外野が一番うるさい! 芥川賞作家・高瀬隼子が生々しく描き出す「作家デビュー」の不穏な舞台裏

文芸・カルチャー

公開日:2023/10/10

うるさいこの音の全部
うるさいこの音の全部』(高瀬隼子/文藝春秋)

 外野はうるさい。ペチャクチャと好き勝手に物を言う。「いや、それは違う」「やめてくれ」と言いたくても、そういう時、決まって自分のノドはカラカラに渇いて、何も言えない。嫌われたくなくて愛想笑い。そうしているうちに、自分のことが分からなくなってくる。本当のことなんて、どこにもないような気がしてくる。

 そんな、周囲の人と関わるたびに感じる心のモヤつき——それを描き出す天才が『おいしいごはんが食べられますように』(講談社)で芥川賞を受賞した作家・高瀬隼子氏であるような気がしている。目を背けようとしてきたことをまざまざと見せつけられた動揺と、それを言い当てられた痛快さ。それらは、最新作『うるさいこの音の全部』(文藝春秋)でも存分に味わうことができる。描かれるのは「小説家デビュー」により歪み始めた女性の日常だ。作家の生活を覗き見たい好奇心で読み始めたはずが、読めば読むほど、心がザワつく。「こんな思いを抱えていたとは」という申し訳なくなるような気持ちと、「この不安感、身に覚えが……」という共感とで、何だかクラクラと目眩がしてくる物語だ。

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 主人公は、ゲームセンターで社員として働く長井朝陽。学生時代からこのゲームセンターで働く傍ら執筆活動に励んできた彼女は、ある時、「早見有日」というペンネームで書いた小説で新人賞を受賞し、その作品が出版されることになった。だが、副業にあたるために職場に小説家デビューを伝えてからというもの、彼女の生活は少しずつ軋み始める。朝陽は、早見夕日の本名も職場も公にしていない。しかし、早見有日の作品が話題になるたびに周囲は勝手に騒ぎ出し、朝陽への接し方も微妙に変化していく……。

 今を生きる生きづらさを、どうして高瀬氏はこんなに巧みに描き出せるのだろう。本書では、表題作のほかに、早見夕日が芥川賞を受賞してからの顛末を描く「明日、ここは静か」も併録しているのだが、それらはどちらも不穏。最初は小さなヒビ割れに過ぎなかったものが、どんどん朝陽を壊していく。他人と話すたび、どういう返答をしたら喜ばれるかを考えたり、取り繕ったり、話を盛ってしまったりして、気が付けば嘘ばかり。朝陽が普段の自分と小説家の自分、執筆中の小説と現実の境界を見失っていくさまは、読む者を翻弄する。

 さらに、この物語では、小説家ならではの葛藤も描き出している。その生々しい描写にもハッとさせられるのだ。たとえば、「小説」ではなく「小説家」に注目が集まる違和感について。どうして人は、何かの賞が発表された時、「どんな作品」が受賞したかよりも、「誰」が受賞したかを気にしてしまうのだろう。何歳の、どんな職業の、どんな生活をしている、どんな顔の人の作品かだなんて、本当は重要ではないはずなのに、どうして作品それ自体よりも興味を持ってしまうのだろう。「朝陽に興味を持つくせに、朝陽の内面の一番を占めている『まだ書けるだろうか、次もほんとうに書けるだろうか』という不安には、寄り添う気も、興味もない」。そんな朝陽の嘆きには、どこまで高瀬氏の実体験が反映されているのだろうか。いや、そういう邪推自体、愚かなことだろうか。

 周囲のうるささに、頭がガンガンする。息をするのも苦しい。だが、その痛みがたまらない。「よくぞ言語化してくれた」と思わされるのだ。高瀬氏のファンはもちろんのこと、まだその作品に触れたことがないという人も、間違いなくこの作品に惹きつけられる。あなたもこの物語の喧噪に是非とも飲み込まれてほしい。

文=アサトーミナミ