池松壮亮が1人2役でピアニストを演じる映画公開。バブル期の札束が飛び交う銀座でもがいた苦しみとは?

文芸・カルチャー

更新日:2023/10/12

白鍵と黒鍵の間に―ピアニスト・エレジー銀座編―
白鍵と黒鍵の間に―ピアニスト・エレジー銀座編―』(南博/小学館)

 10月6日から全国で公開される映画『白鍵と黒鍵の間に』。原作となったのは、日本有数の人気ジャズ・ピアニスト・南博が2008年に出版したエッセイ『白鍵と黒鍵の間に―ピアニスト・エレジー銀座編―』(南博/小学館)です。

 映画では主役に池松壮亮、バンドのピアニスト・千香子役に仲里依紗、その他のクセの強い登場人物たちを森田剛、高橋和也、クリスタル・ケイ、松尾貴史、佐野史郎、洞口依子らが演じています。本記事では、原作のエッセイについてご紹介したいと思います。

 昭和が終焉を迎えようとしている頃、クラシックピアノを学んでいた著者は、ジャズの世界と出会いグッと引き込まれていきます。そして、小岩のキャバレー、六本木のバーでお抱えピアニストとして経験を積んだ後、銀座の超高級クラブの世界に足を踏み入れます。

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 必ずしも「自分のやりたい音楽」を弾くことができなかったり、「ちゃんと演奏を聞いてもらう」ということが叶わなかったりする日々に葛藤を抱えつつも、バンマス(バンドマスター)、ママ、ホステス、そして怪しげな客たちが紡ぎ出す未知の世界で、著者が「人生の学び」を深めていく様子が本書には綴られています。

 特に、昭和末期のいわゆるバブル期において、バンバン札束が飛び交う銀座の描写は、2023年の今読むと「歴史資料」と言っても過言ではない、異世界のような雰囲気があります。

Y会長のお付きの者が近寄ってきて、ピアノの上にあるブランデーグラスに、ずずっと万札の束をねじ込む。どう見ても五万以上のカネだ。
演奏に対する反響は思いもよらないぐらい盛大なものだった。Y会長がご機嫌になって騒ぐ。「よーセンセー、いいねえ、いつ聞いてもそのメロディーは飽きない!」

 すべての読者は、「銀座での日々」に終焉が訪れ、著者がアメリカの音楽大学へ留学することを知りながら本書を読むことになります。そうであっても本書のページを次々とめくってしまうのは、心地良くもそのままいると身を潰してしまう「時間の沼」にいるかのような時間感覚が描かれているためです。映画ではこの点を、冨永昌敬監督と脚本家・高橋知由が共同で大胆にアレンジしています。

 映画の主人公は「南」と「博」という2人の人物で、どちらも池松壮亮が演じています。南は夢を見失っているピアニスト、博は未来に夢を抱いているピアニスト。時にすれ違い、時にシンクロしながら、約3年の時系列があべこべながらも一体となっていく構成となっているそうです。

 原作では、ともするとズブズブと沈んでしまうような日々の中で、著者をハッとさせたいくつかの場面が印象的です。例えば、着物をめぐる「女の戦い」の一コマは、頭に瓶を叩きつけられたかのような記憶として著者の脳裏に焼き付いているようで、映画ではどのように描かれているのかが楽しみなシーンです。

二人の視線がバッチリとあう。あの目つき、僕は一生忘れない。恐かった。
「あら、着物新調したんですか。」
「そう、四〇〇万、どうこれ、いいでしょ。」
二人の言葉の端には、筆舌に尽くしがたいニュアンス、嫉妬やねたみが一緒になって煮凝りになったようなものがまとわりつき、それは口から離れたそばから、空気中にねっとり散乱していった。

 原作では南博が、映画では南と博が、「深い沼」から抜け出すためにどのように悩み、苦しみ、もがくのか? 原作と映画、どちらも楽しみたい一作です。

文=神保慶政