山田詠美に「あんた、字、書けたんだね」小説家デビュー時に言われた言葉。約38年間第一線で活躍し続ける秘密
公開日:2023/8/7
デビューして約38年経つ山田詠美の小説家としての人生は、ほぼ私の年齢と同じである。
こんなにも長いあいだ、第一線で活躍し続ける小説家はまれだろう。
人生は変化の連続だ。SNSの普及により、誹謗中傷が多発するなんて20年前は誰が思っただろうか。しかし、そんな世の中でも変わらず喜びを与えてくれるものは存在している。
私にとっては、山田詠美の小説やエッセイに触れられることがそうだ。今も彼女が大人気作家として活躍しているのは、魅力的な小説を生み出し続けてきた結果だろう。
彼女は自伝『私のことだま漂流記』(山田詠美/講談社)で、今までエッセイで明かさなかったこと、明かしていても詳しくは書かなかったことを書いている。たとえば山田が原稿用紙に手書きで小説やエッセイを書いていることは知っていたが、それが今も続いているとは知らなかった。
そして本書の半分近くを占めるのが、彼女が文藝賞を受賞する前までの出来事である。
山田詠美の小説からは彼女しか書けない文体と、そこから醸し出される独特の香りがある。
そのふたつを視覚で感じ取って、私は山田詠美の小説を「心地よい」と感じる。
「どうしたら魅力的な文章を操って小説が書けるのか」と私が疑問に思っていたことの答えも、本書にあった。
小説家にとって、トレーニングとは何を指すのか。
次の行で山田は即答する。
私は、何を差し置いても「読書」と言おう。
小説を読んで感激したり、脳が刺激を受けて混乱したり、時に自分がその場にいるかのような感覚になったり。
すべての読書経験が創作につながるのだ。
昔、ある作家が「作者は読者のなれの果て」と言っていたと聞いて、山田は高揚したという。言葉に敏感な彼女だからこそ、その言葉の意味を濃く深く感じ取ったのだろう。
「なれの果て」という表現は、作者と読者を並べるときに、とっさに出てくるものではない。長年の読書経験のなせる業だと山田は感じたのだろう。
山田には常に本を持って移動していた子ども時代の記憶がある。
まだ文字を読めないころから、本を格好いいと感じていた彼女は、本書でもたくさんの作家の名前を出す。宇野千代、三島由紀夫、田辺聖子、フランソワーズ・サガン……彼女は読書によって豊潤な小説を書けるようになったのだ。
小説を書いているのをひた隠しにしてきた彼女は、デビューした時、周囲にこう言われたと言う。
あんた、字、書けたんだね
この言葉を聞いて私は、1988年に刊行された『ひざまずいて足をお舐め』(山田詠美/新潮社)を思い出した。
SMクラブで働く先輩の視点から後輩の人生を見つめるという物語なのだが、ラスト、後輩が小説家になったと知り、小説を読まない先輩は驚愕する。その驚き方は「字、書けたんだね」という言葉に近かった。山田の実体験とのつながりを私は感じる。
『ひざまずいて足をお舐め』は1988年刊行だ。山田詠美が29歳前後だっただろう。
そんな彼女が自分で記憶を引っ張り出しながら虚構の小説を書けた凄みは、当時10代の私にはわからなかった。
そしてこの時期、山田詠美は少女雑誌「オリーブ」で、初めて読者である少女たちのことを考えながら小説を書く経験をする。
そして生まれたのが、今も思春期の少女たちのバイブルになっている『放課後の音符』である。少女たちの淡い恋愛小説が連なっている名作だ。山田詠美は書き続けているうちに自分の少女時代もよみがえったという。
10代の私にとってもバイブルだった『放課後の音符』で大人の女性に彼氏をとられてしまった少女が登場するエピソードがある。彼女はその女性に会いに行くのだが、大人の女性が化粧っけのない顔に紅い口紅を塗っているだけなのに、とても魅力的であることに打ちのめされ、自分の幼さを知る。
私はこのシーンを鮮烈に覚えていて、中学生で読んだにもかかわらず紅いリップだけを母から無断で借りて塗り、「これがかっこいいんよ」と言って叱られた。
昔山田詠美も、フランスの小説家であるサガンの小説のヒロインが、階段でオレンジをかじるシーンを見て、みかんを家の階段で食べて叱られたそうだ。
10代の私が山田の小説を読んで憧れて紅いリップを塗ったように、山田もまた読書によって生まれた憧れから行動を起こしていたのだ。
そして『放課後の音符』で描かれた少女たちは、今も昔も変わらない10代の感覚を持っていたのだろう。
この自伝を読むと、どの小説が山田詠美の経験と紐づいているのか確かめたくなる。
一方でこの自伝が初めての山田詠美作品だという人は、創作について、読書について、恋について、そして人生について、新鮮な感覚で見つめ直すことができるだろう。
むしろ、すべての山田詠美作品を読んでしまった私は、本書で山田に興味を持ち、これからさまざまな著作を読める人たちがうらやましい。そういった意味でもぜひ一読してほしい書籍だ。
文=若林理央