【京極夏彦特集】寄稿&インタビュー「拝啓、京極夏彦様」/小野不由美さん

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/16

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年10月号からの転載です。

 京極夏彦とはどのような人物なのだろうか。それは京極ワールドを楽しむ私たちにとって、永遠の謎である――! 京極夏彦さんと共に作品を作り上げた方々、またご親交のある作家の皆さまに、京極さんとの思い出や京極作品の魅力について伺いました。今回は小野不由美さんです。

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 京極さんと初めてお目に掛かったのは、関西ミステリ連合の京大主催のイベントだったと思います。たぶん、三作目の『狂骨の夢』が出た直後だったのではないでしょうか。イベントで京極さんの講演会が催されることになったのでした。

 だいたいにおいて、大学ミステリ研は新人の登場に敏感で、デビュー作で注目されるとイベントに呼ばれがちです。たぶん新人のほうが心理的距離が近く、お願いしやすいし、来ていただきやすいということもあるのでしょう。呼ばれる新人作家のほうも一読者である自分と作家になった自分の間でふわふわしていて、立ち位置に戸惑っている感じがするものです。その物慣れない様子が初々しく、たいへんに微笑ましかったりするのですが、京極さんは一線を画していました。

 なにしろデビュー以来、一躍寵児となってほうぼうで引っ張りだこでしたし、矢継ぎ早に著作を発表してすでに三作目だったのですから、すっかり「作家・京極夏彦」が板についていたのかもしれません。京極さんは端然と登壇するや否や、講演というより講義のように理路整然と語り始めて参加者を驚かせました。弁舌は鮮やかで、まさに立て板に水。言い淀むこともなく論旨が揺らぐこともなく、見事に時間いっぱいを語りきりました。その姿は物慣れた教授のよう―というより、京極堂そのもので、以来わたしは、京極堂の台詞が常に京極さんの声で聞こえます。おかげで映画『姑獲鳥の夏』で、京極堂の台詞を誰よりも京極堂っぽい人が聞いている、という光景が、個人的に面白くてたまらなかったのですが、それはさておき。

 デビュー作『姑獲鳥の夏』も鮮烈でしたが、講演会も鮮烈で、「この人は只者じゃない」という確信を抱きました。講義の中の「この世に、失敗作はあっても駄作なんてものはない」という言葉には蒙を啓かれる心地がしたものです。たぶんそのあと、編集者と綾辻さんら作家たちと食事に行ったんじゃないかと思うのですが、講演会のインパクトが大きすぎて、わたしはそのあたりを覚えていません。同業者の気安さなんてものを感じる前に、教授と学生みたいな気分に至ってしまって、以来、その距離感がずっと続いています。わたし自身、業界の集まりにほとんど参加することがないので、京極さんとの思い出も少ないです。昔、拙作が出たときに対談をさせていただいたことが嬉しかったことぐらいでしょうか。一番印象に強いのは、日本推理作家協会の五十周年記念文士劇のときのこと。文士劇そのものではなく、終わったあとのことです。会場を出て打ち上げに向かおうとしたら、京極さんの出待ちが集まっていて、「スターだ……」と感動しました。「さすが京極さんだ、すごいねえ」なんて編集さんと話していたら、京極さんが出待ちの人たちに取り囲まれそうになって、急遽スタッフの顔をして「通してさしあげてくださいねー」とか言って人混みの整理をしたのが、かなり面白かったです。

 ……なんか、ファンみたいな思い出で済みません(いや、ファンなんですが)。

 京極さんの作品で印象に強いのは、やはりなんといっても『姑獲鳥の夏』でしょうか。とにかく何もかもが新しかった。「こんな手があったか!」と驚愕しつつ、デビュー作とは思えないほどの完成度に感動したのを覚えています。続く『魍魎の匣』では、純粋に感服しました。たぶんいちばん影響を受けた作品だと思います。そして『鉄鼠の檻』(物理)。寝転ばないと本が読めないわたしは、何度も本を取り落として顔にぶつけました。たいへん痛かったです(でも、ノベルスだったので、キングの単行本ほどではなかった)。個人的に好きなのは『陰摩羅鬼の瑕』です。ネタも好きだし、作品に漂うなんとも美しい寂しさがまたいい。京極さんの作品はどんなにグロテスクな状況であっても、哀惜の念のような切なさと昏い美しさが付き纏います。その空気感がたまらなく好きなのです。

小野不由美
おの・ふゆみ●大分県生まれ。1988年に講談社X文庫ティーンズハートから作家デビュー。2013年、『残穢』で第26回山本周五郎賞受賞。ファンから絶大な支持を得ているファンタジー作品「十二国記」シリーズのほか、他の著作に「ゴーストハント」シリーズや『鬼談百景』など。