カルト被害「私だけは大丈夫」は通用しない!脱会者が記す“カルト入門書”から学ぶリスクの回避方法とは【書評】
更新日:2023/8/22
大学生のとき、高校時代の友人から突然電話がかかってきたことがあった。級友だったものの、放課後に連れ立って遊びに行くほどではなかった友人だ。大学受験が上手くいかなかった、という噂は他の友人から聞いていたが、「今、先輩たちと野菜を作ってるんだ。皆いい人だから、一度来てみない?」と楽しそうに話すあまりにもハイな状態の彼の声を聞き、「おそらくこれはあのカルト団体ではないか?」と思った。
筆者は小学生のときに聖書の勉強をしている友人がおり、興味本位でくっついて遊びに行ったところ、聖書の内容を教えていた方から身に付けていたお守りを見咎められ、「次からは外してくるように」と冷たく言われたことで不信感を抱き、10代から宗教やカルトに関する様々な本を読んで知識を蓄えていた。ゆえに私は彼の話を逸らして昔話や日常のことを話すようにしていたので、行く意思がまったくないと思われたのか、早々に話を畳まれ電話を切られてしまった。それ以後、彼の消息は杳として知れない。
カルトというのは私たちのすぐ近くにいて、正体を隠す仮面をかぶり、誰もが抱える心の弱みにつけこんでくる。つい甘言に足元が揺らぎ、ぽっかりと開いた暗い穴へ落ちてしまったら、マインドコントロールされて簡単には抜け出せなくなってしまう。しかもどんな人でもカルトに取り込まれてしまう危険性がある。「私だけは大丈夫」は通用しないのだ。しかし怪しげな宗教やカルトについての知識があれば、簡単には穴に落ちなくなる。近年政治との癒着や宗教二世の問題など、宗教やカルトに関する問題がクローズアップされているが、入門編としてぜひ読んでおきたいのが『私が「カルト」に? ゆがんだ支配はすぐそばに』だ。
著者のお二人はそれぞれ元エホバの証人と旧統一協会の脱会者で、その後キリスト教を学んで牧師となり、現在は日本基督教団(The United Church of Christ in Japan、略称UCCJ)でカルト問題連絡会の世話人として活動する齋藤篤さんと竹迫之さんだ(監修は牧師であり日本脱カルト協会顧問でもある、近代キリスト教思想の研究、カルト・宗教被害の研究・調査を専門とする東北学院大学文学部総合人文学科の川島堅二教授)。
プロローグの「この本を書くまでのわたしの半生記」に綴られた、元エホバの証人1世の齋藤さんと元旧統一協会1世の竹迫さんの体験は本当に恐ろしかった。宗教に興味を持った若いとき、たまたま目の前にあったところへ行ってしまったがために大変な目に遭うお二人……なんとか脱会し、マインドコントロールを解いて自らを取り戻すまでの過程はとても生々しく、仮面が外れて正体を現した後の“仲間だと思っていた人”からの仕打ちはあまりに酷かった。本書のタイトル『私が「カルト」に?』には、2つの意味が付与されているそうで、ひとつは「カルトになんてハマらないと思っていた自分が被害者になるかもしれない」こと、そしてもうひとつは「カルトにハマったことで自分が加害者になってしまう」という可能性である。その恐ろしさを身を以て体験した人の言葉は、一読に値する。
本書は宗教とカルトの違いとは何か、カルトの定義や語源についてといった基礎から、彼らがどうターゲットに近づき、マインドコントロールはどう行われるのかなど、具体的な内容が詰まっている。さらにカルト被害防止についての提言は、ネット上などで見られる行動=自らの「正しさ」を盲信して行動するがゆえに抱えてしまう脆さを持つ人間の矛盾についても考えさせられるだろう。人には脆弱性があることを受け入れた上で行動しなければ、邪宗やカルトによる被害は減りはしないのだ。あなたを、そしてあなたの大事な人を被害から守るため、わずか130ページほどのこの小さな本をぜひとも手元に置いてもらいたい。
文=成田全(ナリタタモツ)