業界の裏事情も満載!小さな美容医療クリニックに転職した秘書が“働く意味”と向き合うお仕事小説『なりたいわたしの主観と客観』

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/7

なりたいわたしの主観と客観
なりたいわたしの主観と客観』(ちばかずのり/文芸社)

 こんな社会人になるなんて、思ってもみなかった…。会社という組織の中で働いていると、そんなモヤモヤを抱くことがある。特に、新社会人は「なりたかった自分」と「実際の私」の差に悩むことも多い。

なりたいわたしの主観と客観』(ちばかずのり/文芸社)は、そんな心境になった時にこそ開いてほしい、明るいお仕事本だ。

 本作の舞台は、小さな美容医療クリニック。やりがいとは程遠い仕事をこなしてきた、ひとりの女性が“働くことの楽しさ”を見出す小説となっている。

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 東北大学出身の才媛・関口萌音は大手不動産会社で秘書をしていたが、セクハラ被害を受けて辞職。再就職を試みるも、なかなか採用されない日々が続いていた。

 そんな時、目にとまったのが、なんとなく軽いイメージがあった美容医療業界。求人に応募したところ、小さな美容医療クリニックで事務長の秘書をすることになった。

 いざ働いてみると、萌音が抱いていたイメージとは違い、クリニックのスタッフは高偏差値の人ばかり。事務長は口数が多く、ほどよい怠け者だが、仕事に対する情熱は熱く、スタッフへの気配りも欠かさない。

 クリニックでは、前の職場で心を痛めた男女格差を感じることはなく、定時退社が当たり前。スタッフ同士はフランクに交流しながら技術を高め合っており、事務長に対しても自分の意見を気兼ねなく言える、風通しのいい職場だった。

 居心地のいい職場環境の中、萌音は秘書職に熱中するかと思いきや、新規スタッフの採用に携わったり、クリニックの売上を上げるためのアイデアを他のスタッフと共に考えたりと、他の業務も任せられるように。

 そうした経験を糧に、萌音は少しずつ成長。働くことの楽しさややりがいに気づいていく。

 だが、そんなある日、高い形成外科技術を買われ、たったひとりの常勤医師である院長が海外へ行くことに。この出来事は、クリニックにとって事業継続の危機。萌音は院長不在のクリニックを守ろうと、知恵を絞り始める。

 本作は美容医療クリニックを題材にしているため、知られざる業界の裏側を垣間見ることができて面白い。驚かされたのは、高齢者となって下の世話を必要とした時、介護者に不快感を与えないよう、中年のうちに脱毛を受けにくる女性がいるという現実。

 また、白髪には毛穴ひとつひとつに針を刺して毛根を焼く「針脱毛」が効果的なことも知れ、美容医療の世界は奥が深いと痛感させられた。

 美容医療には、どこか軽さや怪しさのようなものを感じてしまうこともあるが、業界内で働く人々の真面目さやひたむきさを描いた本作に触れると、見え方が変わる。作者いわく、ここに描かれた物語はフィクションではあるが、登場人物の想いや心は現実の出来事に投影されたものを集めたのだそう。美容医療業界は一生勉強の世界であるからこそ、真面目でホスピタリティに溢れた知的なスタッフがいることを、萌音や他のスタッフの姿から感じ取ってほしい。

 また、本作には働く人のリアルが描かれているため、改めて労働から得られる楽しさや自分が置かれている職場の価値を考えたくもなる。

 個人的に響いたのが、「裁判」という言葉を脅しに使うクレーマーに対する、事務長の誇り高き台詞だ。

“裁判は正しいひとを正しいと客観的に言ってくれます。後ろめたいことがなければいいのです。(中略)正しい仕事をしている限り負けることはない!そう心に刻んでください”(引用/P72~73)

 自分は、こんなマインドで仕事と向き合えているだろうか。そして、今いる職場はこの言葉を心に刻みながら胸を張れる場所なのだろうか…。そう考えたくなったのだ。

 会社という組織の中で働いていると、淡々と業務をこなす日々に物足りなさを感じたり、自分の意志を伝えられない悔しさを抱いたりすることもあるもの。それは一見、マイナスな気づきに思えるかもしれないが、見方を変えれば、自分を変えるチャンスだ。

 私は、何になりたいか。どういったやりがいを感じたいのか…。そう自分に問いかけながら、社会人としての「私」をアップデートしていきたいと思わされる力が、この物語にはあるように感じた。

「働きの成果」は人々が集まって協力したり、反目したりするからこそ得ることができるもの。その気づきも萌音らの働く姿勢から感じ取り、自分を変えるきっかけにしてほしい。

文=古川諭香