直木賞作家と人気写真家が初タッグ! 桜木紫乃&中川正子『彼女たち』刊行記念対談 「紙の本であることの意味について考えながら」

文芸・カルチャー

公開日:2023/10/13

 10月13日に自身初となるフォトストーリー(写真絵本)『彼女たち』を上梓した桜木紫乃さん。3人の女性の人生の1ページを描いた物語は、発売前の「ゲラ読みキャンペーン」でも大好評。「涙が出た」という声が多数寄せられました。本作でタッグを組んだのは、SNSで発信するライフスタイルが人気の写真家・中川正子さん。直接会うのはこれが2度目というおふたりに、本作での初めてのチャレンジについてうかがいました。

(写真=中川正子 構成=編集部)

桜木紫乃さん、中川正子さん

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中川正子さんと出会い、2年かけて書いた文章をボツに

──『彼女たち』は、イチコ、モネ、ケイという3人の女性を描いた短い物語と写真で構成されています。人間関係につまずき、ひとりぼっちを選んだイチコ。家事・育児・仕事に追われて自分を見失いそうなモネ。最愛の人との別離を経たケイ。彼女たちの人生は、とある喫茶店でほのかに交わります。

 大きな事件が起こるわけでもなければ、日々の困りごとがわかりやすく解決するわけでもありません。けれど物語のラストでは、なにかがほんの少しよい方に向かっている。そのバランスが絶妙で、「ひょっとしたらこのなかに自分が主人公の物語が入っていたかも」と思えるような親しみがありました。

桜木紫乃(以下、桜木):30代(モネ)、50代(イチコ)、70代(ケイ)の女性をイメージして書きました。それぞれの年齢の間の20年になにがあるだろうかと想像しながら。

 今だから言えますが、中川さんとの出会いがなければ『彼女たち』は生まれませんでした。そのくらい、中川さんの存在は大きかった。実は、2年ほどかけて別の物語をつくっていたんです。中川さんと出会い、その原稿をボツにしました。

桜木紫乃さん
桜木紫乃さん

中川正子(以下、中川):そんな、おそれ多いことを……でも光栄です。今回の依頼をいただいてから、桜木紫乃さんの作品をたくさん読ませていただき、気づけば「桜木紫乃ファン」のひとりになっていました。それまで、桜木さんのことは存じ上げていながらも、作品を読んだことがありませんでした。デビュー間もないころに言われていた「新官能派」のイメージがあって、「いまの私はそういうモードではないな」と思い込んでいたところがあったんです。

中川正子さん
中川正子さん

──中川さんに今回のオファーがあったのが2023年1月。翌2月に中川さんは編集者と打ち合わせ、3月に桜木さんと中川さんは直接顔を合わせます。そこから本づくりが急スピードで進みました。

桜木:初めてお会いしたのは羽田空港内のレストラン。中川さんの第一印象は強烈でしたよ。会うなり「タクシーで“ちゃんみな”を聴いて、泣いちゃったんですよ~」って(笑)

中川:いえいえいえ、「会うなり」ではないです! でも、そのくらい強烈なインパクトだったんでしょうね。わたしも「直木賞作家」の桜木紫乃さんにお目にかかるということで緊張していました。

 打合せへの道中、(ラッパーでシンガーの)ちゃんみなさんの「美人」という曲を聴いたんです。「前例がないのは怖いかい」「ならお手本になりなさい」というフレーズに自分を重ねて奮い立たせました。

 小説家さんとこのようなかたちでお仕事をご一緒させていただくのは初めてでしたし、今回のような、小説でも写真集でもない、短い物語と写真を組み合わせたスタイルの本はあまりないと聞いていました。これはチャレンジだな、と。

──中川さんの緊張には別の理由もあったそうですね。その日の打ち合わせのためにと、桜木さんが新しい物語を作ってこられたそうで。

中川:そうなんです。今回の依頼をいただいたときに最初に読ませていただいたのは、いまとは違うものでした。それが2月。その作品もすばらしかったのですが、わたしのなかで「もっと“桜木紫乃”がほしい!」という思いが強くなったんです。その気持ちにこたえて、桜木さんがまったく新しい物語を書いてくださった。これだけのキャリアを築いてこられた方が謙虚な姿勢で向き合ってくださったことに、驚きと喜びで震えました。

