上杉謙信は家臣のケンカに嫌気がさして逃げた? 足利尊氏は弱音を吐きまくり? 読めば、勇気づけられる“逆偉人伝”

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/13

読むとなんだかラクになる がんばらなかった逆偉人伝 日本史編
読むとなんだかラクになる がんばらなかった逆偉人伝 日本史編』(加来耕三:監修、ミューズワーク(ねこまき):イラスト/主婦の友社)

 昔から、偉人伝を読むと何だか凹んでしまう。歴史に名を残した人たちの活躍から学ぶべきことがあるのは分かるが、彼らの奮闘を知るたび「私にはとても無理だ」と途方に暮れてしまう。努力はもちろん大切だろうが、ほどよく力を抜いて生きた偉人はいないのだろうか。今は多様性が認められる時代のはず。努力を求められるのが何だかしんどい今、そういうマイペースな偉人伝の方が心に刺さる人が多いように思えるけれど……。

 そんな「がんばるだけが人生じゃない」と感じている人に読んでほしいのが、『読むとなんだかラクになる がんばらなかった逆偉人伝 日本史編』(加来耕三:監修、ミューズワーク(ねこまき):イラスト/主婦の友社)。この本に登場するのは、がんばらない所業で歴史に名を刻んだ25人の偉人たちだ。本書ではその仰天エピソードを紹介するとともに、人気イラストレーターが彼らをその特徴に合わせて動物キャラ化。可愛いイラストにほっこりさせられるとともに、「立派じゃなくてもいいんだ」と勇気づけられる、全く新しい日本史人物図鑑だ。

がんばらなかった逆偉人伝 日本史編

がんばらなかった逆偉人伝 日本史編

軍神・上杉謙信は、家臣のケンカに嫌気がさして逃げ出した!?

 たとえば、上杉謙信。「実は凶暴で怒ると怖い」というイメージから「アライグマ」として動物キャラ化されているが、「軍神」と呼ばれるほど圧倒的な戦績をおさめた戦国武将なのだから、当然不屈の精神を持った恐ろしい人物だと誰もが思うだろう。だが、本書を読むと、そのイメージが変わる。謙信には実は、家臣同士の争いに嫌気がさして、いったん全てを投げ出した過去があるというのだ。

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がんばらなかった逆偉人伝 日本史編

 元々謙信は後継ぎではなく、仏門に入っていたが、内乱をおさめることができない頼りない兄に代わり、周囲から担がれる形で擁立された。この時、謙信はまだ19歳。内乱鎮圧でいきなり戦功を挙げるも、家臣の内部抗争はおさまらず、27歳になった時、ついに耐えきれなくなった謙信は、突然、出家すると宣言し、居城の春日山城から姿を消す。結局、あわてた家臣たちが謙信を見つけ出し、彼らに熱心に頼み込まれたことで、謙信は再び当主に戻ったのだが、武田信玄との一騎打ちがあったという、第4次川中島の合戦はそれから5年後のこと。一度は悩んで逃げ出したが、それがかえって家臣団の結束を高める結果になったようだ。心が折れるまでがんばらずに、困ったら謙信のように一度、身を引いてみると、意外とチャンスが生まれるかも?

足利尊氏は、弱音を吐きまくり&家臣や弟に頼りまくる“意識低い系”将軍!?

 また、室町幕府を開いた足利尊氏のエピソードも意外だ。「仲間思いだけど頼りなさげ」ということで、「プレーリードッグ」として描き出されているが、鎌倉幕府を滅亡に追いやった人物なのだから、勇ましい人物だと思い込んでいる人が多いのではないだろうか。だが、実際は、足利尊氏は弱音を吐きまくり、家臣や弟に頼りまくりの“意識低い系”将軍だったらしい。尊氏は、追い詰められると「出家する」「自刃する」と泣き叫んだそうで、どうにか室町幕府を開いても、政治は人まかせ。弟・直義に頼りきりで、「早く世を捨てて、すべてを譲りたい」とまで信頼していた一方で、優秀な重臣の高師直にも強い権限を与えていたため、直義と師直の不和を発端とした兄弟抗争が巻き起こってしまった。それでも、尊氏が周りの武士たちに担がれてきたのは、何故なのか。気弱なところも、自信がないところも恰好つけずにそのままさらけ出したからこそ、周囲から信頼を得たのかもしれない。

がんばらなかった逆偉人伝 日本史編

 絵のこと以外なんにもやらないゴミ屋敷の巨匠・葛飾北斎、家臣の言いなりでも結果オーライの若将軍・徳川家綱、まわりがドン引きしても恋に一直線の和泉式部——その他の偉人たちのエピソードにも驚かされっぱなしだ。さらには、本書にはがんばりすぎた結果、過労死したり、不運に見舞われたりした歴史上の人物に関するコラムも収録されている。それらを知るにつれて、やっぱり「立派になること」や「まわりに認められること」だけが、人生の全てではないのだと確信させられる。「がんばることに疲れたな〜」と感じているなら、この本が力になるはず。偉人たちのエピソードはあなたにとって「もっと気楽に生きていいんだ」と思えるヒントになるだろう。

文=アサトーミナミ