特殊な遺伝子を埋め込まれた子どもたち。20冊以上の参考文献によって生々しく描かれる「遺伝×犯罪サスペンス」
PR 公開日:2023/11/9
佐野徹夜『透明になれなかった僕たちのために』(河出書房新社)は、2019年1月発行の『文藝』に掲載された同名短編小説が核となっている。著者は4年をかけてそれを推敲したそうで、待った甲斐のある渾身の一作となった。短編の時と同様に、健気に生きようとするヒロインと、彼女を助けようと奮闘する主人公の関係に、落涙する読者も多いはずだ。
不穏な空気が支配するサスペンス・タッチの同作だが、何よりユニークなのはその設定だろう。不妊治療によって産まれた双子のアリオとユリオは、周りから気味悪がられるほどそっくりだ。その兄弟には幼い頃から原因不明の自殺願望があり、ユリオは実際に14歳で自死を遂げた。アリオもまた、こんな酷い世界には生まれてきたくなかったと言う。そこにふたりと幼馴染の深雪も合流。3人は世をはかなんでいるという意味では、皆共通する心性の持ち主であり、ゆえに、深刻な事態に足を踏み入れる。
また、アリオは大学で蒼という美少女に出会う。そして彼女の紹介で市堰という学生と相対するのだが、あまりにも自分と顔が似ていて、初めて会った気がしないと感じる。市堰は、父親と血のつながりがなく、精子ドナーから生まれたらしい。この辺りの遺伝子や出生にまつわる話が伏線になっていて、後半で一気に回収されることになるのだが……。
またアリオは、親族の会合で野崎という男と知り合う。彼は大学の研究室で遺伝子やゲノム解析に関する実験を繰り返しており、アリオは野崎の話にどんどん引き込まれていく。遺伝子改変技術などに詳しい野崎が言うには、遺伝子操作によって、同じような顔、同じような体型の人間を量産することが可能だという。SFじみた発想だが、あり得ない話ではないと思う。実は、野崎は遺伝情報を使って、背筋の凍るような実験を繰り返していた。そして、その結果が、市堰、深雪、アリオ、ユリオの生い立ちと深くかかわる。
さらに殺害予告を発信し続ける謎の男・ジョーカーが絡んでくることで、話は俄然面白くなってくる。映画『ジョーカー』から着想を得たキャラなのだろう、彼は殺害現場に暗号のようなマークを残していく。謎が謎を呼び、クライマックスに向かって彼の存在感が増してくる。
また、野崎が深雪に本をプレゼントするのだが、その本自体にも彼女へのメッセージが込められている。作中にはこれ以外にも、小説やミュージシャンや映画などの固有名詞を度々会話に入れこむが、博覧強記であろう著者だからこそ書けたものだと思う。
ラストシーンでアリオは狂ったように言葉を連呼する。僕は愛が怖い。僕には愛なんて分からない。愛なんてなければいい。愛なんて信じられない、と。だが、彼は最後の最後にある決意と決断をする……。一見救いのない人ばかり登場する本書だが、読後感や後味は決して悪くはない。むしろ、長く険しい道を歩み始めるアリオを、無意識に応援したくなってしまう。
そして、本書が細部までリアリティを持ち得るのは、著者が膨大な量の資料を読みこんだからこそ、成立しているものに違いない。巻末の主要参考文献では、「遺伝学」が7冊、「ゲノム編集」が7冊、「犯罪生物学」が3冊、「脳科学と哲学」が5冊挙げられている。この辺りの描写が生々しくて説得力があるのは、著者の広範なリサーチがあってこそ、だろう。著者の佐野徹夜氏の誠実さと勤勉さに敬意を表したい。
文=土佐有明