桜木:中川さんから「ストーリーのあるものを読みたい」というオーダーが(編集者を通じて)届いたときは、「なんてイヤなことをさせるんだ」と思いました。でもそれは、痛いところを突かれたということでもありました。

 中川さんに最初にお渡しした原稿は、散文詩のような内容でした。けれど、写真と組み合わせるなら、もっとストーリー性のあるもののほうがいい。自分でもうっすらと感じていたんでしょうね。そんなわけで、2年間向き合ってきた原稿を手放して、新たに書きました。

中川:小説家に物語を求めることの重みをわかっていなかったです。ですが、だからこそ言えたとも思います。

桜木:とっても感謝しているんですよ。ただ、こんなにきついものだったとは……。

中川:今回いただいた『彼女たち』からは、フラットな桜木さんのお人柄と、気休めを言わないやさしさを感じました。

桜木:お会いしたときに、わたしが「クリスマスに贈りたくなる本にしたいですね」と言ったんですよね。そうしたらまっすぐに目を見て「いいですね!」と即答してくれて。そこから急スピードで作品づくりが進みました。

今までしてこなかったことをする。それぞれのチャレンジとは

──今回の本づくりは、桜木さんの原稿を読んだ中川さんが写真を撮影し、デザイナーさんが文章と写真を組み合わせて一冊の構成を組み立てる、というプロセスを繰り返して練り上げたそうですね。

桜木:イチコ、モネ、ケイ、それぞれを主人公とした中編小説を3本書ける内容を、このボリュームにまで、徹底的にそぎ落としました。人物をつくりあげる作業は小説と同じですが、切り取る部分が違う。短い文章のなかに、人物の背景や関係性をどう盛り込むか。作詞に通じるものがありました。

 これだけ行間をあけるような文章は、今回が初めてです。いままでは「続きが読みたい」と、ページを繰らせることを意識していましたが、今回はゆっくりと立ちどまりながら読んでもらうことを目指した本づくり。そのための余白をどうするか。行間のもたせかた、ことば選び、ページ送り……紙の本であることの意味について深く考えながらの創作でした。

中川:写真については、桜木さんからいただいた物語を手がかりに、たとえば「今日はイチコの日にしよう」といった感じで人物を決めて、彼女の視点でシャッターを切っていきました。

 桜木さんの住む北海道で撮影することも考えたのですが、この物語で大切なのは、彼女たちの「生活」だなと。わたしが北海道で撮影すると旅人の視点になってしまう。生活者の視点で撮影できる岡山で撮ろうと決めました。

 そうして撮り下ろしたものとこれまでに撮影してきたものをあわせた300枚超の写真をデザイナーさんに託して、写真のセレクトからトリミングまで、いったんすべてお任せしました。「自分だったら選ばないな」と思うような写真もあえて入れました。こういうやり方をしたのは今回が初めてです。

『彼女たち』では、これまで自分のなかにあったかたくなさをすべて手放したんです。桜木さんの全力に私も全力でこたえたいし、読んでくださる方にもしっかり届くものにしたかったから。

 完成したものをあらためて見てみたら、半分以上の写真が、岡山で撮影したものになっていたんですよ。

彼女たち
本の表紙に使われた写真は、中川さんがよく行く図書館の駐車場で撮影したもの

苦手だったはずのチームプレイは、曲づくりに似ていた

桜木:『彼女たち』の本づくりは、曲づくりのプロセスに似ていました。「作詞・桜木紫乃、作曲・中川正子、編曲・岡田善敬(ブックデザインを担当)」ですね。

 文章・写真・デザインのそれぞれに対して、言いにくいことも伝えあう過程が楽しかったです。わたしは本来、チームプレイが苦手な人間だったはずなのに。

 小説の場合には編集者とふたりでバチバチ議論しますが、今回は作家・写真家・デザイナーの全員がそれぞれのプロの領域にも意見しました。中川さんの提案で文章がよりよくなった箇所もあります。

──具体的にはどの部分ですか?

