「泣いてちゃダメ。飛び立って」と、背中に羽を生やしてくれた路傍の猫。『イオビエ』からポストカードブックを発売するまでの思い【猫沢エミインタビュー】
公開日:2023/8/31
猫との暮らしを描いた『ねこしき』『イオビエ ~イオがくれた幸せへの切符』(ともにTAC出版)などで人気のミュージシャン・文筆家の猫沢エミさん。愛猫・イオちゃんとのお別れからほぼ1年後、猫沢さんはフランスに完全移住し、現在は2匹の猫とフランス人パートナーとパリに暮らす。そんな猫沢さんの新刊『猫沢組POSTCARDBOOK あなたがいてくれるなら、私は世界一幸せ。』(TAC出版)は、猫愛にあふれたポストカードブックだ。なぜこの本を作ろうと思ったのか、パリに住む猫沢さんにお話をうかがった。
(取材・文=荒井理恵)
●「かわいくてやさしい世界のもの」を作りたかった
――ポストカードブックのアイディアはどうやって生まれたんですか?
猫沢エミさん(以下、猫沢):前作の『イオビエ』のベースは、2021年3月に逝去した四代目愛猫・イオについてのInstagramでの投稿だったんですが、その中で、格言めいた文章をイオだけでなく、我が家の猫たち(二代目ピガ、三代目ユピ)になぞらえて書くことが時々あったんですね。『イオビエ』を書いている際にそれを発見して、編集の田辺と「このままにしておくのは、ちょっともったいないね」って、話はしていたんです。それと私自身が『イオビエ』で、ものすごく死生観について考え尽くして、終わったらすっかり疲れ果ててしまっていたのと、田辺は田辺でお父さまが急逝されたりというのも重なって「もうちょっと、かわいくてやさしい世界観のものを作りたい」と話していました。ちょうど『イオビエ』に収録しなかった写真もたくさんあったので、「それなら誰かに言葉を送れるポストカードがいいかも…」と、この形に決まったんです。
――確かに前作の重さをふきとばすような猫ちゃんたちの愛らしい姿に救われます。
猫沢:『猫と生きる。』『イオビエ』は、意義のある本だと思ってはいますが、読むのに力が必要な本であることは確かです。だから読者の方々と一緒に、作り手の私たちもこのポストカードブックで癒されようかなと。これっていわゆる“雑貨”のひとつだし、「単純にかわいいと思って買って、よく見たら深いことが書いてあった」とか、これまで私のことを知らなかった方にも新しい入り口になってくれたらうれしいですね。そして「本」というのは形的に閉じられていて飛び立てないですけど、ポストカードなら、誰かに送ったりして旅ができますよね。ポエムの内容に合わせて、元気のない友達にはこれ、仲直りしたい友達にはこれ、なんていう具合に伝えたい思いを選んで送ることができますしね。
――それぞれのカードに添えられた言葉も何気ないようでグッときます。
猫沢:あの言葉たちを形にするには、時間的には1日半くらいでした。フランス語と日本語の二つの言語で書かれているのは、私の中に日本語とフランス語の二つの言語があって、ひとつの言語だけで表現できないところを二つの言語で表現したいという希望がありました。結果、フランス語のポエムカード集としてもいいものにできあがったと思うので、将来、フランスでも出版されたらいいのになあ(笑)。
――1日半で言葉が出てきたのは、ご自身の中にすでにいろいろ言葉があったからでしょうか?
