一晩10万!? メニューはほぼ同じでも名前を変えるだけで2倍の値段で売れる日とは/お客さん物語 飲食店の舞台裏と料理人の本音⑤

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/23

お客さん物語 飲食店の舞台裏と料理人の本音』(稲田俊輔/新潮社) 第5回【全5回】

飲食店の裏側の生々しい話や、料理人ならでは熱い思い、お客さんとお店の本音など、1話完結で味わえる『お客さん物語』を描くのは、日本で南インド料理ブームを流行らせた男――稲田俊輔。料理人であり、飲食店プロデューサーであり、そして「食」に溺愛した一介のお客さんでもある彼が、ラーメン屋で、あるいはカレー屋で、はたまたイタリアンで目撃したり、体験した「食」に関するエピソードの数々を語ってくれる。誰かに話したくなる「食」に関する小ネタが満載。あなたに似たお客さんがいるかも……是非、探してみてください。

※本作品は『お客さん物語 飲食店の舞台裏と料理人の本音』(稲田俊輔/新潮社)から一部抜粋・編集しました

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お客さん物語 飲食店の舞台裏と料理人の本音
『お客さん物語 飲食店の舞台裏と料理人の本音』(稲田俊輔/新潮社)

平成クリスマス狂想曲

 僕が外食の楽しさに目覚めた平成初期。その時代、巷には「クリスマスディナー」というものがありました。いや、今ももちろんクリスマスディナーはありますが、当時のそれは今のものとはだいぶ様相を違えていたと思います。

 それは、おそらくバブル期に端を発した「やたら金のかかる男女交際」が、バブル崩壊後もしばらくそのまま引き継がれたものだったと言えるかと思います。クリスマスになると、男連中は彼女のためにクリスマスディナーとホテルを予約し、プレゼントも用意しなければならない。一晩で少なくとも10万円、もちろん場合によってはそれを遥かに超える散財です。若者たちは学生も含めて、「そうしなければならない」という圧に曝されていました。雑誌やテレビも当然のようにそれを煽ります。それをできない男には駄目の烙印が押されます。散財する相手すらいないというのは、それ以前の落伍者。思えば恐ろしい時代でした。

 僕の周りの友人たちは、野暮天か貧乏、ないしは世の中を斜に見ている連中ばかりでしたので、幸か不幸かそういう華やかな青春とは無縁でした。我々はダンゴ虫のように寄り添って、世の中の風潮に呪詛を吐き散らすことでその時期をなんとかやり過ごしていたのです。

 ですので毎年その時期、僕は飲食店のアルバイト店員として、着飾った人々を迎える側でした。クリスマスには学生アルバイトのシフト希望が極端に減ります。恋人のためにその日は空けざるを得ない人もいたけれど、見栄を張って予定のあるふりを決め込んでいたヤツがいたのも知っています。

 

 イタリア料理店でアルバイトに入っていた時は、事前にクリスマスディナーの内容は伝えられていました。それを見て僕はびっくりしました。構成は普段出しているコースとそう変わらず、料理内容はむしろそれより凡庸に見えます。少し違うのはそこに「シェフからのクリスマスの贈り物」という謎めいた一品が付け加えられ、デザートが「クリスマススペシャルデザート」という名の盛り合わせになっているだけ。なのに値段だけは倍くらいだったからです。

 それでも予約はあっという間に埋まりました。12月24日のクリスマスイブだけでなく、その前後も含めてです。シェフ曰く、「クリスマスディナーの客はその日しか来ない客」とのことでした。普段は新規客の獲得に躍起になってもそうそう成果は上がらないのに、その日だけは苦も無くあっさり集まるわけです。ただし新規と言っても基本的には次には繋がらない人々なので、シェフはそのかき入れ時の日を無難にやり過ごすことだけを考えているようでした。

 コースのメニュー表には、あたかもそれを頼まねばならないかの如く「おすすめシャンパン」が、まあまあ強気な値段で書き添えられていました。ちなみに正確にはシャンパンではなくスペインのスパークリングワインでした。今では考えられない蛮行ですが、シェフは「その方が彼らも気分が盛り上がるやろ?」と涼しい顔でした。なるほど商売とはかくなるものか、と僕は深く納得しました。

