女性を騙して惚れさせ風俗に落とす会員制バー。半グレ、大手広告代理店の闇、日本の歪みと悪を描いた社会派小説
PR 更新日:2023/10/19
月村了衛氏の『半暮刻』(双葉社)は完全なフィクションでありながら、そらおそろしいほど現実とシンクロした小説だ。特に、大手広告代理店の内実を書き連ねたパートのリアリティは、驚嘆すべきものがある。社員は労働基準法に違反する負担を強いられ、不眠不休での仕事は当たり前。女性社員は過度なハラスメントを受け、精神的に追い込まれていく。同社が仕切る新都市博を巡る数々の汚職は、いつぞやのニュースで見たような錯覚を起こさせるものだ。
主人公はふたりの青年。児童養護施設で育った元不良の翔太は、地元の先輩の誘いで「カタラ」という会員制バーの従業員になる。ここは暴力団に所属せずに犯罪を行う集団、いわゆる半グレが仕切っている店。言葉巧みに女性を騙して惚れさせ、風俗に落として金を使わせるのが従業員の目的だ。
翔太はこの店で海斗という大学生と出会う。ふたりは、タッグを組んでずば抜けた売り上げを記録。それを可能にしたのは、店が作成したマニュアルだった。書かれているのは洗脳や自己啓発に限りなく近い文言。〈意識を高める、自分を磨く、自分が変われば世界が変わる、そのためには資金が必要、時間は金で買える、金を稼げない者は馬鹿と同じ〉といった煽り文句が並んでいる。
カタラの悪事がおおっぴらになり、海斗と翔太は失職。裁判で運よく不起訴となった海斗は、大手広告代理店のアドルーラーの内定を勝ち取る。翔太は実刑3年を食らって、出所後は風俗でデリヘル嬢を送迎するドライバーとして働く。そんな時、デリヘル嬢の沙季が読んでいた、モーパッサンの『脂肪の塊』をたまたま手に取った翔太は、すごい勢いで読書に夢中になってゆく。
筆者が最も感じ入ったのは、このくだりである。沙季の影響で日々外国文学を渉猟し、片っ端から読んでいく翔太。入手したのは、アンナ・カヴァン、ジョゼフ・コンラッドやチャールズ・ディケンズなど。読書などしたことのなかった彼は、外国文学という未知の世界へ急速にのめりこんでゆく。まったく理解できない本もあったが、理解できないなりに未知の言葉が空虚な心を満たしてくれる。
彼が手に取る文学作品は、先述のマニュアルとはまったく異なる。いや、文学を読むことで培った想像力があったなら、先述のうすっぺらなマニュアルの嘘くささを見抜けたはずだ。管見だが、人が文学を読むのは、何かしらの問いを読者に投げかけてくれるからだと思う。読者にもたらすのは「問い」であって、「答え」ではない。マニュアル本のような唯一絶対の正解など、まずもって用意されていないのだ。外国文学に眠る無数の問いを自分の感性とすりあわせ、想像力の翼を広げるのが、翔太にとっての読書の愉悦だったのではないだろうか。
また、海斗が働くアドルーラーは、東京で行われる新都市博を仕切ることに。当然のごとく、癒着している業者に便宜を図り、仕事を回し、暴利をむさぼる。この事実を追った週刊誌のスクープ記事は、発売前にもみ消されてしまう。大新聞や週刊誌で与党の広告戦略を全部請け負っているのが、アドルーラーだからだ。
アドルーラーはネット世論も巧みに誘導して、自在に操作する。彼らはネットに集う大衆を最初から舐めていた。同社社員はSNSで自分たちを批判する大衆を〈スマホに向かって愚にもつかない戯言を延々と垂れ流し、悦に入っているだけ〉と一蹴。脊髄反射的に情報に反応している大衆を一笑に付す。
確かに、SNSで不特定多数の個人がつぶやけば悪行も明るみに出る。だが、Twitter(※1)などの住人は飽きっぽいので安心だ、とアドルーラーで出世した海斗は言う。昔のジャーナリストと違って、しょせんネットは暇つぶしの道具。〈政治家の不祥事だって日本人はすぐ忘れる。逃げ切ったら勝ちなんですよ〉と大衆の意見を黙殺する。
※1 現X
新都市博の次のイヴェントはなんだ? というアドルーラー社員の会話には、フィクションであるとはいえ、慄然した。新都市博のあとのアドルーラーの狙いは、改憲、正確に言うと、憲法改正のための国民投票だという。これは当然想像で書かれているわけだが、その生々しさには固唾を飲んだ。
選挙における広告費に上限はない。当然金のある者が勝つのであり、護憲派の勝機は万分の一もない、とアドルーラーの社員は言う。本書は、大手企業を舞台にした社会派小説であると同時に、近いうちに起こりえるかもしれない暗澹たる未来を予見している。いわば、最先端のディストピア文学ということになるだろう。
文=土佐有明