元AKB48の北原里英氏が小説家デビュー。アラサー女子4人、結婚する・しない、売れるために脱ぐ・脱がないなどの葛藤を描く

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/30

おかえり、めだか荘
おかえり、めだか荘』(北原里英/KADOKAWA)

 著者の北原里英氏は、AKB48のメンバーだったゴリゴリの元アイドルだ。子どもの頃から物語を想像したり妄想したりすることが好きだったという彼女が描く世界は、アイドル時代と同様に、多くの人を引きずり込み、魅了することだろう。

おかえり、めだか荘』(北原里英/KADOKAWA)は、玄関先の甕にめだかを飼っている2階建ての家、にルームシェアをするアラサー4人が、リニア開通に伴う都市開発によって、12月に家を出なければならないと伝えられてから、出て行くまでを描いた物語。確実に近づく「別れ」を意識しながらも、それでも恋愛をし、もうアラサーだからか、あるいはまだアラサーだからなのか「都市開発反対!」なんて言ってデモ行進したりしない。近づく「別れ」の日がやってくるのを、4人それぞれが静かに受け入れている……そんな女子たちの関係がむず痒い。

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直接「寂しい」とは言い合わないアラサー女子の心の動き

 アラサーの女子4人の話となれば、それはもう結婚を意識した恋愛、仕事、幸せを渇望する姿をまずは想像してしまうだろう。

 そういった想像しやすいイメージはありながらも、やはり通り一遍ではないキャラ作りがこの著者はうまい。不動産大手の社長を務める父親を持つ柚子は、父親との確執に悩んでおり、大手広告代理店でばりばり働く楓は4年付き合った彼からプロポーズされて「このままでいいのか」と躊躇してしまい、楓が働くビルの受付で働く遥香は結婚さえ意識していた彼に突然冷遇され、女優の那智は売れるために「脱ぐ」か迷っている。

 アラサーの彼女たちは、皆がそれぞれ違う価値観を持っていてまったく違う人生を歩んでいることを理解し合い、お互いを助け合いながら、時に喧嘩しながら、心を通わせていく。4人それぞれが1章ずつ代わる代わる「私」の視点で語るスタイルで、胸の内を見せてくれるのだが、お互いを思い合っているほんの気遣いや、リニア開通によってこの家がなくなってしまうことに、しきりに「寂しい」と言わずとも、やはり寂しさを募らせていることがじわじわと伝わってくる。

「裸体が必要な映画なんてないと思う」

 この物語は、4人それぞれが抱えるわかりやすい「幸せ」を目指しながらも、そこはかとなく漂う哀愁、寂寥感のようなものが常にまとわりついている。それには、女優として活躍する著者だから描ける、リアルな舞台描写が影響しているのではないかと推察する。女優・那智の稽古に対する思いや、本番前日の最終稽古場を終えると皆で酒を飲むことなど、知らなかった業界話は憧れよりも、リアルな苦労が際立ってしまう。またネットフリックスを思わせる超有名な動画配信「ネットリーダス」のオーディションを「脱ぐ」という条件で受けないかと言われた女優・那智と、それを相談された柚子の反論が非常に的を射ていて、著者本人がずっと思ってきたことなのかもしれない、と胸が痛くなる。

“わたし映画が好きでいろいろ観てきたんですけど、裸体が必要な映画なんてないと思うんですよね。というか、見えていても見えていなくても一緒だと思うんです。(中略)むしろ脱がなきゃ成立しない、脱がなきゃ価値がない画なんてそれは監督の力不足ですよ。(中略)ただ意味もなく女の子を脱がせようとする作品は、女優さんの魂を相手にした詐欺ですよ。”

 柚子のこの言葉に、小さくありがとう、と呟いた那智が、最終的にとった決断にも注目したい。脱いだからと言って確実に売れるわけでもなく、脱ぎ損が一番可哀想だとも本書にはあるが……。

妙な場所に配置された「、」に文章の新たな可能性

 また、この著者の文章自体が独特である点も見逃せない。

 一つに、「これがドラマならば」「これが映画ならば」「これが小説ならば」と、メタ的な切り口が多いことだ。そう表現することで、物語の中の登場人物A、登場人物Bから抜け出し、しがらみから解放された生きた人物として描こうと、逆説的な試みをしているのではないか。

 二つに、「、」の使い方が独特、という点がある。普通はそんなところに「、」を入れないだろう、という部分に読点を入れることで、その直前の言葉に大きく重心を置いているところに注目してもらいたい。

“ソファに座ると、すぐ隣の床、に敷かれた気持ちよさそうなラグの上に彼はちょこんと座った。”

『すぐ隣の「床」、』と、床が強調されている。ソファに座った私と、床に座った彼という状況に対して、「え! 床!?」とまではいかないものの、「あ、床に座るのね?」というほんの驚きや疑問がうまく表れている。

“お風呂上がりから漂っていた食べ物のいい匂い、がリビングに近づくにつれどんどん濃くなる。”

 この文章も「匂い」が強調されている。風呂から上がった時点ですでに感じ取っていた「匂い」が頭の中をずっと支配していて、それがようやくリビングに近づいた時に本物となって「いい匂い!」と、もうそれのことしか考えられなくなっている感じがあって、非常に、いい。

 ただし、この独特な表現も、登場人物それぞれの特性に合わせているようだ。すべての人物に共通した心情表現ではないところもいい。各人物に正面から真摯に向き合う著者の姿が浮かび上がるようだ。

 独特な文章表現と、女優や元アイドルならではの詳細な描写を楽しむとともに、結婚、別れ、恋愛、仕事、プライド……など、アラサー女子たちを見舞う現実的な問題と、彼女たちの決断を、是非、見守ってみてほしい。

文=奥井雄義