古舘伊知郎「小さい頃からあがり症で滑らかに喋れない」―初の実況小説で告白する、“喋り屋”人生への嘘と偏愛

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/27

古舘伊知郎氏

 「古舘節」と形容されるプロレス実況で人気を博し、46年間、喋ることを生業としてきた古舘伊知郎氏。初の“実況小説”には『喋り屋いちろう』(集英社)というタイトルがつけられている。

 あの、古舘節による実況が文字にしたためられ、実況と実況の間には、古舘氏が“喋り屋”になるまでの青春の日々が綴られている。それは人との巡り合いの物語であり、昨年亡くなったアントニオ猪木さんに贈る言葉でもあり、エピローグの最後に書かれた一言は温かくも切ない。

 現在も“自由な喋り手”として発信しつづけ、注目される存在だ。本人の言葉によると、人は「道に迷って、どこかにたどり着く」という。ならば、彼はどのようにして今の場所にたどり着いたのだろうか。

取材・文=吉田あき 撮影=金澤正平

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「ぜんぶ、嘘だし、ぜんぶ、本当」の実況小説

――本書のプロローグには「ぜんぶ、嘘だし、ぜんぶ、本当だ」と綴られています。アントニオ猪木さんをはじめとするプロレスラーやみのもんたさんなど著名な方々のエピソードが語られていますが、これらのお話は嘘であり本当でもある、ということでしょうか。

古舘伊知郎(以下、古舘):もちろんもちろん、どんな解釈でも。ただ僕が思うに、記憶っていうのは嘘をつくんです。人には一本化した記憶があるから、記憶を頼りに揺らぐことなく生きていけるんですが、その反面、記憶は改竄される。だから僕は記憶を信用していない。実況アナ出身で、脳内にある映像記憶を思い出しては「記憶力いいね」と言われるのが自慢ですけど、その映像記憶さえ更新されるんです。この本に書かれた記憶も大分作り替えられているんじゃないかな。

――知らないうちに、実際には見ていないような映像が脳内で作り出されていると。

古舘:そうですね。脳内に加工アプリがあるんですよ。もう一つ、世の中には「それって本当?嘘?」という二元論が横溢しすぎていると思うんです。ロシアは絶対悪で、ウクライナはいい人。でも実際は、この戦争で人の命が失われて大儲けしている人がいっぱいいるんだから、ロシアは最悪、だけどウクライナや日本だって“ちょい悪”ですよ。世間ってずるい。僕は、二者択一ではなく、何事も虚実をはっきり分けられないと思うから「ぜんぶ嘘だし、ぜんぶ本当」と書いちゃった。

――その考え方はある意味、物事に執着せず、楽に生きられるような気もします。

古舘:楽になる時と疲れる時がありますね。どっちかというと白黒決めたほうが、はい次!って次に進めるから合理的。タイパ、コスパの時代にぴったりなんじゃないですか。「グレー、いや、ミディアムグレー。とは言えなくもないけど、言えない」とか考えるのって疲れますよ。

――古舘さんもずっと考えてしまうタイプですか。

古舘:完全にそうです。答えが出ないところを考えるのが好きになっちゃいました。もう癖なんで。開き直りですね。面倒なんですよ、答えが出ないことに思いを巡らせるのって。でも、美味しいでもまずいでもない料理を食べるのも好きになっちゃいました。

喋り屋人生を無理矢理に盛り上げてきた

――46年間、喋り屋として活躍してきた古舘さんが、じつは極度のあがり症で吃音だった、という記述には驚きました。

古舘:吃音に関しては嘘です。でも、あがり症は嘘じゃないんですよ。小学校の頃からずっとそうなので。1人でいるとネガティブになるし、口が重いし、どんどんどんどんこうやって…低音になっていく。それが実況となると、“歌”のように抑揚をつけてバーっと喋るので、声のトーンが上がって、滑舌が良くなって、楽しくなってくる。これを“舌先のねぶた祭り”と呼んでるんです。普段は滑らかじゃないから、それを吃音と言い換えちゃって。

――今こうしてお話ししていると、滑らかなように思えますが…。

古舘:一応人前で喋っているから。それを癖にして、盛り上がろう盛り上がろう、トーキングハイになろう…とずっとやってきたところはあります。この本で編集者とやりとりしながら、結構な時間をかけて書いたり直したりしているうちに、「俺は無理矢理に盛り上げてきたんだな」という人生の総決算みたいなことができたんですよね。過去と現在をタイムマシンで縦横無尽に行き来しながら、売れたくてしょうがなかった20代から、70手前になった自分を見つめ直すことも少しはできた。これは役得だと思いました。

――本書によれば、20代の古舘さんは女性にとてもモテていたようで。

古舘:実態はそうじゃなかったですね。局アナ時代は特に。あれはちょっと妄想が入っていて、その手前で終わったことを改竄しています。ベッドシーンがあるじゃないですか、そこまで赤裸々じゃないけど。あれは完全にビッグモーター入ってます。水増し請求してるんですよ。股間のビッグモーター。

