母に強要された3度目の整形。容姿も進路も母の言いなりだった少女が虐待から抜け出すまで『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』
公開日:2023/8/16
自然体な自分でいることが許されないと、子どもの心は壊れる。『親に整形させられた私が母になる エリカの場合』(グラハム子/KADOKAWA)は親が望む人生を子どもに押し付けることの重さを痛感させられる、コミックエッセイだ。
本作はフィクションが織り交ぜられてはいるものの、作者の実体験がもとになっている。母親の意向で整形をさせられ、生き方を決められてきた主人公のエリカが自分らしい人生を手に入れるまでの葛藤が胸を抉るのだ。
■容姿も進路も母の思い通り…親の言いなりだった少女が“自分の人生”を取り戻すまで
エリカの母は、自分が思い描く理想の娘像を我が子に押し付けた。エリカの服装や髪型の決定権は母にある。気に入らない服をエリカが着ようとすると、母はハサミでカット。ショートヘアのほうが明るくて活発な子に見えるという理由で、髪も短く切られた。
進路の決定権も母親にあり、エリカは有名大学の付属高校に合格するよう受験を押し付けられる。気は進まなかったものの、母からのプレッシャーに追い込まれ、エリカは高校に合格。すると、母は美人のほうが得をするからと、エリカに二重整形を受けさせた。
「あなたのためを想って」という言葉で人生をコントロールしてくる母。エリカは、次第に自分の感情が分からなくなっていく。
自分たちの親子関係が歪なものであることに気づいたのは、高校3年生の頃。付属大学への進学をやめ、美容師になることを決めた友人が、親から夢を応援してもらっている姿を見て、自分たちの親子関係にはないものを感じたからだ。
私は、母から離れないといけない。そう思ったエリカは遠方にある学部への入学を決め、家を出ることに。母は下宿を認めるも、門限がある女子寮に住むよう、強制。高校の卒業式の翌日には二重幅が薄くなってきたからと、またもや二重整形を受けさせられた。
その後、大学生になったエリカは摂食障害を発症。きっかけは、帰省時に母から太ったことを指摘され、周囲から見下されていると言われたことだった。
エリカの状態を知っても、母は世間体を気にして心療内科には行かせず。住み込みでサポートすると言い、下剤を与え、エリカを無理やり学校に行かせた。
過食嘔吐に苦しみながらも、エリカはなんとか大学を卒業。母が望む職にも合格したが、心は満たされないまま。就職前、母からもう一度、二重整形をするよう勧められた時、ふと、「私は整形したいのだろうか」と思い、鏡を見つめ、心と向き合うことに。すると、今まで押し殺していた苦しみや本音が一気にあふれ出した。
この気付きを受け、エリカは生き方を変えようと決意。母との関わり方を見つめ直しながら、自分らしい人生を取り戻していく――。
児童虐待は、暴力やネグレクトなどの目に見えるものだけではない。愛という言葉で包んで、親にとって都合のいい子どもになるように生き方をコントロールすることも、許されない虐待だ。エリカの人生に触れると、つくづくそう思わされ、自分が親から与えられていたものや我が子に与えている「愛」と呼んでいるものの正体と向き合いたくなるはずだ。
また、本作は虐待サバイバーにとって、生き方を変えるきっかけを得られる一冊でもあると思う。なぜなら、エリカの人生を通して、必死に生き抜いてきた自分を褒めたくなり、心のままに生きる方法もあるのだということに気づけるからだ。
実は私自身も娘の行動を監視する毒母のもとで育った、虐待サバイバーだ。だから、親と生きる中で確立してしまった思考の歪みを理解し、自分を大切にしようと頑張るエリカの姿が、とても心に刺さった。あの頃とは違い、大人になった私は親がいなくても生きていける。人生は、いくらでも自分で彩っていける。そう感じ、未来が少し明るくなった気がした。
心の健康を保てる親子関係は、どう築いていけばいいのだろう。そして、本当の“親の愛”とは、どうあるべきなのか。そんなことも考えさせられるからこそ、我が子との向き合い方に悩む子育てママにも本作が届いてほしい。
文=古川諭香