雑念まみれの脳内と独特の人間関係を覗いてみたら……。非本格将棋マンガ『花四段といっしょ』インタビュー
公開日:2023/9/20
「将棋マンガ」と聞くと、「なんだか難しそう」「ルールがわからないし」と敬遠する人もいるかもしれない。だが、『花四段といっしょ』(増村十七/朝日新聞出版)は、正真正銘、将棋の知識ゼロでも楽しめるコメディマンガだ。
描かれているのは、花四段ことプロ棋士・花つみれの雑念多き日常。対局中、相手の高級時計やブランド財布の値段が気になり、思考がとっちらかる。出前の昼食メニューを大真面目に考えるも、思わぬトラブルに巻き込まれる。浮世離れしているようで、どうにも人間くささが滲み出てしまう花四段の姿が、面白おかしく描かれている。
さらに、花四段を取り巻く棋士たちとのドラマも見逃せない。2巻では花四段の知られざる過去が描かれ、発売されたばかりの3巻では花四段の兄貴的存在・茄子五段の胸中も語られていく。最初は笑いながら読んでいたはずが、内面が掘り下げられるにつれて登場人物への愛おしさが急角度で増していき、作品世界にずるずると引き込まれていくから何とも恐ろしい。
この唯一無二の作品はどのようにして生まれ、どこに向かっていくのか。作者である増村十七さんに話を伺った。
取材・文=野本由起
「棋士も普通の人なんだな」
──『花四段といっしょ』は、将棋のルールを知らなくても楽しめる異色の将棋マンガです。この作品は、どのような経緯で生まれたのでしょうか。
増村十七さん(以下、増村):もともと将棋を見るのが趣味で、中でも好きな棋士が先日まで日本将棋連盟の会長をされていた佐藤康光九段でした。ある時、佐藤九段の紹介マンガを描いてイベントで無料配布し、それをネットにもアップしたところ将棋好きの方に少し広まって。それを見た朝日新聞出版の編集者から、将棋を題材にした楽しい雰囲気のマンガを描いてみないかとお声がけいただいたんです。そこで考えたうちのひとつが、『花四段といっしょ』の原型になりました。
──方向性としては、最初からコメディだったんですね。
増村:そうですね。佐藤九段のマンガは、将棋を知らない方に向けて「こういうトッププレイヤーがいるよ」と笑いを交えて紹介したものでした。そのため、トップ棋士がひしめきあってしのぎを削るマンガではないものを描こうと思いました。
──もともと将棋をご覧になっていたということですが、将棋好きになったきっかけは?
増村:オセロやUNOなどと同じゲームの一種として、幼い頃から同級生と将棋を指していました。しかも、私が子どもの頃は羽生(善治)さんの全盛期であり、今に至るまでずっと強いままです。なのでニュースなどで見聞きする機会も多く、なんとなく追いかけるようになった感じですかね。
──『花四段といっしょ』は、棋士が主人公でありながら将棋がわからなくても楽しめる作品です。「とはいえ、多少はルールを知らないと読めないのでは?」と思っていましたが、本当に何も知らなくても面白いのがすごいです。
増村:できるだけ垣根を低くしたいと思い、「将棋を知らなくても読めますよ」と強くアピールしているつもりです。ただ、「とは言っても、将棋マンガでしょう?」と思われてしまい、届いてほしい層にまではなかなか届いていないなって。できるだけ段差をなくして、なだらかに入り込めるようにいろいろ頑張っていますが、難しいものですね。
──執筆にあたり、将棋会館やプロ棋士の方に取材をされたのでしょうか。
増村:はい。将棋マンガは監修がつくことが多いのですが、『花四段といっしょ』は監修者をつけず、取材してお話を伺っていますね。
──取材の中で、意外に感じたことがあれば教えてください。
増村:こちらとしては失敗談を聞きたいのですが、いきなり「失敗談を教えてください」と言っても難しいですよね。ポロッと言葉を聞きたくて、最初は日常的なお話を伺うことが多いということもあって、「将棋指しは特別だな」というよりも「普通の人なんだな」と思うことが多い気がします。
──棋士は頭の回転が速いがゆえに、ちょっとエキセントリックな人が多いのではないかと思っていました。実際に会話すると「普通の人」という印象が強いんですね。
増村:そうですね。特別な職業ではあるので、仕事にまつわることでは特殊なお話も多いのですけど。ただ、例えばプロレスラーならキャラクターの面白さが必要ですが、さすがに将棋指しは面白くある必要はありませんよね。長く将棋界に関わってきた方にお聞きしたところ、羽生さんやその少し前の谷川浩司さんあたりから、棋士=頭脳アスリートのようなクリーンなイメージが根付いていったんだそうです。
