大人になるにつれ希少になっていく目的も意味もない遊びの中に、創造の原点が隠されている/美術の進路相談⑤
公開日:2023/9/27
目的のない遊びに創造の原点がある
「先生、これってなんの意味があるんですか?」
進学校で美術を担当していたとき、賢い生徒に「絵を描く時間」の意味を問われたことがあります。隠れて英単語帳をめくっていた彼は、目の前にある画用紙と絵の具には目もくれず、受験科目だけに集中できればどんなに良いか……と顔をしかめていました。
そのときぼくがなんと回答したのか、実はまったく覚えていません。もしかしたら完全に言葉に詰まったために、あの質問をずっと覚えているのかもしれません。
だから、もう一度彼に会う日がきたら、「一緒に夢中で絵を描いてみよう」と誘ってみたいと思います。目的や意味を考える暇もないくらい、彼が画用紙の上で遊ぶ姿を想像します。
大人になると、人と人は小さな引力につなぎとめられていることがわかります。会社の目的とか、仕事をやる意味とか、期限つきの目標……といった引力です。その多くは効率的で、最小限で、的確で、無難で、最短です。反対に無意味なことや無駄な時間を嫌うようになります。また、意味が失われた瞬間に、人をつなぎとめていた引力が消え、ばらばらになることもよくあります。人生を自分の足で踏みだしてみると、目的や意味もなく戯れたり、遊んだりする時間や、傍にいたいと思う人の存在が、希少であることを知るときがきます。しかし不思議なことに、創造的な瞬間というのは、そんな希少なもののなかに隠れているのです。
ぼくは研究という道に進んだことで、それをたしかな実感と共に学びました。驚くべき発想、ユニークな視点、本質を突く直感。そんな種がすとんと落ちてくる瞬間とは、たいてい目的もなく遊んでいたり、お散歩していたり、ゆるりと景色を眺めたり、読書をしたり、大切な人とお茶を飲んでいるようなときなのです。そして本当に優れた研究者の多くは、子どものような目をして、何のためになるのかわからないような創造の種を、「変人」と呼ばれながら全力で追いかけているのです。