間話などから始めじりじり話していくうちに、不思議な感覚に包まれたという。

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“何かを「思いだす」というのとは違う感覚で、「早送りで友だちになる」とでもいうのでしょうか。あるいは「友だちに、初めて会う」というか。”

 これも人間の生きる上での能力だと僕は思った。記憶は確かにあるが、今抱えているものを優先した結果、一旦脳の奥底に眠らせておくことになったかつての友の記憶。記憶はあるが、わざわざそれを鮮明に掘り返すこともしない。ただ、かつて知り合いだった、という信頼感のようなものを頼りに、普通よりも早く友だちになれる……そんな感覚だろうか。この能力は、何も「かつての同級生」ということだけにとどまらず、人間が何かしら信頼できる点を相手から積極的に探し出し、それを手がかりに人間関係を効率よく築くために備えられたものなのかもしれない。

 この能力がなければ、例えば、震災が起きて見ず知らずの人たちと体育館に避難した時に、同じ境遇に陥った共通点から友情関係や協力関係を築くことができず、人間は苦しみから立ち上がることに苦労するだろう。

「主人」って、あなたは夫の所有物なの?

 また、「主人などいない」の回では、「パートナーの呼び方」について言及した上で、作家ならではの言葉の重要性が書かれており、はっとさせられる。

 恋人なら「彼氏・彼女」という極めてフェアな呼び方であるのに、結婚した途端、ほとんどの人が自分の夫のことを「主人」や「旦那」と呼び、また話し相手の夫のことを「ご主人」とか「旦那さん」と呼ぶのが一般的になってしまう現状に、眩暈がしそうになると川上氏は言う。

「主人」や「旦那」という言葉は習慣的に使われるが、「主人」は「自分が仕えている人」という意味で、「旦那」は「面倒を見る人、お金を出してくれる人」という意味だ。これは、明らかに主従関係を想起させるものだ。自分が夫の所有物であると言っているようなものではないか、と。言葉は人を作る。使っていると、言葉の持つ意味はかなり心身にぐいぐい侵食してくるもので、いつの間にか、自分の主体性が失われてしまうのではないか、と川上氏は語る。

 言葉の持つ力に関しては、2007年に刊行した『わたしくし率イン歯ー、または世界』にも書かれている。

“ところで言葉というものはすごいわね。これはまえにも云ったけど、言葉にすれば象もこんなに小さくなるのやよ。”
『わたしくし率イン歯ー、または世界』

 言葉というものはあらゆるものの大きさや概念を変えて、縮めたり変形したりすることができる。建前上、仕方なく使う言葉もあるかもしれない。しかし、その言葉の持つ意味は変わらないのだ。「象」と一口に簡単に言ってしまえても、実際に「象」を見た記憶なんかが無意識に発生していて、頭の中ではその記憶がいっぱいになって、心をぐいぐい押しているのである。

 何気なく使っている言葉に、違和感を覚えるようになること、その言葉によって我々は何かしらの悪い影響を受けていないかと考えるのが重要だ。言葉が人間の生きかたをいい方向に変えるかもしれない、本書はそういった重要なことを教えてくれる。

真意は自分の中に飲み込む前に零れ落ちてしまう

 ただし、川上氏ほど言葉を大切にしていても、その真意は自分の中に飲み込む前に零れ落ちてしまうものらしい。

 愛犬が亡くなってしまう前に、悲しみを少しでも柔らかくするために予行練習をしていても、やはり実際に亡くなってしまう悲しさには及ばないと書いている。また、妊娠&出産についても、いくら経験談を読み文面で共感していても、実際に体験すると、何ひとつ間違っていないのに全然違うように感じて辛く、苦しかったとのこと。

 文章を書くことを生業にしている川上氏でさえ、言葉を完璧に、自分の体に落とし込んで理解することは難しいのに、素人の我々はどのように理解すればよいのだろうか?

 おそらくはっきりした答えは存在しない。だからこそ、我々は日常に起こるささやかなことに目を向けて、熟慮する必要があるのだろう。その言葉は、誰かを支配していないか? 自分を縛りつけていないか? 人間にはなぜこんな能力が備わっているのだろうか? 悲しみを忘れてしまうのはどうして? 共感と実体験がまったく異なるのはどうして? そうしたヒントがこの1冊に詰まっている。うまく生きるための手がかりを、あなたも日常から掴み取ることができるかもしれない。

文=奥井雄義