【京極夏彦特集】寄稿&インタビュー「拝啓、京極夏彦様」/綾辻行人さん
更新日:2023/9/15
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年10月号からの転載です。
京極夏彦とはどのような人物なのだろうか。それは京極ワールドを楽しむ私たちにとって、永遠の謎である――! 京極夏彦さんと共に作品を作り上げた方々、またご親交のある作家の皆さまに、京極さんとの思い出や京極作品の魅力について伺いました。今回は綾辻行人さんです。
初対面・初対談の記憶
京極さんとの初の対面は、記録によれば一九九五年一月二十四日火曜日の逢魔が刻。この文章を書いている現時点(いま)から見て二十八年半ほど前になるが、本当はすでに三百年くらい経っているような気がしないでもない。当時の記憶もすっかり薄れたり混乱していたりして、どうにもダメダメな感じの昨今……なのだけれど、考えてみれば自分ももう齢六十過ぎで、京極さんもこの春に還暦のお祝いがあったそうだし、まあこんなものかと思うことにしよう。
記録によれば、初対面の場所は東京・帝国ホテルの一室で、これは『小説現代メフィスト』一九九五年四月増刊号に掲載する対談のために用意された部屋だった。
前年九月に京極さんが講談社ノベルスからデビュー作『姑獲鳥の夏』を上梓してミステリ界の話題をさらったとき、注目されたのはその「謎の作家」性でもあった。『姑獲鳥』のカバー袖に示されていた著者に関する情報は、筆名と怪しげなモノクロの近影だけ。第二長編『魍魎の匣』では生年と出身地が加わったが、それだけ。――そんな「京極夏彦」のリアルな初顔出し、というか、本格的な情報解禁を大きなひとつの目的として、縁あって『姑獲鳥』に推薦のコメントを寄せた綾辻との対談が企画されたわけである。
僕はその年の初めに刊行された『魍魎』を読んだうえで、けっこう緊張しながらこの対談に臨んだように思う。事前に編集氏(当時、講談社文芸図書第三出版部の部長だった宇山日出臣さん)から、断片的な情報をあれこれ聞いていたようにも思うのだけれど、その辺の記憶はもはや定かでない。京極さんは京極さんでおそらく、デビューして初めての同業者との対談ということで、それなりに緊張しておられただろう。
さてそれで、そのときの京極さんの印象は……三百年も前のことなのでいささか心許ないのだが、「とにかく頭の切れる美青年」であった。「和装の文豪」という風情の現在の京極夏彦像とはずいぶん違って、黒のインナーにグレイのジャケットを着た細身で色白の、長い睫毛のイケメン。涼しげな眼差しをやや伏せ気味にしながら、こちらが繰り出すどんな質問にも、すこぶる明晰な言葉が澱みなく返ってきた。僕のほうは意識的に背筋を伸ばし、脆弱な脳細胞をせいいっぱい稼動させつつ対話を重ねた。
おおむね和やかなやりとりの中にもある種、非常に張りつめた空気があって、エネルギーは要したけれどもそれがたいそう心地好くもあった――ような気がする。同席してビールを飲みながら、ときどき何かを思いついては言葉を投げ込んできた宇山さんが、あのときはいちばん愉しそうだったなあ――という気もする。
ともあれ、そのような京極さんとの初対面・初対談であった。さまざまなシーンにおける超人的な活躍によって幾多の「京極夏彦伝説」が生まれる、まさに前夜の、なかなか貴重なひとときの語らいだったと云える。この歳になって改まって思い返してみると、何だかもう二人とも初々しいというか可愛らしいというか……で、記録に残っている自分の言葉のいちいちが恥ずかしかったりもするのだが、まあ三百年も前の話なのですべて良しとしよう。
さてさて。今や本邦の小説界の妖怪的重鎮である京極さんの著作群の中で、とりわけどれが印象に残っているか? と問われたならば――。
僕にとってはやはり、講談社ノベルス発の一連のミステリ作品(百鬼夜行シリーズ)が別格的な意味を持つ。そして「では、その中から一作」と云われたなら、どうしてもやはり『姑獲鳥の夏』を挙げることになってしまう。完成度や達成度で測れば、シリーズ中に『姑獲鳥』を凌ぐ作品が複数あるとは重々承知しつつも。これはたぶん、最初にこの作品をゲラで読んだ夏の日の「目眩くひととき」が、今なお圧倒的な強度で記憶に焼きついているから、なのだろう。
ちなみに、「では、このシリーズからもう一作」と云われたなら、少し迷ったのちに『邪魅の雫』と答えるかもしれない(紙幅も尽きてきたので、理由は省略)。その『邪魅』の刊行時(二〇〇六年)からタイトルが予告されていた新長編『鵼の碑』がこのほどついに完成し、刊行も間近だという。――めでたい!
綾辻行人
あやつじ・ゆきと●1960年、京都府生まれ。87年に『十角館の殺人』でデビュー。92年に『時計館の殺人』で第45回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞。現在『メフィスト』にて、「館」シリーズ最新作となる『双子館の殺人』を連載中。