「味の素」はいかにして世界の胃袋を掴んだのか? 異文化の壁を乗り越えた海外戦略
PR 公開日:2023/10/13
世界初のうま味調味料「味の素」は、1909年に販売開始したロングセラー商品だ。その歴史は110年以上におよび、今なお、食卓を彩っている。そして、日本の食品市場のみならず、世界の食品市場でも認知される存在だとは驚く。
書籍『地球行商人 味の素グリーンベレー』(黒木亮/中央公論新社)は、米陸軍特殊部隊と同じ異名を与えられた「味の素」の関係者たちが、いかにして「世界」を開拓したのかを記録したドキュメンタリーだ。アジア、南米、アフリカを股にかけて「国家の動乱と異文化の壁」を乗り越えてきた人々の歩みには、心を揺さぶられる。その一部を再構成の上で、紹介していく。
前例のなかった「海外戦略」でフィリピンに進出
日本が高度経済成長へと突き進んだ1965年。フィリピンのマニラで「味の素」を広めるべく奮闘したのが、営業マンの古関啓一氏だった。
古関氏は、海外戦略の上で新たな道を見出した。当時、海外における「味の素」の販売は「ほとんどの国」で「輸入代理店(問屋)に一任するスタイル」をとっていた。
しかし、フィリピンに降り立った古関氏は、現地の商売では「現金払い」が主流であることに気が付き、本社の猛反対に遭いながらも「フィリピンに現地スタッフの営業部隊をつくり、小売店に味の素を現金で直接販売する方式にすべき」と強く申し出た。
熱意は届き、古関氏のアイデアは具現化。地道な「セールス活動」と「マーケティング」の成果は実り、1967年に佐藤栄作首相(当時)がフィリピンへ渡った際には、現地で「アジノモトー、アジノモトー!」「ジャパン、アジノモトー!」という声が響くまでになっていた。
こうして始まった味の素の行商スタイルは、その後も、宇治弘晃氏らによって、ベトナム、中国、ナイジェリア……と、アジアはもとより、南米やアフリカ奥地にまで広がっていった。
ペルーでヒットした、味の素社発の即席麺「アジノメン」
うま味調味料だけではない。「味の素」の販売元・味の素株式会社が南米のペルーで「即席麺」に勝機を見出していたとは、意外だ。
研究職の小林健一氏が、ペルーに渡ったのは2002年12月だった。1968年からの歴史を持つ「ペルー味の素社」では、小林氏がペルーに降り立つ2ヶ月前から即席麺の「アジノメン」を販売していた。
販売開始直後には月間65万食近くを数えるほどのヒット商品となったものの、その後「変な臭いがする」という苦情が相次ぎ、売れ行きが低下した。「油脂の専門家」であった小林氏は、ペルーの首都・リマにある「食品分析センター」に分析を依頼。理由は原料の「小麦」に含まれる「大量の鉄」であると判明し、小林氏を中心にスタッフは品質改良に奮闘した。
以降、「アジノメン」だけではなく、「味の素」に続く風味調味料「ドニャグスタ」の開発にも力をそそいだ小林氏は、ペルーの人々と交流を深めたのちに2007年7月に帰国。今なお現地で愛される「置き土産」を残した。
日本発の商品が海外で支持されていると聞くと、不思議と胸を張りたくなる。「味の素」にはじまった食文化における世界進出のストーリーは、とてつもなく熱い。
文=カネコシュウヘイ