齊藤工が監督、主演は窪田正孝で映画化『スイート・マイホーム』。理想の家に渦巻く恐怖と、閉所恐怖症との関係とは?

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/1

スイート・マイホーム
スイート・マイホーム』(神津凛子/講談社)

 俳優だけにとどまらずマルチに才能を発揮する齊藤工が監督し、窪田正孝が主演を務めた映画『スイート・マイホーム』が9/1(金)から全国公開となります。2018年に小説現代長編新人賞を受賞した、同名の原作『スイート・マイホーム』(神津凛子/講談社)をご紹介します。

 舞台は冬の長野。スポーツインストラクターの賢二は、妻・ひとみ、2人の小さな娘のサチ・ユキとアパートで一緒に暮らしてきた。ある日賢二は、一念発起して、一台のエアコンで家中を暖められるという「まほうの家」を購入する。土地も偶然見つかり良いめぐり合わせを感じていた賢二だったが、「理想」の象徴であるはずのマイホームから恐怖の連鎖が渦巻き始める。そして、賢二自身が忘れたままにしておきたかったこと、隠しておきたかったことに呼応するように、家族や周囲の人々の過去や負の感情までもが明るみに出てくる……

「理想通りの家はなかなか無い」ということに、読者の皆さんも概ねご賛同いただけるのではないかと思います。賃貸だけでいっても、家賃・間取り・敷礼金・立地・駐車場の有無や空きなど、様々な懸案事項があります。何かしらデメリットがあったり、不便な点があったり、完璧だと思って住んでみたら意外なところに粗があってどうしてもそれが嫌になったり、と何かと悩みはつきないものです。土地を買って家を建てるとなれば、悩みは尚の事多くなります。一方、そうした難点もわきまえつつ、不動産会社やハウスメーカーは「理想」を提示しなければ商売になりません。

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 賢二ファミリーにとって最も優先順位が高い事項のうちの一つが「あたたかさ」です。これは単に妻・ひとみ(ひいては多くの女性が)が冷え性だからというわけではなく、子どもをより快適な環境で育てたいという願いと、一人目の子どもは十全な環境で育てられなかったという過去が反映されています。

決して贅沢な造りの家ではないが、この暖かさこそ一番の贅沢だった。
気持ち良さそうに眠るユキを見ると、私も家を建てて良かったと心から思えた。
そっとユキの手に触れる。アパート暮らしの時に冷え切っていたサチの手とは比較にならないくらい、ユキの手は温かかった。

 ジャンル分けするならばミステリーといえる本作には、「犯人」が存在しますが、その人は「理想」と、そこに向かうための「選択」にあまりにも強くプレッシャーがかかりすぎてしまい、激しい後悔・憎悪、そして殺意までもが心に芽生えてしまった人物です。

理想の家には理想の家族が住まねばならない。
完璧な家族。完璧な家。
必要ならば、私自身が「家」になればいい。そこに理想の家族を住まわすのだ。麗しい人々を。ずっと。ずっと一緒に。

 筆者は、「理想」というのは自分が形作って頭の中だけで完結しているようだけれども、実は「他者の基準」が大いに入り込んでいて、そのことに自覚的でないと追いかけても追いかけても叶わない虚像にとらわれてしまうのだと感じました。逆に生き方の判断基準の主体を、もし完全に「自分」へ引き寄せられた暁には、「理想」という言葉・概念自体が消えて、「生きる」ということのみが残るのではないかという勇気も湧きました。

 映画化される上で特に楽しみに感じたのは、賢二が閉所恐怖症であるという表現です。なぜ閉所恐怖症なのか、どういう「閉所」が賢二の過去や現在にあるのかは是非小説や映画でご確認いただければと思いますが、「他者基準」ではなく「自分基準」で生きるタイミングと、賢二が閉所恐怖症を打破するタイミングは一緒であると感じました。少し怖かったり血が流れたりする場面もありますが、是非人生をスイートな(心地よい)ものにする読書体験をしてみてください。

文=神保慶政