青春時代を自粛生活で過ごした若者が伝える「人と関わることの意味」。感染症の流行が人々に与えたもの、奪ったものとは何か?

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/3

私たちの世代は
私たちの世代は』(瀬尾まいこ/文藝春秋)

 泥がついた心を、まっさらに洗い流してくれる――。作家・瀬尾まいこ氏の作品には、そんな温かさがある。本屋大賞を受賞し、映画化もされた『そして、バトンは渡された』(文藝春秋)も、そうだ。血の繋がらない親に育てられた主人公の姿を通して、瀬尾氏は結んでは解け、また結ばれる人の縁の尊さを多くの人に伝え、希望を与えた。

 新刊『私たちの世代は』(文藝春秋)も、人と人は色々なところで繋がっていることを痛感させられる一冊だ。本作に描かれているのは、未曾有の感染症が流行したことで生活が一変する中、様々な問題を乗り越え、大人になっていった少女2人の姿。

 コロナ禍の日本を思わせる舞台設定となっているため、不自由な中でも繋がり、支え合う人の絆に、自分と親しい人の交流を重ね合わせて涙する人も多いだろう。

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■感染症の影響に振り回された少女たちの人生が交差して…

 感染症の流行によって、小学3年生だった冴の生活は一変。学校では分散登校が行われ、おしゃべりは禁止。騒いでいた頃が懐かしく思えた。

 そんな中、母親がお節介を焼いたことから、両親にネグレクトされているクラスメイトの男児・清塚と関わるように。母親と一緒に清塚の家へパンを届けに行き、1m離れて15分の会話をする日々を送る中で冴は、人と対面して交友を深めることの尊さを痛感する。

 だが、中学になり、元の生活を取り戻しつつある中で、いじめに遭い、心境が変化。人と深く関わることがなかった自粛生活を恋しく思うようになっていく。

 一方、遠方で暮らす同い年の心晴も不自由な日常に困惑していた。通っていた私立の小中一貫校では、タブレットによるオンライン授業がスタート。教育熱心な母はプロの講師に頼み、体育や英語をオンライン学習させるようになった。

 心晴は友達と交流できず、画面の中だけで日常が完結する日々に物足りなさを感じるも、母を悲しませないよう、勉学に励む。

 その後、分散登校が開始され、久しぶりに学校へ行くと、心晴の心をワクワクさせる出来事が。机の中に、無記名の手紙が入っていたのだ。そこには、感染症の影響によって不自由な学校生活を強いられていることへの不満が。共感した心晴は返事を書き、名も知らない相手と抑圧している不満を語り合うように。

 やがて、心晴は手紙の相手と会う約束をし、その日を待ち遠しく思うようになる。ところが、この約束を守ることも感染症の影響によって難しくなり、心晴の人生は大きく変わっていってしまう――。

■少女たちが教えてくれる「人と生きることの尊さ」に感涙

 各々の身に降りかかった問題と向き合い、生きづらい日々をなんとか乗り切ろうとする少女たち。その姿に、自身が味わった苦しみを重ね合わせる若者は、きっと多い。親世代は、少女たちの親にあの日の自分を重ね、不安を抱えながら我が子の生活を見守った記憶が蘇るだろう。

「たった数年の我慢」と片付けられることが、どれほど人を混乱させ、人生に影響を与えたのかを、本作を手に取ると再確認させられ、胸が締め付けられる。

 また、大人になった冴たちが不自由だった日々を振り返り、自分の過去や今の生き方を違った視点で見つめ直す姿から、読者は希望を貰う。

“家で過ごすことが最善だとされていたあの期間が私に与えたものは何だろう。私から奪ったものは何だろう。”(引用/P20)

 不自由な自粛期間の中で多くの人が抱いた、この問いに対する答えが本作には記されているように思え、心が震えた。

 人と関わる中では誰かの言動に傷つき、心を閉ざしたくなってしまうこともある。だが、それでも私たちは人を求め、人を愛す。そんな強さや、どうしようもなくこみ上げてくる人間愛が自分の中にもあるのだと、冴たちは教えてくれる。

 誰かとたわいもない話をし、愚痴をこぼせる日常はなんて尊いものなのだろう。本作に出会うと、あなたもきっとそう感じ、誰かと生きられる日々の大切さを噛みしめたくなる。

文=古川諭香