お客さんよりもコックが大事!? 店の入り口近くでコックが喫煙していた時代の話/お客さん物語 飲食店の舞台裏と料理人の本音④

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/22

お客さん物語 飲食店の舞台裏と料理人の本音』(稲田俊輔/新潮社) 第4回【全5回】

飲食店の裏側の生々しい話や、料理人ならでは熱い思い、お客さんとお店の本音など、1話完結で味わえる『お客さん物語』を描くのは、日本で南インド料理ブームを流行らせた男――稲田俊輔。料理人であり、飲食店プロデューサーであり、そして「食」に溺愛した一介のお客さんでもある彼が、ラーメン屋で、あるいはカレー屋で、はたまたイタリアンで目撃したり、体験した「食」に関するエピソードの数々を語ってくれる。誰かに話したくなる「食」に関する小ネタが満載。あなたに似たお客さんがいるかも……是非、探してみてください。

※本作品は『お客さん物語 飲食店の舞台裏と料理人の本音』(稲田俊輔/新潮社)から一部抜粋・編集しました

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お客さん物語 飲食店の舞台裏と料理人の本音
『お客さん物語 飲食店の舞台裏と料理人の本音』(稲田俊輔/新潮社)

「接客」という概念の無い店

 老舗めぐりが好きです。

 洋食屋、蕎麦屋、定食屋など、創業半世紀を超えるような店はどこも何かしら、今の主流の店にはない独特の味や雰囲気があって楽しいものです。

 こういう店の中には時々「接客という概念の無い店」というものがあります。

 引き戸を潜ってお店に入っても特に「いらっしゃいませ」もない。マゴマゴしているとお店のおばちゃんも怪訝そうにこちらを見ている。仕方がないので適当に空いている席に座る。おばちゃんはお茶の入った湯飲みをドン、とテーブルに置いて、

「何しましょ」

 といきなり聞いてきます。

 料理が出来上がるのを待つ間、おばちゃんは常連客や厨房の中の主人と世間話に勤しみつつ、ただしこちらを全く気にしていないわけではないようで、お茶が空になりそうになると注ぎ足しに来てくれます。

 注文した料理は特に「お待たせしました」などの決まり文句は無しに、ただ「はい◯◯定食」とだけ宣告されて目の前にドンと置かれる。

 調理を終えた主人は厨房から出てきて、奥のテーブルに腰を下ろしスポーツ新聞を広げます。

 食事を終えてレジで会計を済ませても特に「ありがとうございました」もなく、

「はい120円のお釣り」

 と片手で硬貨を手渡してくれます。

 去り際にようやく背後から、

「またどうぞ」

 という、今回唯一のお愛想がさりげなく聞こえてくる……。

 

 これはまあ、極めてざっかけない大衆食堂なんかのパターンですが、最近のやたらと声を張った「ありがとうございます!」「かしこまりました!」の連発や、一人の「いらっしゃいませ!」から店内スタッフ全員の「イラッシャイマセ!」が続く、いわゆる「山びこコール」に慣れてしまった僕たちには、ちょっとした戸惑いを感じるひとときでもあります。

 でもその戸惑いをいったん乗り越えて「あ、この店はこういう店なんだな」と理解すれば、そこはかえって自然で居心地の良い空間だということに気付いたりもするのです。

 観光客などにも知られた老舗の名店では、さすがに最低限の「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」くらいはありますが、やはり今どきの店とは違い、どこか鷹揚で素っ気なく淡々としていることが少なくありません。それは悪くいうと「愛想がない」「冷淡」「誠意に欠ける」という印象にもなるようで、グルメレビューサイトなんかでは往々にして「老舗有名店の座にあぐらをかいた態度」と酷評されているのを見ます。

 しかしそれはおそらくその店にとっては、そういう流儀がずっと何十年もの間「その店にとっての日常」だっただけの話なのです。そもそも「老舗の座にあぐらをかくような店」がいつまでも評判を継続できるほど、この世界は甘くはありません。誤解を恐れず言えば、日本の飲食店で現在主流の、ちょっと丁寧すぎる接客スタイルがむしろ「特異点」なのかもしれません。もちろんそれは飲食店における接客技術が高度に進化した結果とも言えるのかもしれませんが。

 

 僕がもうかれこれ四半世紀くらい通い続けているある洋食店も、かつてはそんな「接客という概念の無い店」のひとつでした。そこでは「いらっしゃいませ」も「ありがとうございました」もありませんでした。常連客がほとんどだったせいもあり、メニューもこちらからお願いしないと持ってきてくれません。水や料理は黙って目の前にドンと置かれました。

