元プロ野球選手・清原和博が語る現役引退後にもがき続けた過去、これからへの思い。そして薬物依存症への提言

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公開日:2023/9/21

薬物依存症の日々
薬物依存症の日々』(清原和博/文藝春秋)

 人は生きている限り、心に穴が空く。投げつけられた理不尽なひと言、取り返しのつかない失敗、わかり合えないまま疎遠になった人、手からこぼれ落ちた成功、二度と戻らない日々、不安、後悔、孤独、焦燥、埋められない溝、何をしてもうまく行かない日々、失った大切なもの、喪った大切な人、誰かにつけられた深い心の傷……空いてしまった大小様々な穴を少しずつ埋めながら、人は日々生きていく。穴を埋めるものは人それぞれだ。大事にしている趣味が心の支えになったり、抱えた悩みや弱さを吐き出せる人間関係に助けられたり、映画や小説などの物語に救われたり、時間が解決してくれることもある。

 ところがぽっかりと空いた心の穴を、アルコールと薬物で埋めようとしてしまった人がいた……元プロ野球選手の清原和博氏だ。ご存じの通り、清原氏は2016年に覚醒剤取締法容疑で逮捕され、懲役2年6カ月(執行猶予4年)の有罪判決が下された。本書『薬物依存症の日々』(文春文庫)はタイトルの通り、薬物依存症となってしまった清原氏の日々と思いが綴られている(本書は2020年に刊行した単行本『薬物依存症』を文庫化するにあたり改題された)。清原氏は現役時代のホームランを打ったときの歓声や快感、刺激に代わるものを引退後に追い求めていたものの、趣味などもなく、新しい仕事にも打ち込めなかったため、野球を失った大きな穴を埋めるため夜の街へと出かけ、酒に溺れていく。

現役を引退してから野球もホームランも消えて、心に穴が空きました。それを埋めるために、だんだんとお酒の量が増えていきました。お酒をたくさん飲むと気持ちが大きくなって、自制心を失っていくような感覚がありました。初めて覚せい剤を使ったときも、かなりアルコールがまわった状態でした。

 逮捕されたときの生々しい状況や自分の心の有り様など、実際にあったこと、感じたことを正直に、包み隠さず語り下ろした本書の文章はひどく陰鬱で、読んでいるだけで胸が苦しくなってくる。薬物依存症とうつ病に苦しみ、過去の栄光との落差に怯え、死ぬことばかりを考え、悪夢にうなされる夜……。しかしあるポイントから生きる力が湧き、未来へ目を向けられるようになっていくと、清原氏が目指そうとしていることに胸が熱くなることだろう。

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 この本で気になったのは、清原氏が「ぼくは小さなころからずっと、強さとか男らしさを追い求めてきました」と書いている部分だった。“番長”ともてはやされながら、男らしさや男性優位社会に苦しむ男がここにもいたのだ。しかし人生で初めて挫折し、多くのものを失ったことで、人に依存できる“弱さ”を手に入れた清原氏は、番長と呼ばれたときよりもずっと強くなったはずだ。また薬物依存症への偏見がまだまだ根強いことに疑問を投げかける清原氏の提言は多くの方に読んで、知ってもらいたい。逮捕して、晒し者にして、罪を償わせたらおしまいではなく、依存症は病気であり、大事なのは治療に繋げること、そして「なぜ依存してしまったのか」の原因を掘り下げ、問題を解決して、社会の仕組みを変えていかねばならない。

 2023年夏、甲子園のスタンドには清原氏の姿があった。全国高等学校野球選手権大会を席巻した神奈川県代表の慶應義塾高等学校野球部に所属する子息の活躍を観戦するためだ。決勝の9回表、代打で出場した清原勝児選手がフォアボールを選んで出塁すると、清原氏は周囲に笑顔を見せていたという。慶應は8対2で仙台育英高等学校を破って優勝、清原氏はグラウンドで歓喜する息子を見つめ、成長を喜んでいたという。本書の上梓から3年、タイトルに「日々」を加えたのは、過去の過ちを抱えながら生きることを決めた清原氏の覚悟なのだと思う。

 また文庫版の巻末には、清原氏の薬物依存症治療の主治医である国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存研究部長の松本俊彦先生による解題「人はなぜ薬物依存症になるのか?」が新たに収録されている。こちらも併せてご一読いただきたい。依存症理解への一助となるだろう。

文=成田全(ナリタタモツ)