元ラグビー日本代表・平尾剛が提言! 根性と科学の融合で実現するスポーツの新時代
公開日:2023/9/29
夏の暑い中でも耐え忍び、練習に励む。もはやそのようなスポーツの美徳は過去のものになりました。ご紹介する『スポーツ3.0』(平尾剛/ミシマ社)は、「根性」が主導するスポーツの世界ももちろん経てきた、元・ラグビー日本代表の平尾剛氏が、昨今の激しい変化の中で感じた戸惑いを綴るとともに「再起」の可能性について論じている一冊です。
変化にさらされてきたのはスポーツ選手だけではありません。たとえば学校では小中高を問わず「教師が部活動の顧問も兼任する」という一昔前では当たり前だった体制に疑問が呈されるようになりました。平尾氏の意見では、競争の本質は「全体の質を高めること」。しかし、あくまでも「教育」の一つとして部活、スポーツをする中で、その抽象性をうまく咀嚼して指導にあたれる教師は多くはないでしょう。現状ではかなり難易度が高めなこの目標地点を、平尾氏は「スポーツ3.0」と呼びます。
「スポーツ1.0」を根性論の誤解および曲解だとすれば、「2.0」はそれが引き起こした科学への盲従になる。ここではすべてを科学的根拠に求め、心技体の心が著しく欠落している。万能だと思われていた筋トレもその方法に多様性が生まれ、古典的な筋トレをしないと明言するオリックス・バファローズの山本由伸投手のようなアスリートも出てきた。
ならば、「3.0」は根性と科学の融合となる。レジリエンスとしての根性を認め、心技体の心得に再び息を吹き込まなければならない。
レジリエンスというのは「回復」や「弾性」を意味し、「3.0」の次元においては、「根性」という言葉が「危機を乗り越える」というニュアンスにも解釈されるべきだというのが著者の主張です。
なぜ「危機を乗り越える」必要があるのか? それは「勝つため」ではなく、「幸福」を掴み取るため。そのように広い視点で捉えたときに、スポーツは他領域に応用、転用が可能になり、再起がなされるといいます。
著者がその観点を持つに至った出発点はスポーツを「する側」から「観る側」に転じたことです。「観る側」になったとき、まず気になったのは試合後の選手インタビューの内容が表層的であることだったといいます。本来ならばもっと「深い世界」を選手は経験しているはずなのに、それが言語化されていないことにもどかしさを覚えた、ということです。
著者が言う「深い世界」の実体験の例として、他の選手が蹴ったボールを「なぜ今ここでそんなことを?」と意図がわからず追って、ゴールに向かう中で「もしかしたらこういうことか?」と道が拓けていくようにトライに至ったということがあったといいます。
プロスポーツ選手がそのような体験談を言語化して、スポーツだけでなく他の領域に転用できるようになることが、「3.0」という目標地点における「科学との融合」の意味するところです。「上手」「下手」「勝ち」「負け」という以外の到達点を、様々な領域に越境しながら柔軟に創り出していくことが、スポーツ従事者には今後ますます求められると著者は予見しています。
「できる/できない」で運動を捉える凝り固まった体育・スポーツ観を変えるには、下手でもいいから思いっきり楽しめばいいと考える人を、社会に増やすことだ。そうすれば運動嫌いの人たちも、ちょっと運動でもしてみるかと重い腰を上げやすくなるし、部活動を辞めてからもそのスポーツをつづけやすくなる。
観ること、すること、語ることがリンクし始めると、スポーツが次の次元に動き始める。問題が山積しているように見える現状に、ワクワクする兆しを示してくれる一冊です。
文=神保慶政