羽生さんよりも前の時代にはエキセントリックな方もいらっしゃいました。住職と棋士を兼任していた灘蓮照九段という方もいたりして、面白いんですよね。将棋ファンの間では有名な話ですが、升田幸三さんという方が名人との対局を拒否した陣屋事件(※1)という出来事もあります。
将棋の普及段階ではこうした型破りな方もいましたけど、平成あたりになるとだいぶ変わってきましたよね。昭和の頃とはだいぶ違うなと思います。
※1 陣屋事件
1952年2月、木村義雄名人と升田幸三八段で第1期王将戦七番勝負が行われた。だが第6局の前夜、対局場の「陣屋」(旅館)を訪れた升田が、玄関のベルを鳴らしても出迎えがないことを理由に対局を拒否。これが世に言う「陣屋事件」である。なお、升田が対局を拒否した理由は他にあるとされている。その背景は、『名人に香車を引いた男 升田幸三自伝』(升田幸三/中央公論新社)に詳しい。
誰かが笑ってくれる可能性があるなら、小ネタを隙間に詰め込みたい
──『花四段といっしょ』に登場する花四段、兄貴分のような茄子五段といった人物はどのように作り上げていったのでしょう。
増村:花四段に関しては、将棋を題材にしたコメディを考える中で、話を描きながらだんだん固めていきました。「こういう人、面白いな」と第1話の原型ができていき、そこからキャラクターを固めていって。タイトルも花四段を推す形で『花四段といっしょ』にしました。
他のキャラクターはそれぞれ作り方が違いますが、基本的には花四段が魅力的に映るよう意識しています。「こういう人がいたら花四段のこういう面が見えるかな」と話を作り、同じように「この人はこういう人かもしれない」とその人の別の側面を見せていく。起点となるのは花四段、という作り方をしています。
──確かに、作品を読み進めるにつれて花四段をはじめとする登場人物のいろいろな面が見えてきます。1、2巻では花四段、3巻では花四段に加えて茄子五段の新たな一面も見えるなど、巻を重ねるごとに多面的な魅力が見えてくるのが面白いですよね。人間の多面性を徐々に見せていきたいという思いがあるのでしょうか。
増村:難しいですね。多面的な顔を見せることがメインではないのですが。ただ、結果的にそうなると話が面白くなりますし、SNS上でも「この人、どういう人なんだろう」という面白がり方をしてくれる読者が多いので、こちらもそこを真剣に考えたくなります。
「奇面組」(『3年奇面組』『ハイスクール!奇面組』新沢基栄/集英社 ※2)というマンガをご存じですか? キャラクターとの向き合い方は、あの作品を参考にしています。読んだのはかなり前ですが、これはすごいと記憶に残っていたんです。
※2 『3年奇面組』『ハイスクール!奇面組』
1980年代に「週刊少年ジャンプ」で連載された新沢基栄のギャグマンガ。一堂零、冷越豪、出瀬潔、大間仁、物星大からなる5人組「奇面組」を中心に、お勉強集団「骨組」、イケメン集団「色男組」など個性あふれるキャラクターたちが活躍する。テレビアニメも人気を博し、2000年代にはリメイク作品『フラッシュ!奇面組』の連載も始まる。
──花四段の師匠や兄弟弟子、周囲を取り巻く棋士たちなど、どのキャラクターも存在感がありますよね。モブキャラ(その他大勢のキャラクター)がいなくて、全員魅力的なのもこのマンガの特徴だと思いました。
増村:もしこれがエリート棋士が真剣勝負を繰り広げるマンガだとしたら、花四段がモブキャラにあたると思います。ですが、このマンガにおいては横並びなので。もちろん花四段は特別な扱いではあるものの、キャリアや段位が上の棋士たちをモブにするとバランスがおかしくなる気もしますよね。
あと、私が貧乏性だからかもしれません。ちょっと喋るだけの人でも、面白いに越したことはないじゃないですか。ちょっとした隙間で誰かが変な顔をするくらいでも、もしかしたら笑ってくれる人がいるかもしれない。それなら、笑える要素を詰め込んでおこうという考え方です。モブはモブとして比重を置かないほうが読みやすくなることもあるので、そこは私の性質、作家性が表れているかもしれません。
──今のお話とも関連するかもしれませんが、『花四段といっしょ』は全編にわたってギャグがちりばめられています。コメディのセンスにおいて、増村さんが影響を受けた作品はありますか?
