『深夜食堂』の朝ごはんバージョン『朝ごはん亭』。お腹は空いてくるが、ちょっぴり泣けて心満たされる朝食マンガ
更新日:2023/9/27
お弁当のおかずで余った卵焼き、新聞を広げて無口に朝食を食べる父親、夕飯で食べた残りのカレー……誰でも何かしら、朝ごはんに関する記憶・思い出があるはず。しかし忙しすぎる現代社会、もしかしたら朝食は食べない、という人も多いかもしれない。
『朝ごはん亭』(青菜ぱせり/少年画報社)は、そんな思い出を掘り起こし、懐かしい気分にさせてくれたり、朝ごはんを作ってくれていた当時の母親や父親の気持ちに気づいたりすることができる、ほっこり人情朝食マンガだ。
様々な境遇にある人々が1話ごとに登場し、悩みや鬱憤や、それぞれの事情を抱えながら、朝5時から11時営業のお店「朝ごはん亭」を訪れる。そこで提供される日替わりの朝ごはんに、悩みを解決する糸口になるようなヒントを得て、実生活をより充実したものにしていく、そういったお話だ。読むと、懐かしいやら嬉しいやら悲しいやら、名状しがたい感情に襲われて、ほろりと涙を流すことになるだろう。そして次の瞬間、お腹が減っていることに気がつく。
本書に出てくる、お腹が空くのに心は満たされるお話を、一部紹介しよう。
卵かけご飯を実に美味しそうに食べる若サラリーマン
まずは第一話の「卵かけごはん」を紹介したい。遅刻癖のある若いサラリーマン、その日は朝の電車で眠そうに通勤していると、うっかり一つ前の駅で降りてしまう。彼はちょうど腹が減っていたこともあり、「どうせ遅刻するんだし」と思いながら、目についた「朝ごはん亭」に入ることに。
日替わりの朝定食1品しか提供しない「朝ごはん亭」、その日に出されたのは「鮭、その下に大葉、お味噌汁、ほうれん草のおひたし、海苔、卵、たくあん、小皿1品、ご飯」。主人公の若サラリーマンは「うまそー」と言いつつ、卵をチャカチャカ溶き終えると、ご飯の真ん中に少し窪みを作り、ぐっと流し込む。仕上げに海苔をちぎって振りかければ完成だ。黄金色に染まったご飯を頬張る姿に、相席した老人2人に「うまそうに食べるねえ」と言われながら完食。
鮭の下に敷かれていた大葉の向きが45度左に傾いているところを見ると、もしかしたら鮭を食べた後に大葉も食べようかなと思って箸で摘まんだものの、やっぱり食べなかったのかな、なんて考えて微笑ましく思ってしまう。
若サラリーマンは、お会計の際、店主に卵かけご飯の粒がネクタイに2粒ついていることを指摘されながらも、「いってらっしゃい」と見送りをしてもらう。その時彼はこう思う。
“見送ってもらったのも、ちゃんとした朝ごはん食べたのも何年ぶりだろう…”
会社には当然大遅刻をした若サラリーマン。眼鏡にかっちり七三分けの45歳ほどの課長に「また遅刻かね」と言われ、謝罪をするのだが、課長のネクタイにご飯粒が2粒ついていることに気がつく。それがきっかけで、課長も「卵かけご飯」が好きだということを知り、翌朝、朝ごはん亭を訪れることになる。しかし「朝ごはん亭」の献立は日替わりのため翌朝のメニューは卵かけご飯ではなくパンだったのだが……。2人は朝ごはんを食べつつ、なぜ課長は若サラリーマンを厳しく注意するのか、なんて話をしながら、関係を深めていく。この話は、どちらかと言うとお腹が空いてくる話だ。
ゆうべのカレーを通して両親の優しさを知って涙する娘
第二話の「ゆうべのカレー」は、第一話とは少し趣向が異なりうるっとさせられる話だ。母親が昔よく作ってくれたカレー。ただの「カレー」ではなく、「ゆうべのカレー」としているとおり、前日の夜に作られたカレーを次の日の朝に食べられることの幸せを、うまく物語に落とし込んで伝えてくれている。
上京した娘のもとに両親がやってきて、朝ごはん亭で「ゆうべのカレー」を食べながら昔の思い出を話し合うところから始まる。しかし、その夜、うっかりダブルブッキングしてしまって友だちとのカラオケを優先してしまう。カラオケで友人に両親が来ていることを話すとこう言われる。
“親とご飯食べる機会なんて年々減ってくよ”
結局、両親が来てくれている自宅に帰ったのは翌朝だったのだが、そこで娘はあるものに気がつく。置手紙といっしょに、母親が作ってくれていた「ゆうべのカレー」があったのだ。
“みんなで食べればよかった”
そう思った彼女の行動とは……。
両親に対する娘の思い、そして両親が愛する娘への思いが胸と目頭を熱くし過ぎてくれる。僕自身は、特にカレーに強い思いはなかったのだが、上京してから両親といっしょにご飯を食べる機会が年に数回になってしまったこともあり、涙なしには読めなかった。
本書には、そうした思い出に紐づいたメニューがうまいタイミングに出てきて、人々の行動を変えてしまう様々な朝食が描かれている。少々出来過ぎた展開ととられてもおかしくはなく、しかも1話10ページの短編物語なのだが、どうしてこうも感情移入して、心が温かくなるマンガなのだろうか。お腹はどんどん空いてくるが、反面、心だけは確実に満たしてくれるマンガなのだ。
文=奥井雄義