俺たちはどう生きるか/絶望ライン工 独身獄中記➃
公開日:2023/9/27
宮崎駿監督の映画「君たちはどう生きるか」を観て来た。
先の見えない理不尽な展開をファンタジーと呼ぶなら、ファンタジーど真ん中を貫いた素晴らしい作品でした。
先の見えない理不尽な展開、これは日々の生活、生き様、人生、生涯であるように思う。
つまり人生はファンタジー。何が起きるか分からない。
我々のこのやたら長いストーリーが映画と違うのは、フィクションや脚色が介入する余地がなく、残酷なまでにリアルに描写されているということだ。
映画「君たちはどう生きるか」は観る者に問う。
自分の運命を知っていても、この世界に生まれることを望むか?
調律された新しい人生より、争いや災いの蔓延る今の人生をなぜ愛おしいと思うか?
宮崎駿監督は本当にこれで引退するのか? いつものフェイントではないのか?
ドスケベ姉妹
などです。
最も印象に残ったドスケベ姉妹について本稿で語ることは許されないので、それ以外について自分なりに考える。
(あと監督の進退についても割愛する)
もし生まれる前に自分の運命を知っていたら、どう生きるか。
これについて具体的に想像してみます。
まず今の人生が明確に失敗であると感じる点、それは独身で家族もなく、絶望的に孤独であるということ。
これは高校時代に目的もなく男子校に進学してしまったことに起因する。
つまり地元のパチ屋で知り合ったバカと出来婚して幸せになる、という眩いほどに輝くライフプランをここでフイにしてしまっているわけ。
これを軌道修正し、高校は男子校ではなく、共学の商業高校へ進学する。
悪い友達とツルみ、喫煙&飲酒、暴力にパチンコ、そして憧れの不純異性交遊。
卒業後は駅裏の工場に就職し、休日は地元の仲間と早朝バイキングからのカラオケオールだ。
やがて大親友の彼女のツレ、美味しいうどん作る女性とカードゲームでガチ切れ、そして一目惚れからのショットガン・マリッジを夢見る。
この一見完璧に見えるレぺゼン地元人生設計だが、致命的な弱点があります。
それは「バカなのに不良になれないと詰む」ということ。
そしてこの選択をした場合、私は確実にこの地元最弱のカーストである「頭が悪いだけの弱者男性」になる。
東京と違い田舎でこのジョブを選択してしまうと、もう前線には戻れない。
20歳の成人式を欠席し、25歳までに何度も訪れる同級生達の出来婚披露宴ラッシュ。
卒アルの実家住所に届く結婚式の招待状、これはもう恐怖の召集令状だ。
30歳になる頃には近所を超え地域の有名人、40歳になれば外出するだけで通報される歩く夕刊ヘッドラインになる。
高校からやり直してもダメだ。
何度思考実験を試みても、結果は変わらず今と同じ孤独な人生が待っている。
過去を改変しても運命からは逃れられないということ、分岐をどう進もうと同じ点に帰結するということ。
この因果による理不尽な展開に縛られる日々が、我々の愛しい日常生活であるという事実に気が付く。
人生を彩る数多くの選択肢。それに怯まず、ただ黙念と前に進め。
そんな宮崎駿監督のメッセージを、私は受け取った気がする。
俺たちはどう生きるか。
今を懸命に生きるしかない、配られたカードで勝負するしかないのだ──
(おいしいうどん作った大親友の彼女のツレと大貧民するループから抜け出せない)
41歳独身男性。工場勤務をしながら日々の有様を配信する。柴犬と暮らす。