佐藤二朗『ザ・ワールド・イズ・マイン』がバイブルである理由。「このままじゃいかんと自分を戒めてくれる」【私の愛読書】
公開日:2023/7/24
さまざまなジャンルで活躍する著名人に、お気に入りの本をご紹介いただく連載「私の愛読書」。今回登場するのは、「AERA dot.」で連載されたコラムを一冊にまとめた著書『心のおもらし』(朝日新聞出版)を上梓したばかりの佐藤二朗さん。
ユニークな演技をする俳優として知られることから、ギャグ漫画が飛び出すのかと思いきや——。佐藤さんの人生に寄り添う、とっておきの2冊についてインタビューした。
(取材・文=吉田あき 撮影=後藤利江)
●漫画史に残る名シーンが晩酌の肴
——今回挙げていただいたのは『課長島耕作』と『ザ・ワールド・イズ・マイン』の2冊。どちらも漫画ですが、ふだんから漫画を読むほうですか?
佐藤二朗(以下、佐藤):読みますよ。他にも、松本大洋さんの漫画とか、いろいろ。今は監督作品3作目を実現させるべく動いているから、参考にしようと思っていろいろ読んでます。漫画原作で考えているわけではないですけどね。妻からすすめられた漫画を読むこともありますよ。
——『課長島耕作』は、著書『心のおもらし』のエピソードにも登場していますが、晩酌の肴にしているそうですね。
佐藤:係長、社長、部長、ヤングといろいろ読んできましたけど、いちばん好きなのはやっぱり『課長島耕作』。こうなったらもう『後期高齢者島耕作』や『幼稚園児島耕作』も読みたいくらいですが…。まあ、それは冗談で(笑)。
晩酌って、食べ物はもちろんだけど、何を観るのか、何を読むのかも僕にとっては大事なこと。この漫画もね、僕の晩酌のために描かれた漫画じゃないかって壮大な勘違いをするほど、晩酌に合うんです。
大衆居酒屋から、接待で使われるような懐石料理まで、お酒を飲む場所がたくさん出てくるのもいいし、中沢喜一が島から説得されて、固辞していた社長の座を引き受けることを決意するシーンなんて、漫画史に残る名シーンだと思うんだけど。もう何回も読みますね。酒に合うから。
出世がいちばんの野望だというサラリーマンがいるなか、「自分に合った場所で楽しめればいい」と思っている中沢は、社長への誘いを固辞していたんです。それで島が、新宿のゴールデン街にある、のちにさまざまな業界で活躍する人たちの落書きがたくさんあるような店に連れていって、「中沢さんはもっと上に行く人です」と説得する。お店のおばちゃんと、酔っ払った占い師の娘がまたいいキャラクターで、中沢は「出世する手相だよ」とか言われ、ほっぺにチューされて喜ぶんだけど。
朝方になって、「決めたよ、キミの言うとおり、少し居場所を変えてみようと思う」と中沢が切り出すと、島は自分でも理由がわからず泣くという。その気持ちがなんとなくわかるような気がして、すばらしいシーンだと思います。
——あのお店がまた、その後もずっと出てくるんですよね。
佐藤:そうそう。いろんなところで出てくるの。のちにワインバーなんかになってね。世界に名だたる大企業「初芝」の社長がああいう庶民的なお店で、女性が膝で寝ちゃったりしながら社長になることを決めるっていう。ひじょうにいいシーンだよね。
●モテる島耕作がうらやましかった
——島耕作シリーズの連載が始まった頃、佐藤さんは10代半ばだったと思います。最初に読んだのはいつ頃ですか?
佐藤:大人になってからですね。最初はたしか、島はまだ係長だった気がする。読んでみると、島耕作が、なんだかわからないけど全部うまくいっちゃう人なんですよ。出世にはあんまり固執していないのに、人望や運がうまいこと味方して、どんどん上にいっちゃう。そういう人、実際にもいるじゃないですか。うらやましいなと思いつつ。それでまた、モテるのね、島耕作が。
——女性はもちろん、男性からも。
佐藤:ある意味、そうですね。いい人間であることは間違いないんでしょうけど、家庭がまったくうまくいかないという…。今野っていう完全に悪役のキャラクターが出てきて島をいじめるんだけど、これもまたいいんだよな~。
——『逢いたくて、島耕作』というスピンオフ作品では、就活生が島耕作の世界に転生して、今野を死なせないようにするシーンがあるとか。
佐藤:へ~。なるほど、それは知らなかった。原作で、今野は結局、孤独死に近いような感じで死んじゃうからね。
それぞれのキャラクターにちょっと毒があるんだけど、みんないい。弘兼さんに直接お会いしたことはないんですが、仲のいいドラマのプロデューサーの紹介で、弘兼さんのサインが入った島耕作の特製ワインをいただいたことがあって。でも、しばらく飲めませんでした。ありがたくて。
●「このままじゃいかん」と自分を戒める一冊
——もう1冊挙げていただいたのが、漫画『ザ・ワールド・イズ・マイン』。この本との出会いはいつ頃ですか?
