「確実に負ける」データが出ていたのに、なぜ日本は無謀な戦争をしたのか。空気を読み続ける日本人への警鐘
更新日:2024/8/2
まもなく終戦の日がやってくる。毎年8月になると、戦争関連のテレビ番組なども増えてくるが、新たに明らかになった戦争の「実態」に驚かされることがある。猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦(中公文庫)』(中央公論新社)も、そうした一冊といえるかもしれない。もともとは1983年に刊行された本だが、2010年に中央公論新社にて文庫化。2020年に新版が発売され話題となった。
この本が教えてくれる、知られざる戦争の実態とは何か。それは、太平洋戦争開戦の8ヶ月前となる昭和16年の4月、当時の帝国政府が各省庁や軍部のほか、朝鮮や満州など外地の政府機関、日銀やその他民間企業から30代前半のエリートたち30名余りを招集し、「総力戦研究所」という機関を立ち上げていたということ。そしてその研究所では「もし日本がアメリカと戦争することになったら、日本は負ける」と、極めて現実的なシミュレーションをしていたという事実だ。
総力戦研究所がそのようなシミュレーション結果を出したのは、「模擬内閣」での徹底的な討論によってだ。大蔵官僚は大蔵大臣、日銀出身者は日銀総裁、新聞記者は情報局総裁のように役割分担し、それぞれが出身の省庁や会社から可能な限りの資料やデータを持ち寄って検討を重ねたという。そして導き出されたのは、「緒戦は優勢ながら、徐々に米国との産業力、物量の差が顕在化し、やがてソ連が参戦して、開戦から3~4年で日本が敗れる」という結果。その後の日本が辿った道をズバリ言い当てているのに驚くが、さらにビックリなのは、この結果は近衛文麿内閣に報告されたものの「無視」されたという事実だ。
陸軍大臣だった東條英機は「君たちの言うこともわかるが、“日露”がそうだったように、戦争はやってみないと分からない」と感想を述べたというが、当時の社会には「開戦は避けられない」との気運がすでにあり、政府は「データより空気」を優先したわけだ。このシビアな結果をもう少し真摯に受け取っていたら、その後の不幸は多少なりとも避けられたのではないだろうか。
この後、近衛内閣は退陣し、東條内閣が成立。日米の緊張がさらに高まる中、「大本営・政府連絡会議」では、開戦を決断するために「石油備蓄」に関するデータを意図的に読み替えていく。実はデータ自体も、本当はジリ貧の状態なのに、皮算用の期待値を積み上げて「開戦可能」の裏付けにできるよう恣意的に作り出されたものだった。つまり「空気」を優先してデータをねじまげていたわけで、先にあげた総力戦研究所のエピソードと過ちの本質は同じだ。ただしこちらは「開戦の決断」に直結しているだけに、さらに愕然としてしまう。
ところで、こうした実態を「だから日本軍はダメなんだ」と、過去の過ちとばかり切り捨てるのは尚早だろう。実は「データより空気」な態度は、現代の企業不祥事や不透明な政治的決定などにおいて、私たちにも既視感があるもの。のぞましい結果になるように記録を改ざんしたり、データの裏付けのない決定をしたり…つまり依然として日本社会の「悪い癖」であり続けているわけだ。綿密な取材を重ねて編まれた本書が教えてくれるのは、「そんなことを重ねていると“最悪の結果”につながっていく」という厳然たる事実にほかならない。
こうした教訓はより多くの人、特に未来を担う若い世代にこそ共有してほしいとつくづく思う。時代を超えて警鐘を鳴らし続けてくれている本書を、ぜひ手にとってみてほしい。
文=荒井理恵