【京極夏彦特集】スペシャル対談1 京極夏彦×宮部みゆき「デビュー作を読んだ時、世界の見え方が変わるような体験をしました」
更新日:2023/9/15
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年10月号からの転載です。
同じ事務所に所属していることもあり、朗読会などさまざまな場で共演することの多い京極夏彦さんと宮部みゆきさん。「百鬼夜行」シリーズをリアルタイムで読んできた宮部さんは『鵼の碑』をどう読んだのか? お互いをリスペクトしあうお二人の、和やかな対談をお届けします。
取材・文=朝宮運河 写真=山口宏之
宮部 京極さんとは同じ事務所に所属していることもあって、ご一緒する機会が多いですよ。初めてお会いしたのは『魍魎の匣』を出されてすぐの時期だったかしら。
京極 大沢在昌さんの対談集『エンパラ』でご一緒したのが最初でしたね。当時僕はデビューしたばかりで、そもそも普段はデザイナーとして働いていた頃。
宮部 あの後からお忙しくなったでしょう。『狂骨の夢』発売と同時に京極さんの連絡先が各社に解禁されて、お仕事が殺到した。あれよあれよいう間に人気者になって、それから約30年ですから。
京極 解禁って、鮎なのかと思いましたけど(笑)。僕がデビューした29年前といえば、まだ世の中に携帯電話が普及していなかった頃で。
宮部 まだ持っている人が珍しくてね。わたしがデビューした36年前なんて、パーソナルファックスがありませんでしたから。
京極 今の若い人はファックス自体を見たことがないでしょう。僕はデビュー時はワープロで原稿を書いていたんです。パソコンも普及していなかったわけですよ。パソコンを導入して、今のシステムで書くようになったのは『絡新婦の理』の途中からだからなあ。
宮部 猛烈にお忙しくなった京極さんが大沢オフィス(現・ラクーンエージェンシー)のメンバーに加わって、2002年からはリーディングカンパニー(宮部さん、京極さん、大沢在昌さんによる朗読イベント)も始まりました。
京極 朗読は確か13回やったんです。干支一回りもよく続きましたよね。
宮部 京極さんとは映画『妖怪大戦争』でもご一緒したじゃないですか。あの映画で主演をしてくれた神木隆之介君は当時12歳。それが30歳になって、朝ドラの主演をされているのを見ると、時の流れを実感します。
京極 先日『妖怪大戦争』を見返す機会があったんですけど、宮部さんは神木隆之介君の担任の先生役でしょう。僕なんて荒俣宏さんと一緒にお化けの役ですからね(笑)。まあ変わっていないといえば、今も昔も変わっていないんですが。
生涯忘れられない京極作品との初コンタクト
宮部 京極さんのデビュー作を読んだ日のことはよく覚えているんです。綾辻(行人)さんから電話がかかってきて、「『姑獲鳥の夏』っていうすごい本が出る、絶対宮部さんは好きだから読んだ方がいいよ」って教えてくださったの。
京極 綾辻さんは推薦文を書いてくださったんです。当時、講談社はいろんな偉い作家さんに原稿を送ったんですよ。素人が書いた作品なのに。意地悪ですよ。
宮部 それで読んでみたら、たちまちノックアウトされました。素晴らしい小説を読んで感動した、心を動かされたという経験は人生で何度もしていますが、世界の見え方が変わるような体験をしたのは『姑獲鳥の夏』が最初で最後ですね。
京極 そんなに誉めていただいても、何も良いことはないですよ(笑)。
宮部 案の定すごいすごいと評判になって、たちまちベストセラーになった。
京極 いや、『姑獲鳥』は酷評された記憶しかないです。担当ががんばってくれたので無名の新人にしてはそれなりの部数だったと思いますが、世間の扱いとしては地味なもので。翌年の1月に『魍魎の匣』が出て、やっと軌道に乗った感じですね。三作目が出て、三冊書店に並んだらまた既刊が伸びたという。
宮部 最初から大ベストセラーだったような気がしていました。京極堂というキャラクターは京極さんの中で、いつから存在したんですか。
京極 『姑獲鳥』の元になったマンガを描いた時からですね。あれは元々マンガのために考えた話だったんです。ただ冒頭の段階でこの話はマンガにならないと気がついて(笑)、後日小説に再利用したんです。
宮部 京極さんは絵もプロ並みにお上手だから、マンガ家デビューしていた可能性もありますよね。
京極 ないです、ないです。世の中にあんなきつい商売はないですよ。マンガ家さんを尊敬します。僕は締め切りが大嫌いなので、マンガ家には死んでもなりません。
宮部 それにしても『魍魎の匣』が書店さんに並んだ時の衝撃はすごかった。タイトルの字面も迫力がありましたし、とにかく分厚い(笑)。造本技術の限界に挑戦するような本でしたけど、今にして思うと『魍魎の匣』って京極本の中ではそこまで厚くないんですよね。今〝鈍器本〟といわれているものの流れを作ったのは京極さんだと思います。