増村:とてもたくさんあります。特に1990年代頃はマンガ雑誌も元気で、ギャグマンガは今よりもっと単行本が売れる時代でした。その影響は大きいですね。
ひとつ挙げるとしたら、つの丸先生の初期作『モンモンモン』(集英社 ※3)です。おサルの話なのですが、何でもないところでもヨダレが垂れて、鼻をほじっていて、隙あらばおならをしているんですね。最近また読み返したのですが、子どもだったから面白かったわけではなく、今も面白いなと思って。おならひとつで、もしかしたら誰か笑うかもと思ったら隙間に描く、この精神だなと思いました。私もおならこそ描かなくても、面白さの数値が0.1でも上がるなら、描かない理由はないと思っています。
※3 つの丸
1991年にデビューしたギャグマンガ家。『みどりのマキバオー』『たいようのマキバオー』『サバイビー』『ごっちゃんです!!』などの著書がある。
──隙あらば、ちょっとネタを入れようという考えがあるんですね。
増村:そうですね。『花四段といっしょ』を描く前、作品が打ち切りになったこともあり、何が自分の強みなのか、どこを目指せばいいのかといろいろ考えたんです。そのうちのひとつとして、私のマンガは小ネタがすごく多いと気づきました。他のマンガ家の方々はそこまでやっていないことだなと思い、意識的に小ネタを入れるようにしています。
実在の女流棋士から力をもらって描いた、朝顔のエピソード
──作中では、一門という師弟関係、養成機関である奨励会(新進棋士奨励会)といった将棋界独特の人間関係も描かれています。一般社会では馴染みのない面白い制度だと思いますが、増村さんは将棋界の人間関係をどのようにご覧になっていますか?
増村:ある程度現実に即した作品にしたので、最初は一門や奨励会の存在は厄介なものでもありましたね。というのも、現実の将棋の世界では強い人が突然現れることがないんです。アマチュアからプロになる方はほんの少しいるのですが、それも彗星のように現れていきなりプロになることはなく、ほとんどの方が元奨励会員で、退会してからプロになるケースです。先日、小山怜央さんという方が奨励会を経験せずにプロになったのですが、それでも10年、20年とアマチュアで実績を重ねていました。そういうイレギュラーな方であっても、将棋界にどっぷりなんですよね。ましてや多くのプロ、たとえば「羽生世代」と言われる羽生さんのライバルたちは、奨励会に入る前からしのぎを削っていた約40年前からの幼なじみです。これは、マンガを描くうえで大変なことでもありました。
しかも、第1話を読み返すと花四段ってよくわからない人なんです。周りの棋士たちが花四段のバックボーンがわからない状況なら、あのおとぼけ感を維持できますが、10歳くらいからの付き合いとなると話が変わってきます。人間関係を考え始めたらそれはそれで面白くなってきましたが、最初のほうはどう見せるか悩みました。みんなが幼なじみで、仕事の同僚というよりは同じ釜の飯を食べた仲間という関係は、私も実感がわきませんし、読者にとってはさらに遠い世界だと思います。その見せ方は工夫のしがいがあるところでしたね。
──キャラクターの中でも、個人的には花四段の妹弟子・朝顔のエピソードが好きなんです。生まれついた性別によって女性という枠に入れられていますが、男性優位の将棋の世界で自分の道を生きていく。その姿に、こちらも励まされました。朝顔をめぐるエピソードは、どんな思いで執筆されたのでしょう。
増村:読んで思い違いをされる方は少ないと思いますが、まず前提としてひと言添えておかなくてはならないことがあります。私の知る範囲では、現代の日本将棋連盟では女性だからといってアンフェアな扱いを受けるようなことはないと思っています。確かに、将棋界においては歴史が浅い女性の声が反映されにくいという一面はあったかもしれません。そのため、LPSA(日本女子プロ将棋協会)という団体が発足したという経緯もあります。ですが、将棋という競技はあくまでもフェアに行われ、女性だからといって冷遇されることはないというのが前提です。
とはいえ、将棋に限らず社会においては、少数派が活躍するには難しい局面もあります。そんな壁があるくらいなら、壁が少ない分野に行こうと思う人も多いと思うのですが、あえて壁に立ち向かう人たちの存在は、その代で実を結ぶかどうかわからなくても、これからの人たちのためになる。
というのも、昨年、女流棋士トップの里見香奈さんという方が、女性初の棋士を目指して棋士編入試験に挑戦されたんです。残念ながら編入には至りませんでしたが、私はこの方のことも大好きで、佐藤康光九段の時と同じように紹介マンガを描いたことがあります。朝顔とはキャラクターが全然違いますが、里見さんがいなければ朝顔の描き方は違っていたと思いますね。もしかしたら「今の段階では女の子がプロ棋士になるのは無理でしょう」となっていた可能性もあります。現実の方に力をいただき、私の思いも上乗せし、なるべき世界を少しだけ早く朝顔が体現しているという感じです。
