苛烈な教育虐待とネグレクト。虐待被害者である高校生二人が背負い込まされた苦痛と、同士として芽生えた絆を描いた物語『サクラサク、サクラチル』

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/8

サクラサク、サクラチル
サクラサク、サクラチル』(辻堂ゆめ/双葉社)

「教育虐待」という言葉が世間に認知されるまで、それらはすべて「教育熱心な親」と同化していた。教育熱心な親は多い。だが、教育虐待はそれとは別次元のもので、明らかに子どもの心身を破壊する暴力である。辻堂ゆめ氏の新著『サクラサク、サクラチル』(双葉社)の主人公・染野高志は、そんな教育虐待の被害者であった。しかし、彼は自身が親から受けている仕打ちを「虐待」とは認識していなかった。同じ高校に通う同級生・星愛璃嘉(ほし えりか)に声をかけられるまでは。

 染野は、東大進学を目指して勉強漬けの日々を送っていた。また、ただでさえストレスの多い中、メールやSNSで誹謗中傷される嫌がらせにも悩まされていた。そんなある日、ホームルームの最中に呼吸苦と吐き気に襲われた染野は、慌ててトイレに駆け込む。呼吸が落ち着いたのち、トイレから出てきた染野は、ある人物に話しかけられた。ほとんど話したことのないクラスメイトの星が「大丈夫?」と尋ねてきたのである。これが、染野と星の交流のきっかけだった。以降、何度か会話を重ねた末、星は染野にこう告げる。

“「染野って、同じ匂いがするんだよね」”

 星もまた、親から虐待を受けていた被害者だった。星の場合は教育虐待ではなくネグレクトに相当するものだったため、二人は同じ「虐待被害者」だったが、置かれている環境は正反対だった。大学進学までの道のりを万全に用意されている染野。今日のご飯の心配をせねばならず、生活費を稼ぐためにバイトに精を出す星。周囲から見て「問題あり」と認知されやすいのは、星の境遇のほうだろう。だが、それこそが「教育虐待は防ぎづらい」と言われる所以である。

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 以下に、染野が置かれている状況の一部を挙げる。

 1日のスケジュールを5分単位で親が決める。テレビ、ゲーム、漫画、ライトノベルはすべて禁止。常に学年順位を維持せねばならず、少し順位を落としただけでも体罰が加えられる。定期的に親が自室に監視に来るため、部屋のドアは常に半開きにしておかなければならない。門限は16時。許された進学先は東大一択。

 これだけでも、染野の両親の異様さは十分伝わるだろう。染野自身がこの状況を周囲に訴えれば、周りも異常さに気付けるはずだ。しかし、染野はそれをしない。なぜなら、両親が自分に行っている行為を「愛情」であると誤認しているからだ。

 虐待をする親の多くは、「あなたのためを思って」と言う。愛情を盾にして暴力を振るったり、何らかの行為を強要したり、暴言を吐いたりする。そういう日常が続くうち、子どもはそれらを「親の愛情」なのだと思うようになる。こんなことをされるのは、親の愛情に応えられない自分が悪いからだ。そんなふうに責任を背負い込み、罰を与えられている自分自身を恥じるようになる。境遇は違えど、星と染野はこの点において共通していた。

“「身体の傷も、心の傷も、隠すのが癖になるんだよね。なんとなく、他人に知られちゃいけない気がして」”

 そう言った星は、すでに数え切れないほどの傷を抱えていた。そして、そのすべてをひた隠しにして生きてきた。何をされても、どんな扱いを受けても、子どもは親を信じたい生き物で、親に愛されたい生き物だ。だから、口を閉ざす。

「染野の親がしていることは虐待だよ」と星から告げられた際、染野は当初、その現実を受け入れられず反発した。「自分は愛されている」と、「自分の家は普通だ」と、そう信じたかったのだろう。だが、徐々に自分の置かれている状況の異常さに気付きはじめた染野は、17歳にしてようやく、親に対する反発心や憎しみが芽生える。

 はじめて出会えた「同じ境遇の者同士」である星と染野は、堰を切ったように互いの親に対する不満を語り合った。その中で、二人はとある復讐計画を思いつく。復讐する相手は、当然ながら自分たちの親だ。復讐計画の全容は、物語のラストで明かされる。

 本書では、表に見えにくい「教育虐待」の実情が如実に描かれている。だが、決して闇だけの物語ではない。本書で描かれる小さな希望が、現実世界へとつながってほしいと願わずにはいられなかった。

 子どもは親とは異なる独立した一人の人間であり、意志があり、心がある。それを尊重せずに、自分たちの理想や都合を押し付ける行為を「教育」とは呼ばない。愛情を免罪符に振るう暴力や暴言は、「虐待」であり「洗脳」の一種でもある。私自身、二人の息子を持つ母親として、そのことを改めて肝に銘じたい。

文=碧月はる