冤罪で監獄に48年間入れられた元死刑囚。彼の無罪をひとり信じた裁判官の悔しさと精神崩壊、死去までを追ったルポルタージュ

文芸・カルチャー

更新日:2023/11/10

完全版 袴田事件を裁いた男
完全版 袴田事件を裁いた男』(尾形誠規/朝日新聞出版)

 骨太で精緻なルポルタージュである。尾形誠規氏『完全版 袴田事件を裁いた男』(朝日新聞出版)は、1966年に袴田巌氏が一家4人を殺害して、家に放火したとされる冤罪事件が執筆の発端だった。著者は、犯人扱いされた袴田氏よりも、彼を裁いた熊本典道氏を追う。同事件に裁判官として関わった、熊本氏の半生を丁寧に洗い出していくのだ。

 後に冤罪だと判明する袴田事件だが、第一審で袴田氏が無罪だと断じた裁判官は、3人のうち熊本氏のみ。熊本氏は合議に臨んだが、2人を説得できず、有罪が確定。多数決で人の生死や一生が決まる。あまりにも理不尽で不条理なシステムではないだろうか。

 残酷なのが、無罪だと信じ抜いた熊本氏が、死刑判決文を書かされるくだり。熊本氏は泣く泣く袴田氏の有罪を軸とした判決文を書いたが、彼は、その中に警察の取り調べに対する嫌味のような一文が挿まれている。さぞかし悔しかったのだろう。恨み節のようにも読める一節だ。

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被告人が自白するまでの取調べは、――外部と遮断された密室での取調べ自体の持つ雰囲気の特殊性をもあわせて考慮すると――被告人の自由な意思決定に対して強制的・威圧的な影響を与える性質のものであるといわざるをえない。本件のごとき事態が二度とくり返されないことを希念する余り敢えてここに付言する。

 実際、袴田氏への取り調べは過酷を極め、炎天下で1日平均12時間、最長17時間にも及んだ。取り調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で排便させることもあったという。追い詰められた状況において、マインドコントロールのように自分がやったと思い込まされるのは、冤罪事件ではよくあること。死刑廃止の訴えにおいてしばしば論拠となるのも、冤罪で人が死ぬ可能性を完全には払拭できないからである。

 熊本氏は袴田氏の有罪判決は自分のせいだと、終生、引きずり続ける。精神を病んだ彼は、大量の酒を飲み、自殺や失踪を試みるなどし、度々錯乱状態に陥る。また、2度結婚して2度離婚しており、娘や息子にとっては決してよき父ではなかったという。その証拠に、実の子供に面会を拒絶されるなど、親類とはほとんど絶縁状態。経済的にも苦心し、生活保護を受けていた時期もあった。

 著者は、波瀾万丈の人生を送ってきた熊本氏が2020年に没するまで、事件と対峙する彼の内実を追ってきた。熊本氏の家族や親友や弁護士などに、粘り強く、徹底的に取材を敢行。その過程で、人が人を死刑と裁くことの難しさが浮き彫りになるのだ。

 熊本氏は、袴田事件に関わった自分の過去について「美談」にはしないでくれ、と著者に言う。確かにドラマティックな人生であり、袴田事件を映像化した映画も公開されたが、実際の事件の衝撃にはかなわない。まさに事実は小説より奇なり、である。

 無罪を証明する証拠はいくつかある。最も決定的だったのは、犯人が犯行時に着用していた衣類が、袴田氏のものではないと実験で明らかにされたこと。それ以前に、犯行時に犯人が穿いていたとされるズボンが、袴田氏にはサイズがまったく合わず着用できなかった。他にもいくらでも矛盾を指摘することができる。

 なぜこんなことになったのか。考えられるのは、真犯人が袴田氏を罪人にでっちあげたか、警察が自分たちの権威を守るため、事実をねじまげて捏造したか。本書では後者が有力だとされているが、筆者もそう思う。いつまでも犯人を検挙できないと、警察のメンツが丸つぶれになるということか。だが、それで罪のない人ひとりの生命が奪われるなど噴飯ものである。

 一体、この事件は、どれほどの人間の人生を狂わせたのか。当時の検察官は存命の者もいるが、その多くは謝罪や反省の色などまるで見られない。疑わしきは罰せず、疑わしきは被告人の利益に、という有名な教えがなんと虚しく響くことか。袴田氏が監獄で過ごした48年を、誰が返してくれるというのか……。

 事件のその後についてだが、2023年3月21日付で袴田氏の再審開始が確定。死刑囚に対する再審開始決定が確定した事例は、1987年に再審開始が行われた島田事件以来36年ぶり、5件目である。2020年に逝去した熊本氏が健在だったら、さぞかし喜んだことだろう。

 日本では2009年度から、公判には裁判員制度が導入されているが、不安や疑問は残る。議論を尽くしても、全員一致の結論が得られない場合、評決は多数決により行われる。裁判員だけによる主張では、裁判官1人以上が多数意見に賛成していることが必要だが、やはり数が支配する力学が働いている。

 裁判員制度では、裁判員の意見は裁判官のそれと同様の重みを持つ。今こそ袴田事件から学ぶことは多い。本書はその意味で、冤罪について熟慮する人たちへの格好の入り口になるだろう。もう二度とこんな事件が起きないことを、強く願うのみである。

文=土佐有明