猫沢:そうですね。言語化してまとめるのは1日半でしたが、ある意味これまでのすべての時間を使って書いたとも言えるかもしれません。若い頃から何かを考えるときには、割と深く考えて「あ、そうか」と自分なりの「哲学」みたいなものを導きだすところがあって。そういうのが死ぬほど自分の中にあるので、それに近い気持ちになったときに、ぱっと言葉が出てきたりするんです。だからInstagramもそんなスタイルで書いていて、ある情景を見た瞬間に思ったこと、すごく微細で書いておかないと流れてしまうことを写真とともに記録しています。心の俳句帳みたいな感じでしょうかね。
――なるほど。このポストカードブックの言葉たちは、そんなInstagramの延長でもあるわけですね。
猫沢:そうですね。Instagramで最初から文章が完成しているのはよけておいて、あとは写真をセレクトしながら文章を書いていきました。いくら写真がかわいくても言葉が浮かばないのは困るし、逆に入れたい言葉に写真が合わなかったらダメだし、前作まではイオちゃんだけがクローズアップされていたので、今回はピガとユピとイオちゃん、そしてパリで一緒に暮らした初代愛猫のピキも入れた、通称・猫沢組の4匹で。今もピガとユピは元気で、イオちゃんとピキはスケスケだけれど、やっぱり一緒に暮らしているんですよね。私の中には当然生きているし、だからこのポストカードブックでも、あんまり生とか死とか関係なく「4匹がそこにいる」っていう平等な扱い方がいいなと思いました。もちろん、今もイオちゃんのことに関しては生々しくて、彼女だけが出てくるカードを見ると涙が出ますし、私の人生を変えるくらいの大きいものを残したなあ、なんて深く考えたりして、たぶんそういうのは変わらないと思うんですね。ただ「すごいねー、イオちゃん」って思います。これまで私に2冊も本を書かせて、最後にこんなかわいいポストカードまで出させちゃうんですから。
●50歳を過ぎ、何一つ日本に残さずにはじめたパリでの暮らし
――前作の『イオビエ』の最後で猫沢さんはフランス・パリに移住され、この取材もオンラインでしています。パリの暮らしはいかがですか?
猫沢:…幸せです(笑)。イオちゃん、両親、親友の旅立ちを全部済ませて、さらにマンションも潔く売って何一つ残さずにフランスに旅立つというのは、50歳を過ぎてすごい賭けに出た感じですが、これが16年悩み続けて出した答えでもあって。日本にいた期間というのは、社会的立場というか、大人として果たさなければいけないことを全部やりきらねばならない時期だったんですね。それこそいろんな苦労のバリエーション、越えなきゃいけないことがたくさんだったんですが、今思えば、そういう苦労にすごく恵まれて、そこをひとつずつクリアすることで、自分なりの「好きな自分」を手に入れてきたなという実感があります。人生をきっちり作り直し、これからの人生にいるもの・いらないものを全部整理してここまできた「やった感」もありますし。ただ、さすがに日本に50年いたので根は生えてるし、故郷である日本のことももちろん大好きだし。そういうのを一気に引きちぎってロケットみたいに脱出するわけですから、それにはものすごい量のブースターが必要だとわかりました。ものすごいエネルギーを使って祖国の引力から逃れる、みたいな(笑)。
――精一杯猫生を生きたイオちゃんの存在も、「今を大事にしろ」というブースターになったのでは?
猫沢:イオちゃんを亡くしてからしばらくは、ほんとにフランスの“フ”の字も考えられないくらい、三途の川のほとりに未だ佇んでいるような状態が続いたんですが、あるときイオちゃんが、祭壇の前で泣いている私の背中に羽をはやしてくれたイメージがふと見えたんですね。その時、「あなたの足手まといにならないように、これからの人生を一緒に楽しむために自由になったんだから、泣いてちゃダメ。飛び立って」って声が聞こえた気がしたんです。彼女の死を通して最終的に行き着いたのは、形のあるなしは大事なことじゃなくて、その存在から愛を受け取った人が、愛を忘れずに自分の人生でどんどん生かしていくと、その中に「たましい」が生き続けるという明るいイメージでした。一度死んでしまったイオちゃんが二度死んでしまうかどうかは、愛を残してもらった私自身の心持ちひとつだし、もう二度と彼女を死なせるものかと思いました。イオの逝去からたった3日後に親友が急逝した追い討ちもあり、どん底の哀しみまで下がったところから、1年くらいで心の整理や家の処分、社会的な手続きもいっぺんにり遂げましたが、両親の見送りも含めた、ここ5~6年の大切な存在の死が、逆に残された私の生に火をつける強力なブースターになったのは確かですね。
――その結果の「今」は、人生のご褒美?
