「食す」と書いて「おす」と読む? 発酵デザイナーの旅を追体験しつつ日本の食文化を学べる異色のグルメ本
公開日:2023/8/5
「食国」と書いて「おすくに」と読む。パソコンの文字変換でも、「おす」は「食す」とは変換されませんし、「おす」と言えば最近では「推す」という言葉を思い浮かべる人が多いでしょう。ご紹介する『オッス!食国(おすくに) 美味しいにっぽん』(小倉ヒラク/KADOKAWA)では、発酵デザイナーという異色の肩書を持つ著者・小倉ヒラク氏が、日本人にとって当たり前の食べ物である調味料が一体どこから来て、どんな物で、そしてどこに向かっていくのかを解説しています。
章立ては「米と麹」「塩と醤油」「味噌」「だし」「お茶と懐石」「おすし」「栗・豆・麦・芋」「獣と鯨」となっていて、これらは小倉氏流のアプローチでは、「神饌(しんせん)」というキーワードで取りまとめることができます。お祭りなどで神様に献上する食事のことです。
万葉集には、歌人・大伴旅人が、現・福岡県の大宰府に滞在していたときに「奈良の都を恋しく思うか」と聞かれて「奈良もここも、同じ天皇が治める食国なのだから同じだよ」と答えた歌が残されているといいます。万葉集が編纂された7~8世紀にかけて、「召し上がりなされる物を作る国」ということで、「食国」が日本そのものを指す言葉だったということです。
神の治める日本列島に住む共同体のメンバーの大事な仕事は、生成された食物をうまく収穫・加工することだった。神と民の、食をめぐるコール・アンド・レスポンスこそが「国をお(食/治)す」ことだ。食をめぐる生成と循環が、すなわち世界の生成と循環を司っている。
食(お)すことは、治(お)すことなのだ。
人はなぜ食べるのか? この原点に立ち返って著者は考えを深めていきます。まず、体を維持するという生物的理由。次に、食卓を囲んで食べてコミュニケーションを育むという社会的理由。そして、本書で真のテーマとされているのは、捧げられた食べ物が私たち人間に「働きかけ」をおこなっているという考えが、いまだに日本文化に遍在しているということです。これは例えば「お米一粒の中にも神様が宿っている」というような考え方で、食べ物自体が持つストーリーによって、ある種「食べさせられる」という「裏返り」がおこることです。このようにして、「食」は「治める」という意味合いを帯びるようになったのです。
もちろん現代に近づくにつれて、エンターテインメントとして食べ物を口にすることは一般的になっていきます。本書でも、神聖、深遠な事柄だけではなく、いわゆる普通のグルメ本のように純粋に「おいしい」という観点から、国内外の様々な土地の知られざる発酵食品が紹介されています。
徳島県阿波市の「ねさし味噌」。これは大豆だけでつくる味噌玉だ。蒸煮した後に円盤状に成形した大豆にびっしりとケカビを生やす。そして大豆チーズになったらそこに塩と水を加えてそのまま味噌にしてしまう。「コウジカビをつける」プロセスすら省略した、限りなくワイルドな味噌で韓国のメジュ(発酵調味料のスターター)のようだ。豆味噌をチーズ化したような摩訶不思議な味わいに脳みそがバグる。
この「ねさし味噌」はおよそ400~500年前からつくられるようになったそうですが、本書では「大陸の豆醤の末裔」と表現されています。大陸というのは中国のことで、豆醤は6世紀の中国最古の農学書『斉民要術』に既に記載があり、日本では701年制定の『大宝律令』に調味料を司る役職「主醤(ひしおつかさ)」が表記されているのが「醤」的な発酵調味料が最初に記録としてみられる文献だということです。
このように、圧倒的な知識量と調査量、そして実際に現地に足を運んで自分自身で食べ物を味わっている「旅量」をもとに展開していく本書は、発酵食品や日本という国のルーツに関する理解が深まるだけでなく、紹介されている食品や食文化を味わえる当該地へ旅に出たくなる一冊になっています。
文=神保慶政