警察小説の名手による萩尾警部補シリーズ第3弾! 4億円の「ソロモンの指輪」を巡る、シリーズ累計33万部突破の最新作『黙示』
公開日:2023/7/26
ソロモンの指輪とは、イスラエル王国の三代目の王ソロモンが、大天使ミカエルの手を介して神から与えられたもので、この指輪の力によってソロモンはあらゆる動物と言葉をかわすことができ、さらに多くの悪魔を使役したという。もちろん、伝説だ。だがもし、この指輪が実在するとしたら、いったいいくらの値がつくだろう――? 今野敏の最新作『黙示』は、渋谷の高級住宅街に住むIT長者・舘脇の邸宅からこの指輪が盗まれたところから始まる。
指輪の素材は鉄と真鍮。見た目だけなら、ほとんどの人が興味を惹かれないようなものだ。だが、舘脇はこの指輪を手に入れるために四億を支払った。主人公である刑事の萩尾をはじめ、誰もがばかばかしいと思う。だが、品そのものではなく、その背景に値がつくのが古美術の世界である。もっともあやしいのは、唯一その価値を理解しているキュレーターの音川だが、彼にセキュリティ万全の邸宅に入り込むすべはない。秘書と家政婦なら盗むこともできようが、二人はその価値について無頓着だし、手に入れたところで売り払って利を得る手段もない。もう一人あやしいのが、舘脇にボディガードとして雇われた私立探偵の石神だが、元警察官で義憤に燃えやすそうな性格の彼が、依頼人を裏切って盗みを働くとも思えない。
容疑者全員があやしく、そして同じくらい、あやしくない。萩尾警部補と同様、読みながら途方に暮れてしまいそうなところにもたらされる最大の謎が「山の老人」なる存在だ。
マルコ・ポーロがその存在を広く知らしめたとされる、イスラムの暗殺集団。考古学的な遺品や出土品のコレクターがときどき不審な死に方をするのは、その陰に山の老人という暗殺集団が関わっているという噂があるのだという。これまた、都市伝説のような話である。だが、ソロモンの指輪が実在する以上、山の老人も存在しないとは言い切れない。イスラム教徒である山の老人たちにとって、イスラムの預言者であったソロモン王の遺した指輪は、これ以上ないお宝だ。奪い返そうとしてもおかしくない。もしかして、容疑者の誰かが、山の老人の息のかかった人物なのか? そんなバカな。いやしかし……と疑心暗鬼の渦にのみこまれて、どんどん先を読み進めてしまう。
そもそも萩尾は、窃盗事件を担当する捜査三課の職人的刑事であり、古代文明は埒外だ。人は、とくに専門外の情報を多量に浴びせられると、困惑して、翻弄され、物事の本質を見誤ってしまう。だがそれは、ソロモンの指輪に4億の値をつける舘脇とて、同じなのかもしれない。目の前におかれたものの価値を、本質を、人はそのものだけで見定めることはできない。そんななかで、一つひとつ真実を拾い集めていく萩尾と、相棒である秋穂の刑事としての矜持に、ぐっと惹かれるものがあるのも、この小説の読みどころだ。
ちなみに音川や石神については別シリーズでも触れることができるので、気になった方はぜひあわせて読んでみることをおすすめする。
(文=立花もも)