 それでもそこはまごうことなき繁盛店で、ランチタイムには近隣のビジネスマンが毎日列をなしていました。

 その店は客席から厨房が丸見えの、いわゆるオープンキッチンでしたが、コックさんたちはその中で堂々と煙草を吸っていました。その年配のコックさんたちがまた、揃いも揃ってコワモテ。絶対カタギじゃないだろ、という濃い面構えの面々。昔の東映ヤクザ物の映画に出てくる用心棒タイプとか、歌舞伎役者のような風貌ながら目付きは剃刀のように鋭い色男とか、タイプは様々ながら言うなれば全員が劇画タッチ。

 そのコックさんたちが、いかにも年季の入った職人らしい鮮やかな手つきでテキパキと仕事をこなし、その流麗な職人仕事によって捻出した僅かな時間の隙に猛然と煙草を吸う姿は、ある意味見事なものでした。煙草を吸い始めた瞬間次のオーダーが入り、くわえ煙草のままフライパンを手にし始めた瞬間も何度か目撃したことがありました。しかし常連客たちは特にそんなことを気にする様子もありませんでした。そのボリュームたっぷりで間違いなくうまい料理を淡々と平らげ、「ありがとうございました」を言わないお店に対して自分たちも特に「ごちそうさま」などと言うこともなく、くわえ楊枝で去っていく……。それがそのお店の日常でした。

 しかし世間は刻一刻と変わっていきました。

 10年くらい前のことでしょうか。世の中の煙草に対する意識は徐々に厳しいものになり、お店に対して「接客レベルの向上」が当たり前のように求められるようになってきて、更にその店は常連サラリーマンだけではなく観光客やグルメブロガーにも「発見」され始めました。

 その店ではある時ついに、キッチン内での喫煙が禁止されました。その代わりに従業員用喫煙所が店外に設けられたのですが、その喫煙所が設置された場所が驚愕でした。それはなんと「店の入り口の脇」だったのです。しかも入り口の間口は1メートル半もありません。喫煙所には営業中もコックさんが代わる代わるそこに登場しましたから、必然的にお客さんの多くが煙草を吸うコックさんの横を窮屈そうにすり抜けながら入店するということになりました。

 さすがにそんなシュールな光景がまかり通ることはなかったようで、短期間でその喫煙所は撤去されました。

 後に僕はたまたま、その店にいた老コックさんと30分くらい立ち話をする機会を得たことがありました。コックさんはその店の創業者である先代の社長の時代からの最古参の一人で、いきおいその時はその創業社長の思い出話に終始することになりました。

 老コックさん曰く、先代は自分自身がコック上がりだったこともあり、とにかくコックさんたちを大事にしてくれた、と。そのコックさんが入店してすぐの頃、店内は大改装されたそうなのですが、社長は改装にあたって「コックの働きやすさ」を何より重視してその設計を行ったと言うのです。その結果、店は改装前より厨房が広く、そして席数は減りました。最初に設置された作業台は「この高さだとコックが腰を痛める」という理由で全て交換されたそうです。

「とにかく社長はコックを大事にしたから、コックは誰も辞めなかった」

 僕はそれを聞いて、なるほど、といろんなことが腑に落ちました。

 その店は繁華街のど真ん中のビル一階という家賃もバカ高いであろう立地でありながら、確かに妙に厨房が広く客席の狭い店でした。店と共に老いていくコックさんたちはほぼずっとメンバー不動で、全員なんとなくカタギの世界には素直に馴染めなさそうなタイプにも見えたのです。

「社長にとってはお客さんよりコックが大事だった」

 という彼の言葉は、仕事ができれば煙草くらい自由に吸え、と言わんばかりのあの顛末の意味を雄弁に物語っていたんだな、と納得できました。

 喫煙所事件と時を前後して、その店は接客も大きく変わり始めました。もしかしたら外部のコンサルティング会社が入ったりもしたのでしょうか。今では明るくハキハキとした「いらっしゃいませ」「お待たせしました」「ありがとうございます」の声が店内を飛び交っています。劇画タッチのコックさんたちは相変わらずメンバーほぼ不動ですが、コックコートの首元には可愛らしい赤いスカーフが巻かれていて、コワモテとのアンバランスさが失礼ながら少し滑稽だったりもします。

 コックさんと同じくらいお客さんも大事にする。もちろんそれは常連さんも一見さんも分け隔てなく。そんな誰も文句のつけようの無い名店に進化したと言えるのかもしれません。もしかしたらその陰で、どこかに負担の皺寄せが行っているのかもしれませんが。

 それでもやっぱり僕は、その店があまりにもまっすぐで不器用だった時代が少しだけ懐かしくもあったりはするのです。

<第5回に続く>

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