朝ドラ「らんまん」牧野富太郎は不倫して子どもまで作った? 植物学者の意外すぎる型破りな人生『ボタニカ』

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/6

ボタニカ
ボタニカ』(朝井まかて/祥伝社)

 好きなものを貫き通せる人には、必ず、その支えとなる人物がいるのかもしれない。NHKの朝の連続テレビ小説「らんまん」を観ながら、ふとそう思った。「らんまん」の主人公は、明治の世を舞台に活躍する植物学者・槙野万太郎。「日本植物学の父」・牧野富太郎をモデルとした架空の人物だ。愛する植物のため、一途に突き進む情熱的なその姿は、私たちに明るいエネルギーをくれる。何より、暴走しがちな万太郎を、しっかり支える妻・寿恵子の存在が良い。万太郎は植物研究を愛しつつも、寿恵子のことも同じように大切にする。寿恵子もまた、万太郎の、植物学をめぐる冒険を一緒に楽しもうとする。そんな2人の関係は見ていてなんて微笑ましいのだろう。

「らんまん」はフィクションだが、モデルとなった牧野富太郎とは、実際はどのような人物だったのだろうか。周囲の人たちからどのように支えられながら、偉業を成し遂げたのだろうか。気になって手にとったのが、直木賞作家・朝井まかてによるその評伝小説『ボタニカ』(朝井まかて/祥伝社)。この本を読むと、「らんまん」ファンは、そのモデルの意外な姿に、驚かされるに違いない。万太郎のモデルであるはずの牧野富太郎はとにかく型破り。ハチャメチャすぎる人物なのだ。

 時は明治初期。少年時代の富太郎は、毎日のように、土佐・佐川の山中で草や花、木々に話しかけて過ごしていた。「わしは知りとうてたまらんがじゃ」。富太郎は草木の名を知りたくてたまらない。名前だけではない。どうして草木は季節になったら芽を出して、葉っぱを開いて蕾をつけるのか。花はどうしてこうもいろんな色や形をしているのか。疑問に思ったことは何でも知りたくてたまらない富太郎は、植物学を追究したいと、2年で小学校を中退。独学で植物研究に没頭することになる。

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 好きなことを貫き通す姿勢は「らんまん」の万太郎と同じ、いや、それ以上なのだが、富太郎はどうしようもないダメ人間。造り酒屋の跡取りとして生まれたはずなのに、家業のことは、妻・猶になかば押し付け、植物のことをもっと知るためにひとり上京。東京で出会った若い女性・寿衛との間には子どもを作ってしまう。学歴がないことなど物ともせず、東京大学理学部植物学教室への出入りが許され、新種を発見したり、研究雑誌を刊行したりするなど、確かに目覚ましい成果をあげはする。だが、浮気をされた上、幾度となく、金の無心をされ続けた妻・猶としては、たまったものではないだろう。だが、この猶があまりにも出来た妻なのだ。土佐に戻り「実は、子ができた」と報告する夫に対して「おめでとうござります」「帯祝いの儀はいつですろうか」と言ってのける。自分が猶の立場だったら、とてもそんなことは言えそうにもない。結局、家業は破産し、富太郎は多額の借金を抱えて、猶と離縁。寿衛と再婚することになるのだが、富太郎は寿衛との間には13人の子どもをもうけ、内7人と死別。貧乏子だくさん、借金まみれの極貧生活を送ることになる。

 富太郎は人に対して無神経にも程がある。どうして植物と同じように、身近な人間に対しても心を向けてやれないのか。前妻も後妻も、富太郎のために、金策に走らされることになるが、富太郎は、それを悪びれる様子もない。草木を愛し、ただいきいきとそれを追い続けている。2人の妻は、あまりに無邪気に研究に邁進する富太郎を放っておくことができなくなってしまったのだろうか。彼を支え続けた女たちの姿には誰もが圧倒させられるだろう。

 富太郎はなんて幸せな人物なのだろうか。富太郎の偉業は妻たちの支えがなくてはありえなかった。脇目も振らず、好きなものを貫き通せた彼のことが少し羨ましくなる。もし、自分が富太郎の立場だったら、どうしていただろうか。自分が彼の妻だったら何を思うか。あなたも是非「らんまん」で描かれたのとは全く違う「日本植物学の父」の姿に、「自分ならどうするか」と思いを馳せてみてほしい。

文=アサトーミナミ