私の思いとしては、できるだけ朝顔の好きなようにさせたい。朝顔はおしゃれな人ですけど、おしゃれをしてもいいし、奇抜な格好をしてもいいし、将棋に限らずいろいろなことを楽しんでほしい。好きな道に行けるものであれよ、と思っています。
茄子五段が困っていると話が進む
──2巻の最後で、花四段の過去が描かれているのも印象的でした。最新刊の3巻もそうですが、どんどん内面が深掘りされていますね。
増村:2巻の最後は、読者からだいぶ反応がありました。こちらとしては、花四段の過去はすでに考えていたので、「みんなこういうことが気になっていたのか」と後から気づきました。
これは後から考えたのですが、『花四段といっしょ』では、第1話から花四段の思考がダダ漏れですよね。読者からすると、「こんな変な人なんだな。こういうことを考えているんだな」と全部わかっているつもりだったのだと思います。ですが、この言葉が適しているかわかりませんが、2巻の最後で騙し討ちができたのかもしれないですね。読者が知っていたはずの花四段ですが、「あれ、こんなところに違うひきだしがあるのか」と、隠し扉を開けたような、ちょっと部屋が広がったような感じがあったのかもしれません。そこまで深く考えていたわけではないので、本当に偶然ですし、運が良かったのだと思います。
──今の説明を受けて、腑に落ちました。頭の中まで見せてもらっていたつもりだったのに、まだ知らない面があったわけですね。それが3巻になると、人物像がもう一段深みを増していきます。1冊通して連続性のあるストーリーが語られ、余韻の残る終わり方をするという構成も素晴らしかったのですが、3巻はどういった思いで執筆されたのでしょう。
増村:担当編集者やマンガ好きの友達からも意見をもらい、方向性を決めたところもあります。本来はコメディマンガですから、2巻でちょっとシリアスな展開になった分、3巻ではコメディに戻そうと思ったんです。でも、「茄子さんとの関係をもっと知りたい」と素直な意見をもらいましたし、コメディに引き戻そうというのもこちらのエゴだなと思いました。2巻で読者が花四段について気になったのに、またシャッターを閉めるように焦らすのは違うかなと思い、3巻の方向性をそちらに少し寄せました。
ただ、もう少しコンパクトにまとめるつもりでしたが、やっぱり心の内を描くと紙幅を取るので、3巻みっちりになってしまって。「3巻で収まったからまあよしとしよう」という感じでしたね。
──3巻の中で、増村さんが特に気に入っている描写、うまくいったシーンはありますか?
増村:鹿子ゆりというキャラクターが出せたのはよかったですね。私は好きなキャラですが、かなりアクが強いので、好きでない方がいるのも承知していますけど。ここまで勝手させていいのかなと毎回思いましたが、そこまでブレーキをかけずに鹿子さんのやりたいようにやらせることができてよかったなと思います。
──かなりアレな人ですよね……。
増村:ただ、合理的な人ではあるので、人を貶めたり、傷つけたりしたいわけではありません。そう信じて、のびのびしてもらいました。傷つけるつもりはなくても、茄子五段はかなり割を食っていると思いますが。
──そんな茄子五段も、3巻で新たな一面が見えてきました。
増村:私も3巻を描きながら、あらためて「この人、こうなんだ」と思いました。言い方は悪いのですが、3巻の最終話を描きながら「あ、この人が困っていると本当に話が進む」と思って。
──ひどいです(笑)。
増村:申し訳ないですけど、困ってる顔がはかどる、はかどる。困っている顔が映えるので、つい入れたくなりますが、劇薬みたいなところもあるので便利に使いすぎないようにしようと思いました。茄子五段はキャラクター的にも兄貴肌なので、みんなが寄りかかるようなところがありますよね。その末の3巻なのでちょっとかわいそうですし、作者としても寄りかかりすぎないようにと思っています。
──気の早い話ですが、4巻はどのような展開になっていくのでしょう。
増村:まだ全体像は明確には見えていませんが、4巻はまたコメディに戻したいと思っています。できるだけコメディで、かつ読者が気になるところにスポットを当てていき、シリアス展開が好きな人もできるだけ楽しめる形にしたいなと思います。
──今後、『花四段といっしょ』という作品をどのように育てていきたいですか? 長期的な展望をお聞かせください。
増村:「ここまでいけたら御の字」という終わりのほうは大体決めてありますが、読者が少なければ続けるのは難しく、本当にそこまで行きつくかどうかはわかりません。ただ、行きつかなくても面白く終われる話ではあるので、毎回出し惜しみをせずに面白い話から順に描いていく感じになると思います。「あれはどうなったんだろう」と気になるところは優先して描き、それでもはみ出るキャラクターの部分が出てきたら、一番面白いところから見せていけたらと思います。