佐藤:『JIN -仁-』というドラマ(2009年にTBSで放送)で共演した桐谷健太に「すごいよ、この漫画」ってすすめた記憶があるから、そのドラマのちょっと前だと思います。
——圧倒的な世界観でさまざまな考察を生んだ、新井英樹さんの代表作のひとつです。
佐藤:キャラクターの掘り下げ方や関係性、セリフの一つひとつがすばらしくて、本当に衝撃を受けました。ユリカンっていう過激な言動をする政治家(第75代内閣総理大臣)のキャラクターが好きで、アメリカの大統領と電話で会談するシーンなんて、ものすごく好き。
目を覆いたくなるような残虐なシーンもたくさんあるけど。『真説 ザ・ワールド・イズ・マイン』に掲載された新井さんのインタビューに、ビートたけしさんの話があるんです。“痛くなければ暴力じゃない。俺のは痛く見えるからいいんだ”と。残虐なシーンの痛みが伝われば伝わるほど、その不条理さが伝わるっていうことはあると思います。言葉にすると陳腐になっちゃうけど。
新井さんは「神的な存在をどこかに入れたかった」とおっしゃっていて、その存在がヒグマドン。途中で突如巨大化していくっていう。荒唐無稽といえば荒唐無稽な世界観だけど、だからこそ警察官や自衛隊みたいな現実的なシーンはリアルに描かなければと意識したそう。新井さんはどの作品でも、ものすごい取材をするらしいですよ。確実にそれが、作品をさらに高みに昇華させている。
何から何まで、“いいものを作るには、ここまでやらなきゃいけないんだ”っていうことを思い起こさせてくれる作品。魅惑的なキャラ設定やセリフなど全て。「最近ちょっとぬるいな」「ゆるいな」「このままじゃいかん」と思ったときに読み返す、バイブル的な存在です。
●佐藤二朗=ウンコ。まったくこれでいい。
——『心のおもらし』のカバーには、なんとも哀愁が漂う佐藤さんのイラストが描かれていて。これは新井さんが手がけたものだとか。
佐藤:『宮本から君へ』という新井さんの作品が映像化されたとき、僕をどこかの役で出してほしいと望んでくださったそうで、結局、連ドラはスケジュールが合わず、映画だけでしたが。どうやら、僕が『ザ・ワールド・イズ・マイン』をバイブルにしていることをご存じだったようで。今回、打診したら、ありがたく快諾していただきました。
——著書に掲載されたエピソードの1つがもとになったイラストですね。それに気づいてニヤリとしました。
佐藤:そう、新井さんがこのエピソードを選んで描いてくださいました。僕は首と腰をよくやられるので、整体によく行くんですが、そこの先生から「佐藤さんは顔が大きいので、首に気をつけてください。たとえるなら、爪楊枝でりんごを支えてるようなものです」と言われたんです。ウケ狙いかと思ってふと見たら、すっごい真顔。血も涙もない(笑)。
——(笑)。そのりんごが金色というのが、また良くて。
佐藤:デザイナーさんの遊び心だと思いますが、まあ、言ってみれば……ウンコ色。表紙を解禁したときも、何人かの人が「ウンコと同じ色ですね」と言ってましたね。さらに、カバーをめくったときの紙の色も、ウンコ色。それどころか、裏を返すと「うんこ」って文字が書いてあります。表には「佐藤二朗」と書かれているから、まるで「佐藤二朗がウンコ」みたいな。まったくこれでいい。すばらしいデザインです。
スタイリスト:鬼塚美代子(アンジュ)
ヘアメイク:今野亜季(A.m Lab)
カメラマン:後藤利江