『惡の華』著者による母親を描いた問題作。美しかった母親が、今では貧しい老女にしか見えない理由とは
公開日:2023/7/23
時は戻らない。
私たちは人生で何度もそれを実感させられる。
どんなに後悔しても嘆いても、人生は止まってくれない。淡々と時代は変わり、私たちはその変化に振り回されて、こう思う。
「時を、あのころに戻してほしい」
『血の轍』(押見修造/小学館)の主人公である静一は、母親が自らの抱える複雑な感情を息子にぶつけたことによって、13歳で人生が激変した。彼の「時」も戻らない。13歳だった少年は20年以上の時を経て初恋の少女に再会するが、彼女は子を持つ母親になっていた。いっしょにいようと約束した日には、二度と戻れない。
自ら人生を終えるつもりでいた30代の静一は、期せずして自分の人生を狂わせた母に再会する。母は自分の過去を話す。彼女の自我は、静一を産むだいぶ前に崩壊しかけていた。
これが15巻までだ。
作者の押見修造は、デジタルではなく手描きで本作を描いている。
この漫画は、すべてが静一の心象風景だ。視点が静一からぶれることはなく、彼の主観によって、静一の母親の姿は変わる。30代半ばの静一の母は、時に昔と同じような若い女性になり、時に貧しく老いた女性になる。これはすべて静一の視点というフィルターを通しているので、手描きの絵はなおさら静一を取り囲む情景を生々しく感じさせる。
ここから私の主観を述べたい。
静一が母を恐れている時、彼の母は若く美しい女性となって静一の目に映るのではないだろうか。
なぜなのかははっきりしないが、それを証明するかのように、母の過去を知ったあと、静一の視界から若く美しい母は姿を消したからだ。
彼は時が戻らないことを、母の悲しい過去を知って理解したのかもしれない。
母の背景を知りそれが今の自分につながっていると気づいてようやく、母は謎めいた恐ろしい存在ではなくなった。
そして静一自身も、自分を取り巻く現実が見えるようになったのではないだろうか。
人生のすべてをあきらめていた彼は、髭を剃り読書をするようになり、以前のようにお酒を飲むこともなくなった。
漫画は光を感じさせるコマが増えた。つまり、静一の心象風景が明るいものになったのだ。
そして、彼は母に会うこともなくなった。
ここで最終回を迎えるのかと感じた読者もいるかもしれない。
母の過去を知って、ようやく静一は立ち直り、新たな人生を自分で作っていく。さわやかな結末だ。
しかし『血の轍』は終わらない。
あることを機に静一はまたしても母に再会する。もちろん今の静一の目には、老いた母だけが映る。
静一は母を見てある決断をする。
勧善懲悪のエンターテインメント作品に慣れているとそれは読者にとって理解できないことのはずなのだが、1巻からずっと静一の心象風景を見ていると、彼の決断とそこに至るまでの思いが自然とこころに流れ込んでくる。
作者の押見修造は、静一と同じ年に生まれて同じ故郷で育った。
静一の苦しみは、決して他人事ではないという思いがひしひしと伝わってくるのと同時に、それが作者の主観で終わらず、読者の共感も得ているという事実に、押見修造の凄みを感じる。
私は漫画家のインタビューをする時、よく憧れの漫画家について聞くのだが、最近は「押見修造さん」と答える若手の漫画家さんが増えた。続けて好きな作品を聞くとこれまでヒットしたさまざまな漫画のタイトルが出るが、必ず連載中の『血の轍』も含まれている。
『血の轍』は、必ず令和の漫画の金字塔として語り継がれる。
最新刊を読んで確信した。
文=若林理央