妊婦はできないことが多い「准弱者」。夫との壮絶な喧嘩、出生前診断は命の選別になり得るかなど、様々な葛藤を乗り越えた妊娠エッセイ『わっしょい!妊婦』

出産・子育て

公開日:2023/8/20

わっしょい!妊婦
わっしょい!妊婦』(小野美由紀/CCCメディアハウス)

 過去、出産を二度経験した。子の父親との諍いが絶えなかったこともあり、妊娠中の記憶は、私にとってあまり優しいものではない。それは、脳内の記憶というより、体内に刻まれたデリート不可の「記録」のようなものだ。

 しかし、妊娠から出産に至るまでの日々が赤裸々に描かれたエッセイ『わっしょい!妊婦』(小野美由紀/CCCメディアハウス)を読んだところ、10年以上消えなかったわだかまりが驚くほど薄まった。昔の自分を丸ごと肯定してもらえたような安心感と、子の父親が抱えていたであろう葛藤。その両方がドッと押し寄せてきて、思わず涙腺が緩んだ。

 著者は、30代半ばまで「子どもを持つ」選択肢から縁遠いところで生きてきた。だが、信頼できるパートナーを得て、「子どもを産みたい」と強く思うようになる。その後、妊活を経てめでたく命を授かるわけだが、十月十日の妊婦生活は一筋縄ではいかなかった。本書では、妊娠中のマイナートラブル、出生前診断、夫との壮絶な喧嘩、過去に経験した人工死産など、「妊娠・出産」のさまざまな側面について多角的に綴られている。

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 妊娠の影響を身体・社会的に受けるのは、言わずもがな女性である。しかし、本書は当事者である女性以外にも、広く開かれた内容だと感じる。その一端を担っているのが、著者の夫氏が随所に書き込んでいるメモ書きだ。

 一つ、例を挙げる。

“親の愛はスーパーパワーではない。親として責任を取ることと、親の愛ですべてをなんとかすることはイコールではない。”

 著者のこの言葉に対し、夫氏は次のようなメモ書きを添えている。

“愛は強い動機にもなりますし、エネルギー源にもなりますが、「物理的な限界」もあります。限界を超える「奇跡」もありますが、いつも奇跡を期待するのは無理筋です。”

 本書では、至るところでこのように夫氏が自分の意見を述べている。それは時に著者への労いであったり、反論であったり、社会に望む祈りにも似た想いであったりする。それらの言葉は、“当事者性”にあふれていた。「父親」である男性の「親としての当事者意識の欠如」が叫ばれて久しい。だが、本書を読んで、父親となる側もまた、大いなる戸惑いと葛藤を抱えていることに気付いた。著者は、そういう人たちにこそ読んでもらいたいと願い、本書を執筆したのではないだろうか。

「わからない」から不安になる。「理解できない(されない)」から憤る。妊娠中の夫婦喧嘩の大半は、これらに集約される。だったら、「知ること」からはじめればいい。否応なしに訪れる体の変化、ホルモンバランスに振り回される制御不能な感情、度重なるマイナートラブルと、それに付随して起こるキャリアの変容。それらすべてを言葉にするのは、妊娠の渦中にいる女性にとって、あまりに荷が重すぎる。だが、この一冊にはそのすべてが詰まっている。もしも私が妊娠中に本書に巡り会えていたら、間違いなく子の父親に「今すぐ余すところなく読んでください」と懇願していただろう。

 本書では、妊婦の心情のみならず、専門的な知識に加えて、行政や病院での処遇についても詳しく触れている。また、感情面に関しても決して高圧的な筆致ではなく、むしろユーモアたっぷりに妊婦ならではの苦難を表現している。

“「女性ホルモン」というからには女性の味方だと思っていたのに、実際は苦しみ倍増、まるで私たち友達だよねと言いながら彼氏を奪ったり、知らないところで悪い噂を広めたりする「フレネミー」みたいだ。”

 この一文を読んだ瞬間、比喩ではなく変な声が出た。「共感」と「爆笑」が混ざり合うと「ダハッ」という声が出ることを、生まれてはじめて知った。

 著者は、妊婦になって“できないこと”が増えた自分を「准弱者」と表現している。「妊娠は病気ではない」と言う人がままいるが、実際には妊娠することで生活は著しく制限される。そこに生じるジレンマは並々ならぬものがあるが、著者は「できない自分を受け入れよう」と決めた。その決意の裏側には、さりげない優しさをくれた人々の存在があった。

 一つの命をこの世に生み出すミッションは、まさに命がけだ。家族と社会が支え合い、助け合える空気が生まれることは、妊婦のみならず、あらゆる人々にとって“優しい世界”につながっていく。本書を通して、私はそんな確信にも似た予感を抱いた。

文=碧月はる