――なるほど(笑)。恋愛の描写まであるとは、小説として幅広いなと。

古舘:そうですか? ああいうのも入れておかないとな、と。

古舘伊知郎氏

「古舘節」が生まれるまで

――そんな局アナ時代に生まれたのが、プロレスの超過激実況アナウンサー。本書によれば、「古舘節」は様々な巡り合いを経て育っていったようですね。

古舘:こういう本を書いていると、俺っていう自我がアメーバーみたいに溶けて、自分の輪郭がなくなるんです。あの頃、「こう言われたけど、どうやって工夫したらいいんだろう」と悩んだり模索したりしている時に、人と出会って刺激を受け、その人の真似をしているうちに偶発的に自分流が出てきたとか、思いを巡らせるのはそういうことばっかり。古舘節と言われるのは嬉しいけども、自分が作ったわけじゃないんですよね。

 昔、アントニオ猪木さんと行ったパキスタンで見たペルシャ絨毯は、おばあさんが10本の足の指の間に糸をいっぱい複合的に挟んで織っていたんですよ。あらゆるものが織りなされて模様になり、ようやく絨毯が仕上がる。そんなイメージです。その中の1本の糸である私が絨毯を作りましたっていっても、それは嘘じゃないですか。ピンポン玉みたいに、こっちで突き飛ばされ、こっちで抱きすくめられ、ブレて、揺らいで、それを繰り返すうちに、気づいたら、よく喋っている。いろんな人のエッセンスが入っているんです。

――時には、ラジオ収録やバナナの叩き売りからも刺激を受けていたとか。

古舘:当時は先輩のカバン持ちで文化放送に行っていたんだけど、尊敬するラジオのスポーツ実況アナの喋りを左の耳で直接聴き、右の耳ではオンエアを聴いて、最高に贅沢な環境だったわけです。それで興奮していると、テレ朝の先輩アナウンサーに怒られるんですよ。「他局のラジオの実況アナに憧れて、へばりついてんじゃねえ。記者席で仕事があんだろ馬鹿野郎」って。朝から晩まで「馬鹿野郎馬鹿野郎」って言われるんです。今考えれば、それが「なにくそ」っていうエネルギーになっていたし、「ああ馬鹿野郎ですよ」って自覚が生まれたし、「馬鹿野郎なら、また文化放送に行っていいですよね」って開き直りが生まれたし。そもそも馬鹿野郎って言われなければ、先輩アナに懐いていたかもしれないし。

 反発のエネルギーが自分をラジオの先輩のもとに向かわせて、そこで一生懸命前に進んだし、ものすごく貪欲だったと思う。天賦の才に恵まれた喋り手ではないと思っていたので、何とかしなきゃいけないと思っていました。

――タイガーマスクに放った「四次元殺法」という言葉も、局の先輩から「この世は3次元だ」と怒られ、それでも屈せず、翌日にはまた同じ言葉を実況に乗せていたと。そこにはどんな思いがあったんでしょうか。

古舘:夢か、うつつか、幻か。ちょっと哲学的なことを言うと、仏教哲学の認識論です。僕は仏教哲学の異常なファンなんで、この3次元の現実は果たして現実なのだろうかと考えていて。まあ、そんなことは後付けで、20代そこそこの局の実況アナには、認識論も何もわからなかったんだけど。

 ただ感覚的に、タイガーマスクの動きは3次元じゃないという確信はありました。今でいう2.5次元じゃないけど、3次元ではないから4次元と言ってるだけ。そうすると、またありがたいことに、保守的なアナウンサーの方が「馬鹿野郎」と言ってくれる。3次元でも4次元でも、どちらにしろ馬鹿野郎なんですよ。だったらどっちでもいいじゃないかと。だからもう一回「四次元殺法!」って言うんです。馬鹿野郎と言われることが、ものすごくエネルギーになって。

 0.5秒でもズレると歓声にかき消されてしまうので、タイガーマスクがトップロープにひらりと上がって、鳥のようにポンと止まって、マントを翻して降りる寸前に「今夜も四次元殺法かっ!」と言って、トンと着地すると、いい感じになるんです。

――ああ、すごいですね。

古舘:感覚を研ぎ澄ませて、放送席とリング上で本能的にタイガーマスクと駆け引きするように実況するのが、楽しくてしょうがなかった。

 当時は、ボクシングや相撲は真剣勝負で、プロレスは八百長、と言われていたから、それこそ二元論ですよ。プロレスって、これが現実かって思えるような、虚実ぐちゃぐちゃなのが楽しいのに。そう言われることへの反発もあったから、やたら「四次元」と言いたかったという。

古舘伊知郎の実況はなぜすごいのか

――古舘さんの実況の凄さや違いは何だろうと考えていたのですが、本書の中に「リング上の猪木と一体化する」「自ら試合に入り込んで一緒になって闘う」「無力な自分が猪木と一緒に高く飛び立って自由になる」とあり、もしかしたら、そういうことなのかと。だから技の先読みができたのだろうかと。