京極 重くてすみません。冗談じゃなく、重たかったら破ってもらっていいと思っているんですけどね。
宮部 京極さんの小説は長いけど、無理やり引き延ばしているという感じはしないですね。無駄話のようなところもちゃんと複雑な事件の解決に繋がっていくし、またその脇道が脇道で面白いのね。
京極 もっと短く書ければいいんですけどね。よく文学賞の選評で「無駄が多い、もっとスリムにできる」という意見が出るじゃないですか。あれは、もっともな意見ではあるんだけど、無駄があろうが脇道に逸れようが面白ければ問題ないじゃないかとも思います。僕の小説なんか、無駄の集積ですしね。
待望の新刊『鵼の碑』は「百鬼夜行」版アベンジャーズ
宮部 先日ある席でご一緒した際に京極さんが「できた」とおっしゃったじゃないですか。何が?と聞き返したら『鵼の碑』が完成したと。もうびっくりしちゃって。
京極 巷では「ずっと前に書き終わっていて、出版するタイミングを見計らってるんだろ」説があるようですが、そんなことはないんです。本当につい最近書き終えました。
宮部 それは間違いない。京極さんがこの17年間どれだけお忙しかったかよく知っています。体調を崩して少しお休みした以外は、ずっと書きっぱなしでしょう。
京極 仕切り直して着手したのは去年なんですが、本格的に執筆に取りかかったのは日本推理作家協会の代表理事を退任して、諸々の引き継ぎ作業が終了してからですから、今年の春ですよ。そんな短期間で書けるならとっとと書けと言われそうですが、そういうものでもないんですよ。
宮部 書き下ろしって大変ですよね。ペースができると一日30枚くらい進んだりするけど、そこに持っていくまでが苦しくて。3枚くらい書くだけでへとへとになっちゃう。
京極 宮部さんでもそうなんですか。安心しました。
宮部 今日はどこまでお話ししたらいいのか迷っているんです。記事が出るタイミングでは、まだ皆さんは新刊をお読みになっていないので。とりあえず言えるのは、この作品は「百鬼夜行」版アベンジャーズということ。これまで登場したおなじみのキャラクターが総登場するので、嬉しくなっちゃいました。懐かしい人が出てくるたびに過去の作品を確認したくなるので、たっぷり時間をとって読んでね、ということをお伝えしておきます。
京極 それはもう馬鹿みたいに人が出てくるんですよ。無駄に。ただ今回、中禅寺の妹(中禅寺敦子)は、別の事件に関わっているから出てきません。『今昔百鬼拾遺 鬼』には中禅寺たちが日光に行っているというセリフがあって、『鵼』には『鬼』の犯人が捕まったという記述が出てきます。どちらも同じ昭和29年2月なんですよね。事件自体は何の関係もないんですけど。やっぱり無駄だなあ(笑)。
宮部 そういう楽しみ方ができる一方で、いきなり『鵼』から読んでも問題なく楽しめると思います。わたしは「きたきた捕物帖」というシリーズで、これまで書いてきた時代小説をひとつに繋げるということを試みているんです。この作品から読んでくださる方にはわかりにくいやり方かな、という不安もあったんですが、ある書店員さんが書評で「宮部さんはひとつの町を作っていて、その町の住人にいつ巡り会うかは重要じゃない。気になったらその人の若い頃に遡ればいいんだ」と書いてくださって、すごく励みになったんです。『鵼』から京極作品に入った方も、このキャラクターはどんな過去があるのかなと遡る楽しみがある。今回登場したメイドの奈美木セツさんが気になったら、ぜひ『絡新婦の理』も読んでみてください。もっと彼女が好きになります。
京極 セツは『百器徒然袋 風』に日光榎木津ホテルのメイドになったと書いてあるんですね。そういう回収する意味もない、気づいても嬉しくない要らない伏線を、この30年間にたくさん張っているんですよ。いいかげんにしろと(笑)。
宮部 これ以上内容に立ち入るのは我慢しますが、今回木場さんが刑事仲間たちと軍鶏鍋を食べているシーンがありますよね。あれがすごく美味しそうで、「お鍋が食べたい!」と転げ回りました。同居している家族には気温が低くなるまで勘弁してと言われたんですが、我慢できずに外まで食べに行きましたから(笑)。また木場さんと同席している面々が、懐かしい顔ぶればかりで、刑事たちの同窓会みたい。誰が出ているかは、読んでのお楽しみです。
京極 見事に爺ばっかりですね。僕は年寄りが出てくれば出てくるほど筆が乗る傾向がある気がします(笑)。今回は若者がほとんど出てこないので、そういう意味では筆が滑っているかも。
宮部 このシリーズって飲んだり食べたりするシーンがよく出てきますよね。
京極 まったく意識していませんでした。そんなに書いてます?