桜木:飼い猫・ジョンの視点で描かれたイチコの物語では、ジョンがイチコの「そばにいる」という箇所があります。ここは最初「守る」となっていましたが、中川さんの感想を聞いて、途中で変えました。

中川:クリエイターとして、と同時に、読者の視点ももちながらつくっていたので、気づいた点や気になった点はできるだけ正直に伝えました。こういうかかわり方は初めてです。

桜木:細部をほんの少し変えるとぐっと印象が変わる、という例をほかにも挙げると、同じくイチコの物語で、ジョンが「最高に幸せだったな」と思う場面があるんです。ここは「最高に幸せだったのにな」としていたのですが、最後の最後に「のに」をとりました。気づかせてくれたのは、ゲラを読んだ娘のひとことでした。こういう微調整を重ねていったんです。

彼女たち

──この微調整が全体の印象を大きく変える。伴走していたデザイナーさんも、魔法のようだと驚いていたそうですね。「ほんの少しのことばの違いで、こんなに印象が変わるのか」と。

中川:細部や余白の効果でいうと、わたしはケイの物語を読んだときのことが忘れられません。ケイはパートナーとの別れを経験しているのですが、同性のカップルだと思って読んでいたんです。頭のなかでキャスティングまで浮かべて。でもそんなこと、ひとことも書いていないんですよね。物語の余白をわたしが埋めたんです。そのことに気づいたとき、「小説家さんってすごい!」と、鳥肌が立ちました。

──これから『彼女たち』を読む人たちに、「こんなふうに読んでもらいたい」という思いはありますか。

中川:静かなところでゆっくり読んでもらいたいです。何度か読むと、急にガツンとくる瞬間があると思います。

 私自身、イチコ、モネ、ケイのどの人物にも重ならないけれど、しいて言うならケイがいちばん近いかなと思っていたんです。そしてモネがいちばん遠いな、と。ところが、です。つい先日、出産後に住んでいた町を歩く機会があって。そのとき突然、当時1歳に満たない息子をベビーカーにのせて、泣きながら歩いたことを思い出したんです。10年以上前のことなので記憶が薄れていましたが、わたしのなかに、モネもいたんです。

 3人の物語を読んだあとに、4人目の「(中川)正子の物語」を加えたりもしています。実況中継風に、いまの状況を心のなかで描写したりして。そうやって自分を客観視するきっかけにもなる本だと思います。

桜木:イチコ、モネ、ケイ、それぞれにモデルとなる人物がいます。その人たちにこの本を手渡したいです。ケイのモデルになっているのは、自分をかわいがってくれるたくさんの大先輩。その方たちから生き方を教わっています。「わたしはちゃんと学んでいます」ということを伝えたいですね。

 モネのような暮らしの渦中にいる人は、この本を読む余裕なんてないかもしれません。まわりにいる人たちがさりげなくプレゼントしてくれたらいいな。その人にとってこの本を読むのに最善なときがくると思うんです。そのときに響くものがあったらうれしいです。

桜木 紫乃:1965年北海道生まれ。2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。07年に同作を収録した単行本『氷平線』を刊行。13年『ラブレス』で第19回島清恋愛文学賞を受賞。同年『ホテルローヤル』で第149回直木三十五賞を受賞し、ベストセラーとなる。20年『家族じまい』で第15回中央公論文芸賞を受賞。そのほかの作品に『ワン・モア』『砂上』『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』『ヒロイン』、絵本『いつか あなたを わすれても』など。

中川 正子:1973年神奈川県生まれ。岡山県在住。大学時代に留学したカリフォルニアで写真と出会う。美しい光を生かしたポートレートやランドスケープ写真を得意とし、雑誌、広告、アーティスト写真や書籍など多ジャンルで活動中。日常の風景を独自の感性で切り取ったインスタグラム(@masakonakagawa)が「まっすぐに、自分らしく、よりよく生きたい」と願う女性の心をつかむ。山陽新聞デジタルでコラム「わたしと岡山」連載中。2024年2月に初エッセイを刊行予定。