古舘:それはもう亡くなった猪木さんのおかげでね。たとえば顔面にパンチを入れるダーティファイトで、猪木さんには「弓を引くストレート、怒りの鉄拳制裁」と言う。他のレスラーには「顔面にパンチ」としか言わないから失礼じゃない。なんでだろうと思ったら、猪木さんの脳内にある物語にはストーリー性が感じられるから、僕はストーリーテラーとして、ストーリーに組み込まれた言葉を切り出していたわけです。

――ストーリーテラー。

古舘:猪木さんの脳内に入り、次々とストーリーを出してくる脳内の動きを見て、頭を瞬時に放送席に戻し、言葉を切り出せば、動きと言葉がシンクロする。で、その言葉をずっと猪木さんに浴びせれば、インタラクティブ(対話)にもなると思ったんです。ただ叫んでるだけじゃなくて、ただ興奮して猪木さんの物語を盗もうとする、それが楽しくてしょうがなかった。猪木さんの脳内のストーリーを言語化するから、猪木さんを肉体言語と表現したのは、そういうこと。猪木さんのお別れ会でも、そんな話を実況を交えてやらせてもらいました。

――そういう意味では、古舘さんにとってアントニオ猪木さんは、やはり特別な存在なのでしょうか。

古舘:あの人と出会ってなかったら、ああいう喋りにはならなかった。だからこれも、出会い頭なんですよね。すべては諸行無常で移り変わるから、人生アドリブ。自分は脳内が作った幻想の装置でしかない。「唯識哲学」っていうのは大乗仏教の基本哲学ですけど、僕は宗教とは思ってなくて、生きる上での苦しみを緩和する哲学だと思っているんです。信者ではなく、単なるファンですけど。

古舘伊知郎氏

喋り屋が俺なりの「馬鹿の一本道」

――自分とは幻想であり、人生はアドリブ。どういったタイミングで、そのような考えに惹かれたのですか?

古舘:僕の姉さんは42歳で癌で死にましたから。まさか親より先に死ぬわけないと思っていたら、あっけなく死んでしまった。そこで、残された親の悲しみも知るわけです。逆縁といって、親より子どもが先に死ぬことほど悲しいことはない。この本の中にも、俺と同い年の49歳で死んだ放送作家が出てきますが、実際に存在すると信じて疑わない人は確実に死んでいく。「先に行くよ」って感じで、“通り過ぎていく人”なんですね。

 そうやって人生の局面でお世話になった人の死を目の当たりにした頃から、仏教のファンになりました。生きる苦しみから解放される話に魅せられちゃって。お釈迦様は、「そもそも人生を信用するな。自我が強いほど悲しくて苦しいのだから、自分をちっちゃくしろ」と言うんです。

――自分を小さくする、というと?

古舘:世界の中心に自分という馬鹿がいるわけですよ。苦しみ100%で、宇宙全体の苦しみを背負っているような。そういう自我をワーッと突き放す。遠くから見たら小さなことだろうっていう、相対性理論みたいな話です。

 こうやってすぐ仏教の話をするから、飲み屋で若い人に話していても「出た出た」って顔をされるんだけど。聞いてくれなくても自分に語るからいいよって、寝てる若者にね。自分でも異常だと思うけど、「それでね」って話しかけてるんですよ。相手は完全に寝息立ててるのに。

――(笑)。それはやっぱり、お喋りが好きということでしょうか。

古舘:好きだし、より好きにしちゃったんですよね。で、これしか俺は人に評価されるものがないと思ってるんですよ。不器用だから。「ものすごく好き」が「死ぬほど好き」までいってる。

――どうしたら、そこまで極められますか?

古舘:いや、まだ極めていないですから。ここから5年か、7~8年は、この喋り屋を続けようと思ってるんです。死ぬに死ねないので、死ぬほど好きって言っとかないと駄目なの。自分にも自己催眠かけないと。「ま、こんなもんかな。人はみんな言語を喋るわけだし…」なんて割り切って、趣味かなんか見つけて山にこもってSNSで発信しても、誰も見ないだろうと。

 だから「お前、死ぬほど好きなんだからやめんなよ」って自分を脅迫してますよ。

 夫婦円満で、子どもが思い通りになって、嗜好品もお喋りもほどほどに、趣味の旅行でクルーズ船乗って世界一周…なんて、ふざけんなと。並の幸せなんて望むんじゃねえよって。人に頭がおかしいと言われても、俺にはそれしかない。歪んでるんだから、歪んだままいけと。

 蝶々は右へ左へヒラヒラ飛んでるけど、あれが蝶々のまっすぐ、っていうのが僕の好きな言葉でね。だって、本能に従って飛んでるんだから。お喋りばっかりとか、他に何かないのかとか、人からなんと言われようと、これが俺のまっすぐ。これがまた、猪木さんから教わった「馬鹿の一本道」なんです。