社内の暴露メール、パワハラ音声流出、弱みにつけこむ人たち――会社の代表選挙に巻き込まれた苦悩をコミカルに描くドタバタ物語『うどん陣営の受難』
PR 更新日:2023/9/27
企業などの組織に属していると、会社の代表を決定する投票や会議が定期的に行われる。毎日通う「職場」という狭い枠の中で起こる競争だからこそ、一般の社員まで派閥争いに巻き込まれてしまい、疲弊することも少なくない。津村記久子氏による新著『うどん陣営の受難』(U-NEXT)では、まさにこのような組織の代表争いにおける策略に翻弄される一般社員の受難について描かれている。
本書の主人公である小林(通称こばちゃん)が勤める会社は、社内の代表戦の只中にあった。こばちゃんは、リストラや減給に反対する緑山さんを支持していた。緑山さんの支持者の集会では、運営のおごりでいつもうどんが出る。社食にうどんを導入するよう働きかけたのが緑山さんだったということもあるが、単純に集まった人たちがみな「うどん好き」だったのもあるだろう。タイトルにある「うどん陣営」は、ここに由来する。
4年に一度の投票選で、緑山さんは3位という結果に終わった。その後、1位だった藍井戸と2位の黄島との一騎打ちとなる決選投票が行われることとなるのだが、緑山派の票を集めようと、あらゆる手段で藍井戸と黄島の支持者たちが動きはじめる。その渦中に巻き込まれたのが、こばちゃんの隣席である池田先輩であった。
池田先輩は、投票選がはじまる前にウサギのニコちゃんを亡くしていた。あくまでも平静を装おうと努めていた池田先輩だったが、心身の衰弱は隠しようもなく、周囲の勧めもあり1ヶ月半休職した。池田先輩が復職後、ほどなくしてはじまった投票戦。黄島派の人たちは、弱っている彼女に漬け込むかのように甘言を囁きはじめる。
池田先輩が見知らぬ人たちと高そうなお店でランチをしたり、夕飯をご馳走になったであろう場面を見かけたこばちゃんは、心配しながらも一歩踏み込めずにいた。そうこうしているうちに、池田先輩をはじめとして、社内各所でさまざまな人たちが代表戦の荒波に押し流されていく。
「社内政治」を描きながらも、本書には至るところにユーモアが含まれる。特に、こばちゃんの台詞はいつもまっすぐで、その真剣さゆえに思わず笑ってしまう。新しいパソコンが届くはずの朝、手違いで届いていないことを知り、仕方なく元のパソコンを立ち上げた際の描写など、読みながら「わかる!」と心の中で叫んでしまった。
“ようやくログイン画面まで来たものの、タスクバーに〈OSの更新をしますね〉という通知が来ていて吐きそうになる。仕事をさせてくれ。”
実は、私自身のパソコンも今、この状態に近い。「仕事をさせてくれ」ーーこの一言に含まれる切実な叫びは、本人からすると笑い事ではない。だが、著者ならではの独特でユーモアのある筆致により、読み手は良い意味で脱力し、破顔してしまう。
〈良心ある社員様各位へ〉という件名で回ってくる、社内の秘密を暴露するBCCメール。同じ文言を添えて配られるパワハラ現場の音声など、代表戦の票集めに躍起になる人たちの迷走ぶりも凄まじい。社内を駆け巡る不穏な噂や雰囲気に辟易し、「投票を棄権する」決断をする者。そんな人に対し、「棄権だってどちらかの勢力の思う壺なんだよ」と諭す者。それぞれが自分の“正義”に従いながらも、抗いきれず場の雰囲気に飲まれていく様は、社会の縮図のようでもある。
代表戦投票日の直前、池田先輩からこばちゃんに電話が入った。その際、池田先輩は「緑の人(緑山さん支持者)は、みんな適当なようでいてデリカシーがある」とお礼を述べた上で、こう語る。
“「そうやっていろんな人に尊重してもらっているのに、自分自身はなんか考えるのが面倒になって、もう誰かが指図してくれたらいいのになって考えるのはわがままだよね」”
心が弱っている時や、心身の消耗が激しい時、人は何かを決断するのが難しくなる。何かを「決める」というのは、思っている以上に労力を使うものなのだ。ただ、だからといって重要な決断を他人に委ねてしまうと、後で悔やむ結果になりかねない。本書は、実直なこばちゃんの物言いや行動を通して、「自分で決めることの大切さ」をさりげなく伝えてくれている。
自分を取り巻く身近な世界で起こる諍いや競争は、人の心を窮屈にする。そんな時、どのように振る舞うかにより、その人の人間性が如実に表れる。面倒なことほど、自分で決められる大人であろう。本書を読み終え、私はしみじみとそう思った。
文=碧月はる