6歳から性的虐待を受けていた『シーラという子』の続編。再会した恩師に「あんたのせいで生活が余計悪くなった」と怒りを露わにしたわけとは?『タイガーと呼ばれた子』
公開日:2023/8/11
情緒障害児教室の教師を務めるトリイと、貧困・虐待など様々な問題を抱えていた少女シーラとの交流を描いた物語『シーラという子』には、続編がある。トリイ・L・ヘイデン氏が綴る『タイガーと呼ばれた子』(入江真佐子:訳/早川書房)では、7年ぶりに再会を果たした二人の交流が描かれている。しかし、二人の交流はスムーズにはいかなかった。シーラは、トリイの教室での出来事をほとんど覚えていなかったのだ。それどころか、トリイに対して抑えきれない怒りを抱いていた。
“「あんたは自分があたしの人生をよくしたと思ってるんでしょ?」”
“「ちがうんだよ。あんたのおかげでよけい悪くなったんだよ。それまでより、うんとうんと、何百倍も悪くなったんだよ!」”
『シーラという子』の作品の中で、シーラはトリイに大きな信頼を寄せていた。トリイもまた、シーラの人生をより良いものにしようと最善を尽くしているように思えた。だから、シーラのこの言葉を読んで、私もトリイと同じようにショックを受けた。だが、シーラの怒りの根源が明らかになるにつれ、深い悲しみが押し寄せてきた。
シーラは、幼い頃に母親に捨てられている。そのことは、シーラにとって大きなトラウマとなっていた。そして、教師であるトリイとの別離が、彼女の中で「母親に捨てられた出来事」と混同されていたのである。当然のことながら、教師は親になることはできない。だが、シーラはトリイが自分を養子にする未来を夢見てしまった。悪辣な環境下で生きてきたシーラにとって、それは焦がれずにはいられない夢だったのだろう。
“「現実の生活は決して台本どおりにはいかない。そこが問題だよね」”
創作物にはラストシーンがあるが、現実にはない。現実世界は、明日も明後日も続いていく。『シーラという子』で描かれたラストの後の世界は、シーラにとって優しいものではなかった。父親が薬物依存で逮捕されたのを機に里子に出された先で、シーラは里親から性暴力を受けた。それ以来、シーラはどの里親とも馴染めず何度も脱走を繰り返した。
トリイと過ごした時間は、シーラにとって宝物だった。それだけに、その後の生活とのギャップが大きく、シーラはやりきれない感情を抱えて生きざるを得なかったのだろう。
“あんたはあたしをあの教室に連れてきて、おもちゃで遊ばせて、たくさん本を読ませて、あたしに百万ドルの値打ちがあるような気分にさせた。で、それから何をした?トリイはずっといてくれた?”
トリイは、シーラの置かれている環境について知らないことが多すぎた。トリイの教室に通っていた6歳の頃から、シーラは父親に売春を強要されていた。薬物を安く手に入れるため。たったそれだけのために、父親が娘の口に他人の性器を含ませる。それがシーラの日常だった。
「どうして言ってくれなかったの?」と問いかけるトリイに、シーラはこう返した。
“「六歳で何がいえるっていうの?それに、そういうのがあたしの生活だったんだから。あたしはそういうことに慣れていたんだよ」”
幼少期に受けた性暴力を大人になって告発した人に対し、「なぜその時すぐに訴えないのか」と言う人がいる。そういう人は、知らないのだろう。どんなに嫌でも、「嫌だ」と叫ぶ選択肢を持てない側の恐怖を。逆らえばもっと酷い目に遭う。肉体的、もしくは社会的に殺される。そういう恐怖心を逆手に取り、権力や腕力に物を言わせて加害を繰り返す人間は一定数いる。被害が日常的に続くうち、被害者にとってそれは「生活の一部」となる。なぜなら、「大したことじゃない」と思い込まなければ、心が壊れてしまうからだ。
7年もの歳月を経てようやく再会できた二人は、互いに傷つき、多くの苦しみを共有しなければならなかった。シーラのやり場のない怒りと悲しみに対峙する際、トリイも常に冷静ではいられなかった。それでも、トリイは伝え続けた。「あなたを大切に思っている」と。「あなたを愛している」と。その結果、シーラは少しずつ過去を「あるがままに受け入れる」準備段階に入る。
生育環境は、人間が生きる素地をつくる上で重要な意味を持つ。シーラが生まれ落ちた場所は、あまりにも冷たく暗い洞穴だった。そこに一時的に光を当てるだけでは、人は救えない。「子どもはすべてを話さない」という前提を、大人の側は忘れてはならない。その上で、どうしたら子どもを守れるのかを真剣に考える必要がある。シーラは物語の登場人物ではない。実在する“人間”だ。そのことを忘れず、彼女が被ってきた多すぎる痛みとその根源に、私は向き合いたい。
文=碧月はる