知的障害者施設の19人殺害事件から着想した小説『月』。宮沢りえ、磯村勇斗らで映画化の、善悪を揺さぶる原作を読む
更新日:2023/10/30
10月13日に公開される映画『月』。主人公は、宮沢りえが演じる作家・堂島洋子です。主な舞台は洋子が働き始める障害者施設。職員の入所者への横暴な態度、入所者たちの目を背けたくなるような行動、職員間のいじめ……生々しい日常がタブーなしで描かれます。さらには宮沢りえ含む主要キャスト4人の役柄は全員小説家、映像作家などの表現者。表現者同士だからこその嫉妬・羨望・焦燥など複雑な感情が、物語の闇をさらに深めます。
社会の中には確かに存在するのに、多くの人が目を背けようとしている。さらに言えば目を背けている自覚もなく、“ないこと”になっている問題をむき出しにする本作。その原作である辺見庸氏の『月』(辺見庸/KADOKAWA)を紹介します。
作者である辺見庸氏は、元共同通信社記者。『もの食う人びと』などルポルタージュ、ノンフィクション作品も多く執筆しています。『月』は、神奈川県の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で入所者が殺害された事件に着想を得たもの。映画と小説ではテーマや一部の登場人物、容赦のない現実の描き方は共通していますが、主人公は別。筋書きも異なります。
小説の主人公は「きーちゃん」と呼ばれる障害者の女性です。きーちゃんは体を動かすことができないばかりか、目も見えず話すこともできない重度障害者。自分の気持ちを表現する術はありませんが、耳は聞こえているので聴覚情報は入ってきます。周囲の人間が自分を表現する言葉や態度から、「きっと自分は醜いのだろう」と感じているきーちゃん。そんなきーちゃんへずっと話しかけているのが、のちに事件を起こすこととなる“さとくん”です。さとくんは独り言のように、自分の日常に起きた出来事をきーちゃんに語ります。そんな話を聞いて、人知れず思いを巡らせるきーちゃん。きーちゃんの頭の中は想像力も語彙も豊かです。特にさとくんが入所者たちに読んで聞かせる紙芝居『花さかじいさん』から「“善”が〈富・福・美〉を生み出すのではな〈富・福・美〉があるから“善”なのではないか、すなわち醜い私たちは“悪”なのではないか」と考えるシーンは秀逸。すべてを持つ強者が善とされ、持たざる弱者が悪であるかのように捉えられがちな現代全体への考察は本作のテーマをわかりやすく示す一例であり、その鋭い着眼点にハッとさせられました。
また、きーちゃんの視点で描かれるさとくんの変化にも注目。さとくんが入所者に読む紙芝居は、職員が必ずすべき仕事ではなく、さとくんの自発的な行動です。その行動は入所者には歓迎されますが、職員には「いらない仕事を増やしている」と疎まれることも。
このエピソードからもわかるように、さとくんは一言で“悪”と断言できる人間ではないのです。他の職員のように入所者を痛めつけることはせず、集団痴漢にあっている(と思われる)被害者を助けようとするなど、人一倍純粋で正義感があるような面も。そんなさとくんがいろいろな出来事をきっかけに変容していく様子が小説ではじっくり描かれます。しかし変容と言っても、最後までやはりさとくんは完全な悪としては描かれません。事件の準備をする一方で、広告で見たとある子どものためにユニセフへ寄付金を送ります。「今から行うことは殺人ではない、相手は人ではないから。自分のやることに賛同するものも多くいるはずだ」とさとくんは心の底から考えているので、自分が悪であるという認識は一ミリもないのです。
「人とはなんなのか」「命とはなんなのか」そんな重い問いかけを残し、善悪の基準すら揺さぶってくる本作。映画と小説ではその根幹は同じでも、描かれるディテールは全く異なります。どちらも観る、読むのに気力を必要とする一作ですが、ぜひ見てほしい作品です。
文=原智香