 クリスマスディナー提供当日、シェフが盛り付ける料理を見て、僕はもう一度びっくりしました。なんだかいつもより確実に量が少ないのです。確かに素材としては牛ヒレ肉やオマール海老、フォアグラといった高級食材が使われてはいましたが、それにしても、です。ちなみに魚料理として提供された「オマール海老と海鮮のグラタン」は、海老・イカ・ホタテが正体を欺くが如く細かめに刻まれた中央に、オマールが一口分だけ鎮座していました。小さなグラタン皿の上には身を取った後の殻が恭しく飾られており、その殻は洗って翌日、翌々日も使い回されます。普段、なんでもない素材でも豪快に盛り付けるシェフのスタイルからは考えられない仕様でした。牛ヒレステーキの上にフォアグラがのった「ロッシーニ風」は、難なく三口で食べられるようなサイズでした。

 しかし実はそこには、シェフのある種のサービス精神もあったのです。

「彼らは別に飯食うために来とるわけちゃう。店を出た後もっとずっと大事なメインイベントがあんねん。その前に満腹で苦しくさせてしもたら却って気の毒やろ」

 僕はわかるようなわからないような微妙な気持ちでしたが。

 サービス精神と言えば、シャンパン(という名のスパークリングワイン)を半ば強引に売りつけることにも、実はシェフなりの思いやりがありました。

「彼らは本当は誰にも邪魔されたないねん。酒のおかわりで何度も声かけるのも申し訳ないやろ」

 そして実際その日は人手不足もあって、空いたグラスにワインクーラーのワインを注ぎ足すサービスも潔く省略されました。

 僕はこれには深く納得し、その頃たまたま別の知り合いの飲食人から聞いた話をシェフにしました。ある店のクリスマスディナーの話です。その店では、料理を提供するのにアフタヌーンティースタンドを使っているということでした。トレイがタワー状に三段くらい重なったアレです。そこに前菜もメインもデザートも全て盛り込み、ワインのボトルもセットにして、最初に一度持って行ったら後は完全に不干渉、ということです。

 僕はそれを、完全に笑い話としてシェフに話しました。シェフもきっと「そんなん絶対うまないやん」と笑うと思ったのです。しかしあにはからんや、シェフは真顔で、

「ええな、それ」

 と、来年以降のスタイルを真剣に検討し始めました。

「スタンドは高すぎて元取れへんけど、おせちみたいなんはどうやろな。ちょうど正月前やし」

 どうやろな、と言われても、どうもこうもありません。何が「ちょうど」なのかもよくわかりません。僕は「僕だったら絶対イヤです」と言いそうになりましたが、シェフの意外なまでの真剣さにその言葉を飲み込み、「なるほどナイスアイデアですね」とだけ返しておきました。

 シェフの最初の言葉通り、クリスマス時期のお客さんは、普段とは明らかに客層が異なっていました。普段の常連さんたちは、京都の商家の若旦那連中。遊び慣れていて粋だと言えばそうだし、少々やんちゃで傍若無人な一面もありました。しかしクリスマスディナーで訪れる人々は、もっと普通のおとなしい人々でした。そして店内は、いつもとは違う不思議な多幸感で満たされていました。多幸感と言えば聞こえがいいですが、僕は正直なところ「ちょっと気持ち悪い」とも思っていました。なんだかみんなずっとニヤニヤしている。もっとも今考えればそれは、当時のクリスマスにおいてやるべきことを全うしている勝ち組の人々に対する、ある種のやっかみだったのかもしれません。

 

 そんなクリスマス狂想曲は、その後、少しずつマイルドになりながらも10年くらいは続いたと思います。その頃には僕も、クリスマスディナーを考えて予約をかき集めて提供するシェフの側に回っていました。学生時代のシェフの教えも、そこに多少は生かされていました。ひねくれた料理ばかりを出していたその店でも、その日ばかりは「わかりやすくゴージャスな」コースを組みました。スパークリングワインのボトル売りは、シャンパンと偽ることこそありませんでしたが、積極的にプッシュしました。

 店はやっぱりその日だけ不思議な多幸感に包まれましたが、その頃には、「皆さん頑張ってくださいね」という気持ちでそれを温かく見守る程度の達観には至っていました。

 

 今回本当は、平成のクリスマスディナーの話をマクラに、「忘年会という習慣が無くなりつつある現代の飲食店の苦境」について真面目な話をするつもりでした。しかし当時のクリスマスディナーが思い出すだに面白く、ついそのまま筆が進んでしまったというわけです。

 昨今の飲食業界は、当時よりずいぶん「地に足のついた」ものになったと思います。クリスマスディナーも最近では、そのお店の常連さんが、いつもより少しだけ特別な食事を楽しむ場になったのではないでしょうか。それは確実に文化の洗練です。しかし、あの頃あの馬鹿馬鹿しさをみんなが当たり前のように受け入れていた世の中を、少しだけ懐かしむ気持ちがあるのもまた確かではあります。

<続きは本書でお楽しみください>

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