迷える時代に大人が読みたい、山田詠美による青春小説。17歳のピュアな反抗心が教えてくれること

文芸・カルチャー

公開日:2023/7/22

ぼくは勉強ができない
ぼくは勉強ができない』(山田詠美/新潮社)

 1991、1992年に文芸誌の「新潮」と「文藝」に短編が9本掲載、1993年に単行本化された山田詠美氏の『ぼくは勉強ができない』(新潮社)。10代の視点から社会を斬るという点で、恋愛小説が多い著者の作品の中では異色だが、山田詠美氏らしいユーモアと人生に対する美意識に満ちた人気作。「自分は何者か?」ということや将来について悩む年代の主人公を通して、混乱の中でも、自分が自分であることを認識して強く生きる方法について考えさせてくれる、大人世代が読むべき小説だ。

 主人公は、学業の成績はよくないが女性にモテる17歳の男子高校生・時田秀美。華やかで恋多き母親と理解ある祖父と暮らす秀美は、父親の顔を知らない。サッカー部に所属し、年上の恋人も気の合う友達もいる。学校で窮屈さを感じることもあるが、「社会から外れないほうがいい」などの一般的な価値観にとらわれず、「自分であること」を大事にする母の影響もあり、秀美は自信を持って我が道を歩く。石鹸の匂いより香水の香りが好きな彼は、清楚な同級生に見とれる大多数のクラスメイトと違う感性を持ちつつも、楽しい高校生活を送っていた。

 秀美をバカにするガリ勉を「でも、おまえ、女にもてないだろ」と一蹴したり、小難しい理屈を並べる同級生をおちょくったり、態度を指導する教師に正論を投げかけ激怒させたりと、彼の言動は痛快。家族や、学校での理解者である担任の先生と、フラットに恋や性の話をするところもカッコいい。

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 でもそんな秀美も、何かと白黒つけたがる大人社会や、面倒な己の自意識に苦悩する。恋人との交際を「不純異性交遊」と定義づけられ悔しい思いをしたり、自然体を装う美少女の本性を暴いたと思ったら「自分は特別だと思っているくせに」という言葉で返り討ちにあったりと、自分らしさが揺らぐような事態に直面する。痛ましい事件の加害者や、メディアが報じるスキャンダルを無責任に裁こうとする風潮に秀美が抱く疑問などは、リアルな現代社会の問題ともリンクする。だからこそ今を生きる読者も、カッコ悪く悩む彼と一緒に、自分にも身近なテーマについて考え、答えを導き出していくような体験を得られるだろう。

 本書は、感受性豊かな年代で、しかも普通の17歳とは違う尺度を持つ秀美を通して、自分が生きる上での軸は何か、考え直させてくれる。いつの時代も混乱はあったはずだが、現在は、感染症などの未曽有の事態への対処に加えて、多くの情報が溢れ、「多様性」などの最新テーマに対する深い理解も求められる難しい時代。そんな迷える時期に、確かな自分を持つためのヒントを得られる小説だと思う。

 本書を若い時に読んだことのある人も、今、読むと違う味わいを得られるだろう。私は10代でこの本に出合い、世界への違和感を言語化してくれた秀美に強く共感したが、大人になってから読んだらまた新しい発見があった。今の自分が、本書に登場する愚かな大人と似た言葉を使っていること。昔、窮屈さを感じた社会の価値観に、いつの間にか慣れてしまっていること。約30年の年月を経てもまだ痛快でカッコいい秀美くんがそれに気付かせ、10代の頃に抱いたピュアな社会への反抗心を思い出させてくれた。変化に流されず、自分らしく生きるために必要なレジスタンスを忘れないため、ずっと手元に置いておきたい1冊だ。

文=川辺美希