<宮部みゆきインタビュー>おちかが母親に、そして富次郎にも岐路が。ますます目が離せない江戸怪談シリーズ第9弾『青瓜不動 三島屋変調百物語九之続』

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/9

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年9月号からの転載になります。

宮部みゆきさん

 神田で袋物を商う三島屋の名物といえば〈変わり百物語〉。この店を訪れた語り手は、黒白の間と呼ばれる座敷で聞き手と向かい合い、長年胸にしまい込んできた怖い話、不思議な話を口にする。

取材・文=朝宮運河 写真=干川 修

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 宮部みゆきさんが2006年以来書き継いでいる時代小説シリーズ「三島屋変調百物語」。百物語を連作短編形式で書くという前人未踏の試みも、折り返し地点が見えてきた。

「次の次の巻あたりで50話に到達できそうです。百物語って100話語りきると怪異が起こるといいますが、途中で止めても障りがあるそうなんですよ。がんばって長生きして(笑)、99話書き切ろうと思います」

 三島屋主人の姪で、ある事件をきっかけに変わり百物語の聞き手を始めたおちかに続き、現在2代目の聞き手を努めているのが三島屋次男の富次郎。人当たりがよく食いしん坊の彼にとっても、語り手と相対する時間は大切なものだ。

「これは東雅夫さん(アンソロジスト・文芸評論家)の著作で知ったのですが、百物語は庶民の娯楽であると同時に、人生修養の場でもあったそうです。よくできた怪談は教訓を含みますから。それで武家社会でも盛んに行われていた。富次郎は繁盛している袋物屋の次男坊で、これまで挫折もなく生きてきました。しかし変わり百物語を通して、世間には自分とまったく違った人生を送っている人がいるんだ、ということを身に染みて知る。進路に悩んでいる富次郎にとって、それは必要な人生経験なんです」

連帯する女性たちの姿を書きたかった「青瓜不動」

『青瓜不動 三島屋変調百物語九之続』は4つのエピソードを収録したシリーズ最新作。巻頭に置かれた表題作では、おちかの出産という大きなイベントが描かれる。辛い過去を乗り越え、貸本屋の若旦那・勘一に嫁いでいったおちかの初産とあって、三島屋の面々も落ち着かない。そんな折、百物語の話し手が訪ねてくる。仏像を背負ったいねという女性は、どんな話を披露するのだろうか。

「ここ2、3年はっきりした夢を見ることが増えて、それが作品のヒントになることも多いんです。『青瓜不動』もそうで、畑の中から縞模様のあるかぼちゃみたいなものが出てくる、という夢を見たんですね。丸くて縞模様といえば古い仏像のようだし、イノシシの子にも似ているし、と連想しているうちに物語が生まれました。いねがアマガエルみたいという喩えは思いつきで書いたんですが、絵師の千海博美さんが可愛らしいイラストにしてくださって、すごく嬉しかったです」

 いねが語ったのは洞泉庵という彼女が暮らす庵の由来だ。その昔、お奈津という貧しい農家の娘が、家を飛び出して荒れ寺で暮らし始める。農作物が育たない土地を、青い瓜を植えることで改良し、生活の基盤を整えていくお奈津。やがてその寺には、行き場のない女性たちが身を寄せるようになった。「不幸せで、酷い目にあってきた女たち」が支え合い、生活の場を作り上げていくさまが、いねの語りから鮮やかに浮かぶ。

「ひさしぶりにいい話を書いた気がします。このところえぐい話が続きましたから(笑)。前巻の『よって件のごとし』では困っている人を助ける男たちを書いたので、次は女たちの連帯を書くんだという気持ちもありました。江戸時代に社会の規範をはみ出した女性たちが暮らしていくのは、大変なことだったろうと思います。現実は都合よく運ばないですが、こうあったらいいなという願いを込めて、洞泉庵の暮らしを書いていきました」