宮部 これまであまり指摘されていない特徴だと思うんですが、このシリーズは食べ物の魔法がかかっていると思います。大変な事件が描かれるからこそ、さりげなく置かれたご飯のシーンがより印象に残るんですよね。
京極 このシリーズの登場人物は、食うものは食わせて、寝かせて、便所にも行かせたい。そこはきちんと書きたいと思ってるんですが、尾籠な話を毎回入れるわけにはいかないですからね、必然的に飲み食いするシーンが目立つのかもしれません。シモの話もそれなりには入れてはいるんですが(笑)。
宮部 みんな地に足のついた生活人なんですよね。それはこのシリーズの魅力だと思います。出てくる料理も決して高級品とか、手の込んだものではないんですよ。お蕎麦とかお鍋とか、ありふれたものばかりだけど、それがすごく美味しそうに見える。京極さんって、食べ物の好き嫌いはないんですよね。
京極 一切ありません。美味しいものはもちろん美味しくいただきますし、不味いものには不味いなりのよさというものがあるんです。二度と行きたくないと思わせる店も世の中にはありますけど、その不味さを享受して、喜んで食べますね。
宮部 (笑)。江戸物は食事のシーンが重要だといわれるので、わたしも意識して書くようにしているんですが、文章で味を伝えるのってすごく難しい。その方面では池波正太郎先生が第一人者ですが、あらためて読んでみるとそこまで凝った料理は出てこないし、描写も詳しくないんですよね。
京極 いわゆる食レポみたいな描写はないですよね。ただ実に美味そうには書いてある。味覚を言語化するのは無理なんですから、料理って詳しく書けば書くほど、美味しそうな感じから遠ざかっていくものなのかも。
宮部 梅安(池波正太郎「仕掛人・藤枝梅安」の主人公)がごく簡単な料理を作って、ふっと火を消して仕事に出かけていく。池波先生のああいう場面ってすごく印象に残りますよね。
京極 そうそう。学生の頃、とにかく貧乏だったので梅安を気取って作りましたよ。大根と鶏肉だけあればできたりするんで、貧乏学生にも真似がしやすくて。
仏頂面の向こうに京極堂の優しさを感じる
宮部 時代小説といえば、ちょうど「三島屋変調百物語」シリーズの新刊が出たので、今日はあらためて京極さんにお礼をいいたいと思ってきたんです。
京極 とおっしゃいますと。
宮部 このシリーズを書き始めた当時、すでに京極さんの「巷説百物語」シリーズが存在していたので、同じ「百物語」という言葉を使うのはまずいかなと思ったんです。あの時は快諾してくださってありがとうございました。
京極 いやいや別に商標登録しているわけじゃないですから(笑)。今回の『青瓜不動』で百物語は何話目まで行ったんですか。
宮部 43話です。まだ本に収録されていない短いスピンオフを含めると45話。
京極 いよいよ100話が現実的になってきましたね。
宮部 どうせ書くなら最後まで行けたらいいなあ、でも無理かなあなんて言っていたんですけど、1巻から15年で半分まできました。感慨深いですね。
京極 しかも「三島屋」シリーズも一編が長いですからね。ほとんど中編くらいの枚数がありますから。僕の本は厚い厚いといわれますけど、宮部さんだって人のことをいえない(笑)。
宮部 どうしても長くなってしまう。短く書くのが苦手なんです(笑)。
京極 実はですね、宮部さんってずるいなあと思うことがあるわけですよ。どんなに怖い話を書いても、どんなに変な話を書いても情が通っている感じがするじゃないですか。しんみりしたり、ほっこりしたり。でもよく考えると、相当可哀想な目に遭っている人がいっぱい出てくるんですよ。このシリーズも冷静になるとかなり悲惨な話がありますよね。