猫沢:ファンタジーっぽいかもしれないけれど、ものすごく大きなイオちゃんからの贈り物だと、日々私は思って感謝しています。もちろん、そこに至るまでは自分のがんばりもあったでしょうが。パリに来る前は、パートナーとの関係も「一緒に暮らしてみないとわかんない」って悩んでいた時期もあったんですが、いざこっちに来てみたら「やっぱりこの人だったな」としみじみ思いましたし。イオちゃんには「だから言ったじゃない。そんなの心配するなって」って言われてる気がしますけど(笑)。もちろん外国人の移民としては大変なこともありますけど、自分が納得してここに暮らして、今は一分一秒ごとに「生きてて幸せだな」と感じながら、人生のクオリティを上げることに喜びを感じています。すごく些細なことですけどね。たとえば夜、お風呂上がりに、日本から持参したいいお茶を彼と一緒に飲む習慣をパリ生活の中に取り入れたんですが、パリでもなかなか入手できないハイクオリティなお茶を、夜中にこっそり淹れていたりすると「すごい。なんて贅沢」って(笑)。そしてしみじみ思うのは、人間ってほんとうに掛け値なしにいろいろがんばると、いいことあるんだなっていうこと。諦めずに続けていくと、そのハードルを越える日が来るというのは、私が人生で知った希望のある真理ですね。
●場所は関係ない。「自分と暮らす」体験が大事
――猫沢さんはそうした「幸せ」をパリで日々発見されているわけですが、どこでなきゃいけない、ということではないですよね。日本だっていいわけで。
猫沢:もちろんです。私がそのベースを作ったのは日本ですから。40歳くらいでパートナーと別れて一人になったときにわかったのは、「孤独」というのは「自分と暮らしてみる」っていうことだったんですよね。できていない自分と二人で暮らして、どうやったら自分を癒したり育てたり、作り直したりしていけるかで、それにはどこで暮らそうが関係ないんです。大事なのは「自分とだけ暮らしてみる」こと。その体験があったら、いつか年を取ってパートナーがいなくなっても、孤独ではなく「自分と暮らす」という感覚を忘れずにいられると思う。
――「ひとり旅=自分と一緒に旅をすること」とも聞いたことがあります。どこか共通しますね。
猫沢:そう。正しく自分とつきあえると、傷ついた自分をちゃんと自分が癒せるし、そういう人は他者にもできるんですよ。人を癒したいなら、まずは自分を癒さなきゃいけないし、人を救いたいなら、自分のコンディションがよくなきゃできない。人にはやさしくできるのに、自分にはできないっていう人がしてあげることって、たいてい押し付けになっちゃいますから。
――「自分と二人でいる」のに、猫沢さんにとってはパリがよかった?
猫沢:あんまり東京とかパリとか関係ない気もしますが、たとえば私が思っていることを全部言ってしまったりすると、東京だとちょっとエキセントリックで別枠みたいに見られたりしがちだったのが、パリだと、人と意見が違うことは当たり前というスタンスがあるので気にならないっていうのはありますね。あと子どもの頃から顔つきも日本人っぽくなかったんですが、そこもインターナショナルな土地だから浮かなくていい(笑)。日本ではどうしても肩書きや、年齢や、性別で人を判断しがちなので、そこにも苦しさを感じてましたが、プライベートで会うフランス人はすごく本能的で、その人が好きかどうか、話してみて面白いとかそういうところで評価するんですよね。そういうところもすごく楽。「私は私で全然いいのだ」と、ますます思えました。
――「私で全然いいのだ」っていいですね! 年をとると、ちょっと上げていかなきゃーみたいに思うときもありますが、無理しないのも大事だと思ったり…。
猫沢:そうです、そうです。50歳って日本の一般的なイメージではおばちゃんだし、恋愛対象じゃないみたいなイメージだし、この先は下り坂みたいに思われますけど、そんな先入観って、きっと私たちの代から変わっていくと思うんですよ。特に女性は体力的にも、状況的にも、ここからもうひとつ上がっていけると思います。もちろん落ちる日があってもいいけれど、それでも「自分の人生、愛してるな」「これでいいな、ポジティブだな」って思えるかどうかが、大人としてすごく大事なんじゃないかと。たまにいますよね、自分の機嫌を隠せないタイプの人。そういう子どもっぽいことをすると、周りの人にも気を遣わせちゃうから、私はそういうの嫌なんですよ。責任を持って自分の機嫌をコントロールする。だからといって無理に元気に見せるわけでもなく、ダメな日ははっきり「こんなことがあったから気にしないでね」と先に説明してしまって、相手に気を遣わせないようにします。他者に余計な気を遣わせないように生きられるっていうのは、実は「その人が整っている証拠」なんだろうなって思います。