 そんな女性たちを見守るのが、畑から掘り出された不動明王像のうりんぼ様。不思議な力を秘めたこの仏像は、富次郎にもひとつの試練を与えてきた。

「おちかにとって一世一代の大戦ですから。彼女を近くでずっと見守ってきた従兄の富次郎にも、がんばってもらわなくちゃと思ったんです」

 第2話「だんだん人形」では味噌屋の三男・文三郎が、祖父から聞いたという昔話を語る。文三郎の先祖が住んでいた北国の某藩での出来事だ。ファンタジックな「青瓜不動」から一転、この話はとても怖い。

「一部で三島屋シリーズは別名・田舎ホラーだと言われるくらい地方の話が多いですけど(笑)、江戸の怪談だけだと間口が狭くなってしまうんです。この時代は藩が違うとほぼ外国ですから、地方を舞台にするとその土地ならではの風習や言い伝えを扱うことができ、話に幅が生まれるんですね」

 文三郎の先祖・文一は味噌屋の奉公人。味噌の醸造元である村を訪れた文一は、悪代官によって村人たちが連行され、虐げられている光景を目の当たりにする。次々と奪われていく罪もない人の命。身分社会の残酷さが、あらためて富次郎に突きつけられる。

「幕府の目が届かない差配地では、代官はいくらでも酷いことができた。だからこそ悪代官ものの時代劇が作られ続けるわけですけど、この話では強い用心棒がやってきて代官を打ち倒すのでも、領民たちの怨みが復讐を遂げるのでもない、違った形の解決を与えてみたかった」

 タイトルのだんだん人形とは、悲劇の舞台となった村で作られていた土人形のこと。事件の後、多くの人の無念がこもった土人形が不思議な働きをすることになる。

「この辛い昔話にはどんな意味が込められているのか、作中では富次郎に解釈させてみました。多くの話の聞き手を務めてきた富次郎には、それだけの知恵が備わっているでしょうから」

現代人にも共感できる、富次郎の悩みやためらい

 この巻にはおちかのお産と並んで、もうひとつ読みどころがある。富次郎が自らの人生について重大な決断を下すのだ。憧れていた絵師の道を行くのか、それとも父親や兄のような商売人になるのか。はたして富次郎が出した答えとは?

「おちかが幸せを手にし、富次郎もついに自分の将来と本気で向き合うべき時がきました。暢気に生きてきた若者が、やりたいことと現実のはざまで揺れ動く。現代を生きる読者にも、うん分かる分かる、という悩みだと思います」

 絵筆にまつわる怪談「自在の筆」と、奇妙な集落の暮らしを描いた「針雨の里」。後半に置かれた2つのエピソードは、富次郎の心の深いところと響き合い、決断を後押しする。

「富次郎が進路を決める時はこれを書こうと思って、この2作は以前からあたためていました。この巻は物語の幕切れに工夫を凝らしています。いつもなら本編が終わった後、女中のお勝が出てきて富次郎とあれこれ話をしたりするんですが、今回は違う形がふさわしいと思いました。いつもとの違いも楽しんでみてください」

 怪談だからこそ語ることができる世界のありようや人の強い思い。これまでに受け止めた多くの話に支えられて、富次郎は自分だけの人生を生きる。しかし、三島屋名物の変わり百物語はまだ終わらない。語り手と聞き手がいる限り、百物語は続いていく。

「三島屋シリーズではやってみたいことがまだあります。いつか書きたいのは(黒澤明監督の)『七人の侍』や『用心棒』のような話。太平と言われた江戸時代にも夜盗や山賊はいたはずなので、お膳立て次第では書けると思うんですよね。そういう空想をしている時がとっても楽しい。シリーズなので年に1冊は新作をお届けしたいと思っています。次は節目の10冊目。また来年ここでお話できるのを楽しみにしています」

宮部みゆき
みやべ・みゆき●1960年東京都生まれ。87年「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。現代ミステリー・ホラー・SF・時代小説と幅広いジャンルでベストセラーを放つ。主な作品に日本推理作家協会賞を受賞した『龍は眠る』、直木賞を受賞した『理由』の他、『本所深川ふしぎ草紙』『模倣犯』『名もなき毒』『この世の春』などがある。