宮部 江戸時代には今と違った身分制度があって、場合によっては人の命が紙よりも軽かった。特に怪談では、その事実から目を背けちゃいけないと思って書いているんですけど、自分でもむごい話だなと思うことはあります。この間、『青瓜不動』のレビューをちらっと覗いたら、辛すぎて途中で読むのをやめたという方がいて、ごめんなさい!と手を合わせました。
京極 それなのに最後まで読むと、妙に心が温まる感じがするんですよ。宮部作品には情が通っているんですよね。作者がありあまる情を注ぎ込んでいるのかしら。あんまり作品に情を注ぎ込むと、ご自身の情がどんどん減っていきますよ(笑)。そのへん、うまいというか、ずるいというか。僕の作品なんか情がゼロなので、羨ましいかぎりですよ。
宮部 そんなことないですよ。京極堂さんと愉快な仲間たちには情が通っていると思います。作中でも京極堂は仏頂面だけど親切だ、面倒見がいいと何度も言われているじゃないですか。そういう底に秘めた優しさみたいなものは、京極さんの作品全体からいつも感じます。
京極 僕自身は作中のキャラクターに愛情はないですけどね。頼まれれば50円くらいの頼み両でもすぐ殺します。あ、だから情が通わないのか(笑)。
宮部 わたしは還暦を迎えたあたりで体力の低下を実感するようになって、本当にやりたい仕事だけを優先するようになりました。
京極 やりたいお仕事があるのは素晴らしいことです。僕は書きたいものが何もないから。依頼されたものをただ書くだけで。
宮部 デビューの頃からそう言い続けていますよね(笑)。このへんで新しい方向に進んでみたいというお気持ちはないですか。
京極 先日思い立って作品の年表をまとめてみたんですよ。エピソードは元暦2年あたりから始まって、作品で一番古いのが連載中の「病葉草紙」。これが天明。そこから「巷説百物語」「書楼弔堂」、そしてこのシリーズと続いて「ルー=ガルー」に到るんですが、全部繋がっているんですよ。僕は一生このくびきから逃れられないのか、と思うとねえ。すべてをチャラにして、全然違うものを書いてみたいという気にはなりました。まあ書いたら書いたで、また年表のどこかに位置づけてしまう気もするんですが。
宮部 その几帳面さも作品やキャラクターへの愛情の表れだと思いますよ。いい加減にしないんですよ。
京極 単に執念深いだけですって。
宮部 ところで特撮ファン仲間としてお尋ねするんですが、怪獣ものを書いてみたくはないですか。
京極 あ。それは少し書きたい欲動があるかもですね。「巷説」でもでかい動物や魚は出しましたが、所詮はウソですし。怪獣はいいなあ。
宮部 いつか本格的な怪獣ものを書いてほしいなあ。京極さんは還暦を過ぎても気力筆力は衰えないでしょうが、健康にだけは気をつけてくださいね。たまに散歩をするとか。
京極 健康とはしばらく音信不通なんです。なぜか電話もメールも通じなくて。
宮部 連絡してあげてください! 所属している事務所のスタッフも、心配しているのはそれだけですね。「百鬼夜行」シリーズの続きも書いてもらわないといけませんし。
京極 『邪魅の雫』から『鵼』までが17年かかったので、次は34年後ですかね。94歳だな(笑)。まあ続きを書く可能性はありますので、どうか見捨てないでやってください。
宮部 また妖怪画の個展もやってほしいですし、朗読会もご一緒したい。新しい小説もたくさん読みたい、って結局お忙しくしてしまうんですけど。お体に気をつけて、ますますご活躍ください。
京極 ぜひ遊んでやってください。今日はありがとうございました。
宮部みゆき
みやべ・みゆき●1960年、東京都生まれ。87年『我らが隣人の犯罪』でオール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。ミステリー・ホラー・時代小説と幅広いジャンルで活躍。「三島屋変調百物語」シリーズのほか、『理由』『模倣犯』『名もなき毒』など作品多数。