ジブリ最新作『君たちはどう生きるか』に影響を与えた1冊。80年以上前の本でも現代に通じる「教育、政治、人権、貧困」について

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公開日:2023/8/4

君たちはどう生きるか
君たちはどう生きるか』(吉野源三郎/岩波文庫)

「老兵の一撃って感じだったな」と筆者の友人がぼそりと言った。私は少し驚き、明るくなった劇場内で友人の横顔を見た。私たちはジブリの新作映画「君たちはどう生きるか」公開初日に近所の大型ショッピングセンターに行き、コーラを飲みながら並んで観た。上映が終わりぼんやりとした頭で喫煙所を探し、スライドドアを開けて自分の感情に最も近い言葉を探していると、友人が煙草を咥えながら「主人公がさ、『君たちはどう生きるか』を読むじゃん、読む前と後とで彼の感じが変わったよね」と言った。

 吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)は、1937年(昭和12年)に新潮社から初版が発行されている。1931年の満州事変で日本の軍部がアジアに侵攻し、軍国主義が勢力を強めていた時代である。同じくしてヨーロッパではムッソリーニやヒトラーが政権を取り、第二次世界大戦の暗雲が立ちこめていた。

〈愛校心のない人間は、社会に出ては、愛国心のない国民になるにちがいない。愛国心のない人間は非国民である。だから、愛校心のない学生は、いわば非国民の卵である。われわれは、こういう非国民の卵に制裁を加えなければならぬ。〉(『君たちはどう生きるか』五 ナポレオンと四人の少年)

 昭和初期の市民の状況がよく表されているセリフである。80年以上経ち、令和5年の現代ではどうか。教育分野では高校教科書検定において第二次大戦中の「日本の加害」が修正され、国際分野では日本に逃れ難民申請した人への難民認定率は0.3%という非常に低い水準を割り出している。教育、政治、人権、貧困……。今の日本でも、「愛国心」そして「制裁」という思想が強固になっているのではないだろうか。

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 話を吉野の『君たちはどう生きるか』に戻そう。主人公は中学二年生の「コペル君」。背が小さく、無邪気ないたずらが好きで、学校の成績順は一番か二番といった秀才。そして二年前に父を亡くしている。母と共に旧市内の邸宅から郊外のこぢんまりとした家に引っ越し、ばあやと女中の四人で暮らしていた。物語はコペル君と近所に住んでいる叔父さんの対話(それは主に手紙で行われる)が軸になっており、法学士の叔父さんはコペル君に様々な学びを授ける。

 叔父さんとの対話は、十章にわたり書かれている。「一人一人の人間は広いこの世の中の一分子なのだ」(一 変な経験)といったことや、文学者や思想家がつくった作品や論文を基にして「君自身が生きてみて、(中略)はじめて、そういう偉い人たちの言葉も真実も理解することが出来るのだ」(二 勇ましき友)と伝えたことなど……。

 印象深かったのは、「弁当に油揚げを入れてくる」という理由でからかわれていた同級生、井浦君の家を、コペル君が訪問したエピソードである。豆腐屋に生まれ貧しい暮らしをしている井浦君とコペル君では、家の「階級」に明らかな差があった。解説で丸山眞男が述べているが、階級とは「生活様式や家庭の人間関係、教養、言葉遣いにまで及ぶちがい」である。

〈-いいか、よく覚えておきたまえ、-今の世の中で、大多数を占めている人々は貧乏な人々だからだ。そして、大多数の人々が人間らしい暮らしが出来ないでいるということが、僕たちの時代で、何よりも大きな問題となっているからだ。〉(四 貧しき友)

 ジブリ映画の主人公は、母の字に導かれ(それはまるで遺書のようだ)、本書を読む。そして本稿で引用した数々の学びを得て、新しい生活を失わないための冒険に出ることになる。では、それを傍観していた私たちはどうか。今は新しい戦前である、と指摘する人がいた。吉野源三郎に、そして宮崎駿に学びを授けられ、どう生きていけばよいのだろうか。彼らの問いかけに、まるで主人公のように勇敢な心身をもって、私たちは答えなければならない。

文=高松霞